梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

ブラインドサイト

http://www.blindsight-movie.com/

 観たのはもうずいぶん前だし公開もほとんどのところで終わっているかもしれないけど、書きかけで放ったらかしにしていたもので。

  世界各地を回って目の見えない子供たちのための学校を作る運動をしている、自身も盲のヨーロッパ人女性と、盲人として初めてエベレスト山頂に到達したアメリカ人の登山家が、貧困と差別にさらされているチベットの盲目の少年少女たちを勇気づけるために一緒にヒマラヤ登山にチャレンジし、みんなで過酷な自然と格闘する中で、メンバーの中に真の心の交流が生まれてくる、というお話。こう書くとヒューマニズム・感動ネタのフルハウス、といった感じで、観る前からお腹イパーイ、という気になってしまう人もいるかもしれない。
 だけど、これはそう一筋縄でいく映画ではない。もちろん、ヒューマニズムが基調になっているのだけど、現実の映像が見事にそれを裏切っているのだ。

 まず冒頭から主人公の子供の一人が道行くフツーのチベット人にいきなり「この役立たずのヴォケが!」とかそういったニュアンスのひどい言葉でののしられる場面が映し出されて、かなり驚かされる。だってどんなに没有文化な中国人だって、道行く身障者に向かっていきなりそんなひどいことはいわないよ?そして誰よりも彼らのことを大事に思っているはずの親たちにしてからが「この子がこんな具合になっちまったのは、火の精とか蛇の精だかのたたりがアレで・・」とかいった調子で、その子がそこにいるにもかかわらず延々と説明を始めたりする。チベット人っていうと中国人にいじめられているけど、基本的に平和愛好的で弱いものへのいたわりに満ちたやさしい人々なんじゃなかったっけ?
 こうして少なくともこれまでのヒューマニズムあふれるチベット・ヒマラヤ映画には絶対に出てこなかった場面が次々と出てくるのだ。

 映画のストーリー自体は非常に単純で、登山家がチベットにやってきて、ヒマラヤに登れるよう子供たちを訓練するところから、実際に山頂を目指していく過程の映像に、6人の子供たちに欧米人主人公二人のライフストーリーが挿入されるという、スポーツドキュメンタリーの王道ともいえるつくりだ。でも子供たち一人ひとりの生き様が個性的で、観るものを飽きさせない。
 中でも強烈な印象を残すのが、子供の頃に四川省から人買いに連れてこられ、チベットの街で強制的に物乞いをやらされてきたところを逃げてきたという漢族の少年だ。映画のもう一つのクライマックスとして彼が実の親を探しにいく行く場面も描かれるのだが、その結果、親たちが自分を売り飛ばしたことが明らかになる。

 チベットを旅行したのはもう10年前だけど、とにかく乞食の多いところだというのが第一印象だった。北京をはじめ中国の大きな都市にも乞食はたくさんいるけど、チベットで驚いたことはレストランの中にでも平気で入ってきて、客の残した食べ物をかき集めるようにして帰っていくことだ。その時はあまり深く考えず、もともと人に進んで施しをする文化があるから自然に乞食が増えるのだと思っていた。あの河口慧海がラサ入りしたときも、ずっと物乞いしながら旅行していたわけだし。だが、映画の中の少年のエピソードは、そういう文化的背景につけ込んで、中国各地から集めてきた子供をチベットにつれてきてそこで乞食をさせる人身売買のシステムが出来上がっているということを示唆させるものだった。とにかくこのシーンは衝撃的で、よくフィルムが切られなかったものだ、と思ってパンフレットを見るとやはり撮影の際には一悶着あったらしい。

 冒頭の盲人に対する差別のシーンもそうだけど、この少年のエピソードも全く救いがなく、普通にそれだけ投げ出されたら単に後味の悪い印象しか残さない。しかし、そういったシーンが挿入されるのが、人間の営みの矮小さをあざ笑うようなヒマラヤの過酷な自然の映像だったりするので、なんとなくそういった後味の悪さを覆い隠してくれるのだ。上記のような期せずして中国の「暗部」を抉り出したシーンが最終的に検閲をパスしたのも、全体的にどうみても「山」が主人公の映画にしか見えない、というのが幸いしたのかもしれない。

 そういう「人間」を相対化する仕掛けがいくつもちりばめられているからだろうか、欧米人たちのヒューマニズムも決して押し付けがましくなく、スクリーンに映る人々の表情が例外なく実に魅力的だ。その意味ではこの作品は決して撮ろうと思って取れるものではなく、一度限りの「奇跡」のようなものだといっていいかもしれない。