梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

開発・NGO・民族問題

 id:dojinさんからトラックバックをもらって初めて知ったのだが例の「血汗工廠」関連の記事が稲葉振一郎さんの朝日夕刊のコラム「ブログ解読」で取り上げられたようだ。記事の背景になった議論についてはdojinさんのエントリで紹介されているのでそちらをご覧ください。もちろん稲葉さんに取り上げていただくのは光栄なのだけども、これで「キャンパスで裸のねーちゃんを見かけて目を白黒させる梶ピエール」というイメージが定着してしまったかな。まあ帰国する頃にはみんな忘れてくれているでしょう。

さて、そのdojinさんもちょっと前にとりあげている、山形さんが訳・紹介しているワシントン・ポストの記者セバスチャン・マラビー氏によるNGO批判の記事について思うところを少し。

 前半のウガンダのダム建設に関してはdojinさんが「環境」NGOと「貧困」NGOとの対立、という興味深い論点を出されているが、この辺については「またバークレーか」という感慨を抱いたぐらいで、あまり詳しくない領域なのでとりあえず置いておく。

 さて、もっぱらこちらの琴線に触れたのは記事後半部の、6年前にチベットを支援する人権NGOなどの反対運動で中止になった中国青海省の移民プロジェクトへの融資の話だ。というのも、このニュースは当時から気になっていてリアルタイムで色々調べたり(といってもネットの記事を集めただけだが)していたからだ。この問題に関する当時の関連報道は以下の通り。

CNNによるプロジェクト中止の報道
http://www.cnn.com/2000/ASIANOW/east/07/07/worldbank.china.02/index.html#3

一連の世銀批判の発端となったチベット・ニュース・ダイジェストhttp://www.tibet.to/tnd/index.html(現在は活動を停止)による一連のプロジェクト批判報道。
http://www.tibet.to/tnd/tnd36.html#1
http://www.tibet.to/tnd/tnd37.html#top(内容的にはこれが詳しい)
http://www.tibet.to/tnd/tnd39.html#1
http://www.tibet.to/tnd/tnd44.html#1
http://www.tibet.to/tnd/tnd44.html#3
http://www.tibet.to/tnd/tnd44.html#4


 マラビー氏の論説のなかでは触れられていないが、プロジェクトを検証する目的で省内の未開放地区に当局の許可を受けないまま立ち入ったアメリカ人の研究者が、公安に身柄を拘束され尋問を受けたのを苦痛にして、ホテルの窓から飛び降りて怪我を負うという「事件」も起きている。その件に関する報道は以下の通り。
http://www.tibet.to/tnd/tnd39.html#2
http://www.tibethouse.jp/news_release/1999/news30.html
http://www.tibet.to/tnd/tnd40.html

 日本では毎日新聞と共同が比較的よくこの件を報道していた。それらによると、世銀の理事会のなかではアメリカとドイツが最初から強固に反対していて、日本はどちらかといえば推進側だったのだが、反対運動の高まりを受けて最終的には日本も反対に回ったようだ。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/~kotosan/tibet/ticl0006.htm
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/kotosan/tibet/ticl0007.htm

 また、マラビー氏の論説の中で、「中国政府が勝手に移住プロジェクトを進めている」云々という箇所があるが、恐らくそれに関する批判がこれだ(ただしその後の経緯についてはフォローしていない)。

 さて、僕自身こういった問題については十分に考えの整理がついていない。中止になったプロジェクトが本当に問題のあるものだったのか、という点についてはマラビー氏の言うことが基本的にあたっているような気がする。ただし、文中では青海省の内部での移民だから問題ない、とされているが、同じ省といっても青海省くらいの広さとなると、歴史的経緯からいってもその東部と西部のアムドといわれる地域ではかなり文化的背景が異なる。プロジェクトに疑問を投げかけた人々は、まずこの点を問題視したのかもしれない。

 また、チベット亡命政府に近い団体が中国政府による大規模な移住計画に敏感になるのはある意味で当然といえるだろう。問題は、それほど現地の事情に熟知しているとはいえないであろうハリウッド俳優たちや人権NGO、さらには共和党右派までが一緒になって(いわば「マルチチュード的な連帯」が実現した結果)、世銀プロジェクトに反対し、とうとう中止にまで追い込んだことをどう考えるか、だ。

 結果からすると、確かに世銀の融資自体は中止になったが、反対運動の根本的な目的が実現されたとは言いがたい。上記のように、プロジェクト自体は中国政府の財政資金によって続行されたらしいからだ。さすがにNGOたちも中国政府が自前で実施するプロジェクトを中止させるだけの政治力は持っていない。さらに、今年中に列車の運行が予定されている青蔵鉄道の完成によって、政府による大規模な移住計画がなくてもチベット人居住地区の人口比率は大きく変わることが予想される。マラビー氏による、世銀がからんだ「よりましな」プロジェクトが撤退することによって、「より問題のある」プロジェクトが横行することになる、という指摘もあながち間違いではないかもしれない。

 ただ、こういった「チベット問題がからむとハリウッド俳優と人権NGOと共和等右派がかならず騒ぐ」、というパターンが繰り返されることによって、中国政府もチベットの開発には相当気を使わなければならない、という状況が作り出されていることも確かだ。チベット自治区だけではなく、青海省四川省などのチベット人居住区(自治州、自治県)が受け取る近年の一人当たりの財政補助金は恐らく内陸部でもきわめて高い水準にある。金さえ出せばいいというものでもないだろうが、こういった「政治的なアクティヴィスト」が騒ぐことで中国に住むチベット人の生活が全体的に改善していることは否定できない事実だ。

 が、これには落とし穴もある。まず、こういった「ハリウッド俳優が味方してくれない」少数民族たち、特にウイグル人などムスリム少数民族チベット人との生活インフラ面での格差が次第に大きくなっていく可能性がある。またチベット人居住区があまり財政的に優遇されることは、周辺の貧しい漢民族の自発的な移住を加速させる効果も持つ。また、もともと貧しいチベット人居住地区に手厚い補助金が与えられることは、この地区が「補助金漬け」になるということを意味する。そしてそういった補助金漬けになった地域では漢民族の移民の問題とは別に少数民族自身の生活が急速に漢族化していっている可能性が高い。もちろんそれは生活が豊かなほうがよい、という少数民族自身の選択の結果なのだが。

 というふうに事情は幾重にも入り組んでいるし、そこには単純な「答え」のようなものは恐らく存在しない。反スエットショップ運動をおこなっている学生やNGOについては、「まず現実を知れ」ということを自信を持っていえるような気がするが、チベットを支援しているハリウッド俳優やNGOに対してはあまりそういうお説教をする気にならない。現状を詳しく知ったからといって恐らく悩みが深くなるだけで、恐らく「より正しい」処方箋がすぐに出てくるというものではなさそうだからだ。その意味ではリチャード・ギアその他が余り物事を深く考えないでとにかくチベットというと騒ぎ立てるという「戦略」をとっているのは、個人のインセンティヴの観点からは合理的なのかもしれない。

 いずれにせよ、スエットショップの問題と異なり、経済開発に「政治」が絡んだ場合の難しさを痛感せざるを得ない。無責任なようだが、自分が経済学専攻でよかった、としみじみ(こっそりと)思うのはこういう複雑な問題を目の当たりにした時である。