先日、中国および台湾で辛亥革命100周年を記念する大がかりな式典があった。単に区切りがよいと言うだけではなく、今年が中国近代化100年の歩みの中で非常に象徴的な意味を持ちそうなのは、この100年間の中で中国の国際社会での地位がMAXに達していることだろう。それは、海外の著名な学者による中国論のスタンスにもよく現れている。
その代表的なものが、9月25日付の読売新聞に掲載され、かなり話題を呼んだフランシス・フクヤマの論考である。フクヤマは、政治面において権威主義的であり、経済面では国営企業に依存した中国の発展モデル(「中国モデル」)が、「大規模な経済政策の決定を迅速に、そしてかなり効果的に行える」点で欧米の自由主義的な経済体制よりも優位に立つものの、最高指導者へのチェックアンドバランスが働かないことや、成長優先の経済運営が行き詰まる可能性について警鐘を鳴らしている。この点に関し、ブログ「政治学に関係するものらしきもの」の以下の記事がその骨子を丁寧にまとめているので、参照されたい。
http://blog.livedoor.jp/amuro001/archives/3563436.html
ただ、ここではフクヤマの論説について直接論じたいわけではない。同様な指摘はイアン・ブレマーの『自由市場の終焉―国家資本主義とどう闘うか』や、マーティン・ジャックスの『中国が世界を支配するとき』といった、近年英語圏で出版された書物でも異口同音に述べられているものだといってよい。重要なのは、このような議論の背景には、もともと中国国内においてその「独自の発展モデル(「中国モデル」「北京コンセンサス」)を称揚する議論が政府に近い学者たちから提唱され、それが上記のような海外の有力な学者の言説と一種の相乗効果をもってお互いを補完する、という構図がみられることだ。そこでは、中国が西側先進国とは異質な「資本主義」の道を歩んでいるということが自明のこととされ、その上で中国は「異質」であるにもかかわらず(あるいはそれ故に)成功の道を歩んでいるという認識が(程度の差はあれ)共有されていると言ってよい。
もっとも、これはほんの少しまでは全く自明な認識などではなかった。本の4,5年前中国の台頭を語る言説というのは、例えばゲーム理論家のジョン・マクミランの著作(『市場を創る―バザールからネット取引まで (叢書“制度を考える") (叢書“制度を考える”)』)などに典型的なように、むしろ「中国も先進欧米諸国と同じように自由な市場経済を重視した、だから成功したんだ」というようなむしろ素朴な近代化理論に近いような言説の方が優勢だったはずだ(ティム・ハーフォードの『まっとうな経済学』でも同様な議論がされていた)。
だが、歴史を振り返るなら、中国の経済発展が普遍的なコースから外れた「異質なもの」であるか否か、熱心に議論されたのは決してこれが初めてのことではない。例えば、戦前の日本あるいは中国の研究界においても、このような中国社会の異質性をめぐる議論が盛んに交わされたことがあった。その代表的なものとして、中国農村における「村落共同体」の性質を巡って行われた、いわゆる平野−戒能論争があげられる。ただ、それら当時の議論と現在との違いは、当時における主要な関心事は、「中国の台頭」ではなくあくまでも「中国の停滞」であり、そしてそのような中国の状況が、マルクス主義に基づく唯物史観の標準的なコースから外れていることと関係するのかどうか、という点であった。後者の論点は、いわゆる「アジア的生産様式」というものが存在するのかどうか、ということをめぐる議論にほかならない。ここで強調したいのは、それが「停滞」を説明するものなのか、「台頭」を説明するものなののか、欧米社会に比べ「異質」とされるのが資本主義体制なのか社会主義への道なのか、という点を巡ってベクトルは正反対のようにみえるが、やはりかつての「中国異質論」と昨今の「中国異質論」には、多くの点で共通する点が認められる、という点である。
時々このブログでも紹介している、「孤高の」中国史家、福本勝清氏の長期連載「中国的なるものをめぐって」に、最近「カウディナのくびき」と題された論考が連続して発表されているが、これは上記のような二つの「中国異質論」を考える上で、大いに示唆に富むものだと言えるだろう。
「カウディナのくびき その一」http://www.21ccs.jp/soso/chinateki/chinateki_42.html
「カウディナのくびき その二」http://www.21ccs.jp/soso/chinateki/chinateki_43.html
「カウディナのくびき その三」http://www.21ccs.jp/soso/chinateki/chinateki_44.html
正直なところ僕は最初この記事を見たとき「カウディナのくびき」が何を意味するのかわからなかったし、それがどのような文脈で持ち出されているのかも見当がつかなかったなかった。しかし、今改めて読んでみると、これは近頃流行の「中国モデル」的な議論の「源流」を探るもの、といってもよいアクチュアルな意味合いを持つものであることがわかる。ここでいう、「カウディナ山道」とは社会主義というゴールを前にした険しい関門、つまりは資本主義体制のことを指す。つまり、単純化してしまえば、「カウディナ山道資本主義跳び越え論(以下、「カウディナ山道論」)」とは、ロシアや中国といった資本主義の成熟が遅れた諸民族・諸国家における、資本主義の成熟=カウディナ山道を跳び越えた、社会主義発展への道を正当化する議論である。そして福本氏が注目しているのは、近年中国の知識人の間で、このような「カウディナ山道論」こそがマルクスの晩年の思想を代表するものであり、その時点で彼はアジアの遅れた諸民族・諸国家にとって、資本主義化(具体的には植民地化)は不可避である、という初期の考え方を完全に捨て去ったのだ、ということを「実証」したりあるいはそれを前提とする論文が数多く書かれている、という事実である。
このことは、現在の中国の政治体制を考える上でどのような意味を持つのか、そしてどのような点で冒頭で触れたフクヤマの言説や体制派研究者達の「中国モデル」論と重なり合うのか、それは機会を改めて論じるとして、以下、とりあえず福本氏の論考から重要と思われる箇所を抜き書きしてみることにしたい。
一般的な議論として、非ヨーロッパ世界の、ヨーロッパとは異なった独自性や、後進性を云々することは、いつの時代においても、可能であったであろう。だが、20世紀社会主義のマルクス主義歴史理論においては、そうではなかった。長くなるので、はしょって言うと、マルクス主義の歴史理論は普遍的な理論である以上、それが通じなくなるような、独自性をもった地域があったり、民族や国家があったりすることは許されなかった。1949年以降の中国マルクス主義においても同様であった。中国のマルクス主義歴史家たちは、中国の歴史を普遍的な歴史法則を体現したものとして記述していた。もし、特殊性や独自性に言及するとすれば、この普遍性の範囲内においてであった。ソ連や中国においてアジア的生産様式論が異端とされたのも、その支持者を見つけるのさえ困難であったのも、それゆえであった。郭沫若や田昌五は、中国の歴史に対する異質性の押し付け(外部から中国史の異質性を指摘されること)をつねに警戒していた。
だが、1989-1991年以降、状況は変わった。ソ連・東欧社会主義圏の崩壊は、外部から中国の異質性を指摘し続けていた一方の勢力の消失を意味していた。さらに、重要なことは、中国がその歴史や社会の独自性や特殊性を強調しなければならない状況に陥ったことであった。1989年天安門事変以降、中国は世界の大勢に反して、20世紀社会主義を保持し続け、西欧諸国の人権問題をめぐる中国批判に晒されることになった。このような状況のなかで、党独裁を維持し、ともかくも西欧諸国との経済交流を維持しなければならなかった。自らを納得させ、外部からの批判をかわすためにも、中国と外国(西欧)との差異、国情の違いを強調することが必要であった。かくしてカウディナ山道の議論が発見され、それを中核とした東方社会理論が誕生したのである(以上、「カウディナのくびき その二」)。
カウディナ山道を冠した資本主義跳び越え論は、まず、中国の伝統的な社会秩序がアジア的生産様式によるものと規定することで、中国が西欧とは異なった歴史情況にあることを明確にし、性急な民主化は国情に合わないことを、暗にほのめかし、さらに、改革開放は短期間ではなく、長期にわたる過程であることを強調していたのだと考えられる。さらに、社会主義の実現のためには、スターリンや毛沢東の実践の失敗に明瞭に示されたとおり、ロシアや中国の、それぞれの自前の生産力では不可能であり、資本主義の先進的な生産力を取り入れることが不可欠であることを明示することによって、改革開放路線の継続を主張したものと思われる。すなわち、南巡講和に代表されるトウ小平の改革開放路線の擁護が意図されていることは明白である(「カウディナのくびき その一」)。
同じく、2000年以降、アジア的生産様式論においても、ほとんど見るべき成果はない。というのも、1990年代末以降、アジア的生産様式を冠したタイトルを持つ論文のほとんどは、東方社会理論と区別のつかないものであり、厳しい言い方をすれば、東方社会理論の下請けとなっているからである。アジア的生産様式を冠した論文の数が減ったわけではない。1980年代、90年代と比べて、同じか、むしろ増えているかもしれない。たぶん、それ以前の、アジア的生産様式論=異端といったレッテル貼りがなくなったためであろう。アジア的生産様式を論じても、異端とみなされる可能性がなくなったということは、本来は良いことである。だが、それはアジア的生産様式論が東方社会理論の下請けとなり、理論的な牙を抜かれたからであり、従来のような本格的なアジア的生産様式論は、書きたくても書けなくなった、といっても良いかもしれない。牙を抜かれてしまえば、逆に魅力がなくなり、優れた書き手に恵まれることもなくなる可能性がある(「カウディナのくびき その三」)。
繰り返しになるが僕自身十分に考えをまとめているわけではなく、詳しい検討は今後の課題としたい。ただ、一言だけ述べておくと、このような、本来は中国における社会主義発展の正当性を主張するための理論である「カウディナ山道論」と、中国における「資本主義的成長の独自性」を称揚する「中国モデル」は、両立可能なだけでなく、相互補完的な関係にある。なぜなら、この二つの議論がセットになったとき、現在の生産様式の根本的な変革を要請する社会主義社会の成立は、現状の「ユニークな」資本主義的成長の延長線上に無限に先延ばしされることになり、結果として現政権の正当性は遠い未来にわたってお墨付きを与えられることになるからである。