梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

汪暉、重慶事件を語る(下)

 (承前)汪氏の論説に対する批判の二点目は、彼が温家宝による「密室政治」を攻撃するあまり、現代中国社会における様々な矛盾をことごとく温とそのブレーン、ならびに彼らが推し進めようとしている「新自由主義」政策に帰する、という一種の陰謀論になってしまっている点だ。
 たとえば彼は、広東省に基盤を持つ南方系メディアを中心として「メディアの政党化」、「政治家のメディア化」が生じているとして、以下のような批判を行っている(『世界』7月号253ページ)。

第一級の党メディアの系統と第二級の党メディアの系統(たとえば南方系など)が緊密に連携をとって、民主、自由、開放の名の下に「真相政治」を弄んだ。それらの基調と温家宝の記者会見のレトリックは完全に一致するものであり、そこで「人民の目覚め」、「改革開放」、「政治民主」などの言葉が使われた。このような虚飾に満ちた言語が密室政治を通じて「真相」を操作するのである

 これでは、あたかも、南方系メディアは温家宝一派の情報操作の手段、第二の「党の舌」に成り下がっていると言わんばかりである。だが、それは本当なのか。

 南方系メディアの代表紙『南方都市報』は劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞した際に、空の椅子を並べた写真を一面に飾ったり、天安門事件の戦車で遊ぶ子供の絵を乗せたり、当局の規制ぎりぎりの「エッジボール」を投げかけてきたことで知られている*1。「第二級の党メディア」がどう考えても共産党内の支持を得られないような「危ない」記事を載せるものだろうか。それとも、これらの記事も温家宝が書かせたとでもいうのだろうか。

 汪氏の論説がはらむ問題点の三つ目、そして最も深刻なそれは、自らを特権的な立場に置いたまま「敵」を批判するというスタイルになっているため、論難する対象にむけた批判が自らに対して向けられる可能性に対し無自覚であるか、あるいはわざと気がつかないふりをしている、という点である。要は、彼自身の言説に対しては常に「オマエモナー」というツッコミが成り立つ、ということに尽きる。

 たとえば、彼はこんな物言いをしている(『世界』260ページ)。

周知の通り、「文革」は中国においてタブー視されている。徹底的に否定されると同時に、しかし公開的な研究が許されていない。政治公共領域において、これは分析できないもの、申し立てできないものである一方で、「敵」をやっつける口実にはされている。それはまるで呪文のようなもので、批判には使われるが、公開の議論には使われない。

 確かにそうかも知れない。それでは、汪氏が温家宝やそのブレーン(?)たる呉敬レンのような経済学者を非難する際に持ち出す「新自由主義」についてはどうか。それがきちんと定義された分析可能なものであり、空疎な中味のない概念などではない、と言い切れるだろうか?少なくとも僕には、それが彼らのような左派知識人にとって徹底的な否定の対象であり、論敵を非難する際の「呪文」のような役割を果たしている点では、温家宝による「文革」と似たようなものではないか、と思えてならない。

 また、中国政治の専門家、佐々木智宏氏のブログによれば、薄熙来の失脚の後、新華社ならびに人民日報で「新自由主義批判」が繰り返されているという。これは佐々木氏も指摘しているように、温家宝にによる薄熙来の追求を明らかに「やり過ぎ」と考える勢力が党内に一定程度存在し、巻き返しを図っている、ということを示すものであろう。

国有企業擁護は温家宝批判か(今日の『人民日報』-20120517)

新自由主義批判と国家資本主義への反論(今日の『人民日報』-20120517-2)

新自由主義批判は右派批判(今日の人民日報-20120607)
 
 問題は、このような紛れもない「第一級の党メディア」による新自由主義批判の論調と、今回の汪氏の論説に見られる新左派系知識人のレトリックが完全に、とは言わないまでもかなりの程度一致をみせていることだ。汪氏は、このような現象を「第一級の党メディアとそれに近い知識人たちが緊密に連携をとって、「真相政治」を弄んでいる」と「宿敵」たる南方系メディアから批判されたら、どのように反論するつもりだろうか?


 ・・以上、いささか意地の悪い書き方をしてしまったかもしれない。ただ、僕がこういったことにこだわるのも、ここにこそ現代中国政治をめぐる深刻な問題が隠されている、と感じるからだ。

 確認しておきたいのは、汪氏のような左派知識人も温家宝も、表面的な言説の上では、政治の公開性を高めることにより、民衆による権力へのチェック機能が果たされることを理念として掲げているという点である。そして、薄熙来のような独裁的・強権的な手法を用いる政治家が、その理念に真っ向から対立する者であることも、また自明であるはずだ。そうである以上、本来ならこの両者の間に何らかの協調が生まれ、協力して薄熙来的な強権政治を批判し、政治の公共性を高めた上で具体的な「社会実験」の方法について議論する、という方向に向かってもよかったはずである。しかし、実際に温の行ったことは、「法治」を掲げつつ、刑事事件の被疑者であるわけでもない薄熙来を長期間にわたり拘束するという、およそ「法」を無視しているとしか思えない強権的な手法により排除することであった*2。一方の汪氏などの左派系知識人はと言えば、そのような温の強権政治を強く非難しながら、そもそもそれを引き起こした薄熙来の手法の強権性については、まるでそんなものはなかった、あるいはあったとしても「どこにでもみられること」として片付けようとしているように見える。
 ここに鏡のようにくっきりと映し出されているのは、「政治」があまりにも肥大化した結果、本来、価値の多様性として認められるはずの意見の相違が、ことごとく「単一権力社会」*3における正統性争いに回収されてしまうという、近代以降の中国社会が歴史的に引きずってきた宿痾なのではないだろうか。

 さて、以上のような問題について詳細に論じる力量も時間も僕にはないが、最後に一言だけ記しておこう。汪氏のような左派系の知識人が良い意味での「左派」性を保ちながら言論活動を行っていくためには、今回の論考のように様々な社会矛盾の根源を、新自由主義という外部の思想に求めるのではなく、自らもどっぷりとつかった中国政治文化そのものに求め、それを「内破」させていく姿勢がどうしても必要になってくると思う*4。この点については、中国だけでなく、日本の政治状況についてもまさに同じことが当てはまると思うので、あえて強調しておきたい。

*1:例えば、以下の記事を参照のこと。http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20101219/p1

*2:この点に関しては、以下の記事を参照のこと。http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1977.html

*3:「単一権力社会」については、http://www.21ccs.jp/soso/chinateki/chinateki_20.htmlを参照のこと。

*4:彼の言説に対しこのような感想を抱いたのはこれが初めてではない。汪氏がチベット問題に関して、やはり問題の困難性を「オリエンタリズム」という外部の思想の存在に求めるあまり「出来事」への柔軟な感性を失っているのではないか、という批判は拙著『「壁と卵」の現代中国論』第10章で行っている。