梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

ネオリベラリズム、この融通無碍なるもの

 フランス大統領選挙に触発されてと言うわけじゃないけど・・

帝国の条件 自由を育む秩序の原理

帝国の条件 自由を育む秩序の原理

 この本は、今後ネオリベラリズムに関する議論において一つの「土台」を提供する、言い換えればネオリベラリズムを論じようとするものにとっては何らかの「格闘」を強いられる力作ではないだろうか。後半部の具体的な「新しい世界」の構想を論じたところには異論も多いだろうし、それをきちんと論じる力はとてもないのだけど、少なくともネオリベリズムとネオコンサバティズムなどを論じたくだりは僕のような者にもとても参考になった。

 その点では、やはり最近訳がでた以下の本

新自由主義―その歴史的展開と現在

新自由主義―その歴史的展開と現在

 と対比させながら読むと面白いだろう。両者のネオリベラリズム観には実は共通する点が多い。どちらも、ネオリベラリズムがある種の融通無碍さをもっており、それゆえ定義が難しいという認識から出発する。この融通無碍さのために、イデオロギーとしては小さい政府を掲げる多くの「ネオリベラリズム国家」において軍事費を初めとした財政支出がちっとも減らなかったり、一見「自由」という価値観を共有していなさそうな東アジアの権威主義国家がネオリベラリズムと親和的であったり、という一見矛盾する現象が生じる。要するにネオリベラリズムの浸透は、必ずしも各国の政治体制の収斂をもたらさず、「地理的不均衡」を伴ったものにならざるを得ないのだ。このほか、国家権力からの個人の自由を重視する左派勢力がネオリベラリズムの台頭において少なからぬ役割を果たしたこと、各国におけるネオリベラリズム的政策の採用は、必ずしも良好な経済パフォーマンスをもたらさなかったこと、などの点でも両者の認識は一致している。

 ただし、筋金入りのマルクス主義者であるハーヴェイにとってみれば、そのようなネオリベラリズムの融通無碍さは、それがグローバル資本による剥き出しの弱者簒奪行為を支えるイデオロギーであることから端的に生じたものである。それに対し橋本氏は、ネオリベラリズムの本質をそれが異質なものを飲み込みつつ進化するいわば「未完のプロジェクト」であるところに求めており、その融通無碍さゆえにマイノリティなどの対抗運動をいわば「内部化」する形で、「善き帝国の秩序」として再編されることも基本的に可能だ、と考えているようだ。
 この点で橋本氏の議論は、スティグリッツクルーグマンのような、グローバルな貿易体制の問題点を批判しつつそれを洗練されていこうという立場とは共鳴しあうものの、ヨーロッパの「社会的連帯」の伝統に根ざした社会民主主義新自由主義への対抗原理として考えていこうという立場とは、潜在的な緊張をはらんだ関係にあると言えるのかもしれない。

 また、本書における新保守主義、いわゆるネオコン論も非常に示唆的だった。橋本氏はまず、他者への理解を欠いた冷血エリートによるアメリカの一国覇権主義、という通俗的ネオコン理解を徹底的に退ける。その上で、実際の新保守主義を、「福祉支援から就労支援へ」という、(ヴィクトリア時代の)イギリスにおける道徳哲学の伝統に基づいた福祉政策と、レオ・シュトラウスの思想に導かれた、国際秩序における「美徳」を追求する介入主義的な外交政策とを二本の柱とする、思想史的に重要な意義を持つものとして(最終的には乗り越えられるべき思想だとしながらも)非常に高い評価を与えている。

 また、このような新保守主義の思想はハンナ・アレントの政治哲学との親和性が強いこと、またその具体的な政策はブレア時代のイギリスで採用された「第三の道」のそれに酷似したものであること、などの指摘には一見驚かされたが、言われてみれば目からウロコ、と言う感じだった。そういえば宮台真司氏も、第三の道へのコミットメントを表明する一方でネオコンを高く評価していたように記憶する。

というわけで、橋本氏自身が構想する「善き帝国秩序」とは、恐らくはネオリベラリズムネオコンサヴァティズムの批判的乗り越えの上に形成された、「自生化秩序」と「超保守主義」という二つの理念に支えられたものとなる。そしてその担い手となる主体は「全能人間」とも言うべき存在になるだろう、というのだが・・

 それにしても痛感するのは、ネオリベラリズムに批判的な勢力は中国の現状あるいは現体制に対しても批判的である、と言う構図が(日本以外の)世界的にはかなり決定的な流れになりつつある、ということだ。ハーヴェイにとってみれば、現在の中国で起こっていることこそ、グローバル資本が融通無碍(=無原則)な権威主義的国家体制の庇護をうけつつ土地なし農民、血汗工廠の女子労働者、そして炭鉱労働者などの「弱勢群体」を食い物にする「原始的蓄積」の過程にほかならない。橋本氏は中国などの新興国の現状についての具体的な言及は行っていないが、グローバルな「正義」を追求するための国際貿易秩序の実現のために、基本的人権などの点で問題のある国からの輸入に高い関税をかけることを提唱している。もしこれが現実化されれば、各国の中国からの輸入をある程度抑える働きを持つことは間違いないだろう。

 僕の主たる関心ももちろん、ネオリベラリズム(それは中国の思想的的文脈における「新自由主義」とは必ずしも一致しないが)と現在の中国との関係をどう捉えるかというところにある。これについてはまだ自分の中で答えは出ていないので、しばらく考え続けていくことにしたい。