梶ピエールのブログ

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 ついでにというか、今年7月に配信された『αシノドス』vol.223に寄稿した「「毒入り餃子事件」が浮き彫りにしたもの」という文章についても以下に紹介します。

今から約10年前、2007年12月から08年1月の間に、中国河北省の食品会社「天洋食品」が生産した冷凍餃子を食べた千葉、兵庫の3家族、計10人が中毒症状を起こし、うち子供1人が一時重体になるという事件があった。いわゆる「毒入り餃子事件」である。

天洋食品が生産した餃子によって中毒患者が相次いだことが日本メディアで報じられると、中国政府も高い注目を示した。すぐに専門家調査グループを立ち上げ、河北省の出入境検験検疫局に対し、同社に残されている商品や原料、補助材料などを検査するよう指示が行われた。日本側も内閣府厚生労働省農林水産省、外務省の官僚で構成された調査チームを現地工場に派遣し、調査を実施した。
 そして、事件発覚から2年後の2010年3月、河北省警察は天洋食品の元従業員・呂月庭の拘束を発表した。その4年後、2014年1月20日に中国・河北省でこの事件の公判が開かれ、裁判所は、生産過程で餃子に殺虫剤を混入した罪に問われていた呂被告に無期懲役と政治権利の終身剥奪の判決を言い渡し、政治的権利も生涯にわたり剥奪するとした。日本中に衝撃を与えた「毒入り餃子事件」は、こうして事件発生後から6年後にようやく解決をみたのである。

 さて、この毒入り餃子事件は、日本社会において「中国産食品というリスク」をクローズアップし、「中国食品離れ」をもたらしたように受け止められている。確かに、2008年には毒入り餃子事件だけではなく、中国国内で起きた牛乳に窒素分の含有量を上げるための化学物質メラミンが混ぜられていた事件(「メラミン入り牛乳事件」)も報道され、消費者による中国製食品離れの動きは一気に加速した。それと並行して、後にテレビ局の「やらせ」であることがわかった「ダンボール肉まん事件」や、一旦廃棄された食用油の再利用(「地溝油」)や、「豚肉を牛肉のように見せる薬品」「(薬品で膨張させたため)破裂する西瓜」など、中国国内の食の安全に関するおどろおどろしい情報を日本の週刊誌やワイドショーはこぞって報道した。このような中国製食品のイメージの悪化のためか、一時期はスーパーの店頭に山積みされていたネギやシイタケなど、中国産の野菜は事件を境にすっかり姿を消した。

 では、「毒入り餃子事件をきっかけに生じた中国産食品離れ」という理解は本当に正しいだろうか。以下、日本の官公庁が公表している日本と中国の貿易統計をもとに検証してみよう。

図1 日本の農産物輸入先の構成(%)
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出所: 農林水産省ウェブサイト(http://www.maff.go.jp/)より

 まず図1は、農林水産省の統計から、日本の農水産物輸入先の構成比の動向を示したものである。中国からの農水産物の輸入は、2000年以降ずっとアメリカ合衆国に次ぐ第2位であり、その比率は2008年こそ、毒入り餃子事件の影響か、やや落ち込みを見せたもののすぐに回復し、その後は一貫して全輸入の13〜14%で推移している。
 次に、主な生鮮野菜(たまねぎ、にんじん・かぶ、長ねぎ、しょうが)の輸入の動向を見てみよう(図2)。ここから確認できるのは、中国産生鮮野菜の輸入は2000年前後から急増したこと、輸入量は冷凍ホウレンソウの残留農薬問題が報道された2002年や、毒入り餃子事件が起きた2008年前後にいくつかの品目で明らかに落ち込みがみられたものの、すぐに復活し、その後は(年によって変動はあるものの)順調に伸び続けている、ということである。

図2 日本の中国産生鮮野菜輸入量の推移
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出所:財務省貿易統計(http://www.customs.go.jp/toukei/info/index.htm)より。

 このほか、冷凍野菜や鶏肉・水産物の加工品も大量に輸入されて続けているし、タケノコやはちみつ、もやしの原料となる緑豆などいくつかの食材について、対中国依存率は依然として高いままである。例えば林野庁のウェブサイトによると、平成26年における国内のタケノコ消費の84%が輸入品であり、一方タケノコの加工品の輸入量は中国からが76,978トンと、2位となるタイからの輸入539トンを大きく引き離している。

 では、肝心の安全性についてはどうか。
 厚生労働省が毎年公表している「輸入食品監視統計」のレポートによると、2015年における検査違反件数は中国の 170 件(19.8%:総違反件数に対する割合)が最も多く、次いでアメリカの 76 件(8.9%)、タイ 70 件(8.2%)、ベトナム 68 件(7.9%)などとなっている。しかし、ここから「やはり中国産の食品は安全性基準を満たさないものが多い」と早合点してはいけない。
 この違反件数の多さは、検査総数の多さを反映したものである。同年における中国食品に対する検査件数は74,086件と、他国に比べて断然多く全体の約37.9%を占めている。穀物の輸入が中心のアメリカ産等とは異なり、中国産の農水産物は少量多品目を輸入しており、検査数はほかの国に比べて圧倒的に多い。検査全体の違反率でみると、中国産の食品の違反率は0.2〜0.3%と一貫して世界平均を下回っており、他国からの輸入食品に比べても厳しい品質管理が実施されていることが分かる(表1参照)。

表1 輸入食品が安全基準に違反する割合
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出所: 厚生労働省医薬食品安全局食品安全部「輸入食品監視統計」より。

 以上みてきたことは、何を意味するだろうか。まず言えることとしては、輸入量で見る限り、日本において「中国産食品離れ」と言えるような事態は生じていないということである。また、中国からの輸入食材が他国からの輸入品や国内産の食材に比べて安全性が低いことを示す客観的な根拠もない。それどころか、安全性への懸念が高い分、生産の現場では日本ができないレベルの高度な品質管理がなされている、と指摘する専門家も少なくない(松永、2014)。
 にもかかわらず、「中国産」と明確に表示された食品は相変わらず忌避され続け、人件費の高騰などにもかかわらず、価格も国産品に比べ大幅に低くなければ売れない状態が続いている。そういった中国の輸入食材は、産地の表示が義務付けられているわけではない飲食店の食材や加工食品の原材料に使われているか、緑豆もやしのように、日本に輸入されてから手を加えられることで「国産品」として扱われるか、あるいは産地が偽装されているか、いずれかの方法で消費されていると考えられる。言いかえれば中国産の食品は引き続き日本の輸入されているのだが、「中国産」であることがなるべく意識されない形で人々の口に入っている、ということである。
 また、中国産食品のイメージとして定着した「安さ」こそが「危険さ」のスティグマとなったという側面も否定できない。この状況は、経済学でいう「レモンの市場」の応用問題としても解釈できるだろう。ノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフが唱えたこの議論は、もともと中古車市場を対象としたものである。中古車の買い手と売り手の間で車の品質に関する情報が同じではない=非対称だと、故障車(レモン)かもしれない、というリスクの分だけ販売価格がディスカウントされるので、正常な車の持ち主が市場から退出してしまい、ますます故障車の確率が高くなる、という、いわゆる「逆選択」と呼ばれる現象のメカニズムを解明したものだ(アカロフ、1995)。
 すでに述べたように中国からの輸入食品のうち、安全性の面で問題のあるものの割合は極めて少ない。にもかかわらず、このような輸入食材は消費者と生産者との「情報の非対称性」が大きい、すなわち具体的に中国のどの産地・工場で作られたものなら安全なのか、という情報を消費者が入手するのが難しい。このため、いったん「中国産」というだけで安全基準を満たさない食品(レモン)の確率が通常よりも高い、とみなされてしまうと、「中国産」と表示された食品全体の価格低下につながってしまう。どうせ安くしか売れないのであれば、品質の高い高付加価値のものはそもそも市場に出回らなくなるからだ。
 消費の社会心理について研究している関谷直也は、その著書『風評被害』の中で、消費者の僅かな不安、僅かな嗜好の変化が、その心理を「先読み」してリスクを避けようとする小売りや卸売りなどの流通業者の行動によって増幅され、大きな需要の変動となる効果(「ブルウィップ効果」)が働くことを指摘している(関谷2011)。毒入り餃子事件の後、中国産の生鮮野菜が大手スーパーから消えたのも、実際に消費者が不安に思った以上に、「消費者が不安に思うだろう」と感じた業者が一斉に仕入れを控えたことによる、流通の川上段階での「ブルウィップ効果」が大きかったのかも知れない。現在でも中国産の食品がいかに危険か、を強調する煽情的な報道は後を絶たない。しかし、それらのほとんどは中国国内の、すなわち日本の市場に入って来る可能性のほとんどない食品の問題を、輸入食品の安全性の問題にすり替えるというトリックを用いたものである(松永、2013)。
 もちろん、消費者が食品の産地の選択について非合理的な行動をとることを、頭ごなしに批判はできないだろう。「食べる」という行為は極めて生物的な営みなので、合理的で冷静な判断よりも「なんとなくイヤだ」、という感覚が優先されるのは自然なことだからである。しかしこのことは逆に、中国産の食品の評価が低いのは、必ずしも消費者がその品質を合理的に判断した結果ではない、ということを物語っているのではないだろうか。 
 いうまでもなく、東日本大震災を経験した私たちは、これと全く同じ「産地の選択に関する非合理的な行動」が、すでに各種の検査によって安全性が確認されている福島産の農産物に対していまだに横行していることを知っている。そのことを踏まえるなら、現実には中国産の食品への依存が続いているにもかかわらず、「中国産」とラベルの貼られた食品について消費者の多くが「生理的に嫌だから」といって敬遠し続ける、という現在の状況は、やはりあまり健全なものとは言えないだろう。その意味で、毒入り餃子事件によって浮き彫りになったのは、実は事件を生み出した中国社会というより、私たちの住む日本社会が抱えている問題点だ、と言えるのかもしれない。

参考文献
梶谷懐(2011)『「壁と卵」の現代中国論:リスク社会化する超大国とどう向き合うか』人文書院
関谷直也(2011)『風評被害:そのメカニズムを考える』光文社新書
ジョージ・アカロフ(1995)『ある理論経済学者のお話の本』幸村千佳良、井上桃子訳、ハーベスト社
丸川知雄(2008)『「中国なし」で生活できるか:貿易から読み解く日中関係の真実』PHP出版社
松永 和紀(2013)「“中国猛毒食品”のトリック(上)(下)」FOOCOM.NET、2013年4月11日、4月12日 
http://www.foocom.net/column/editor/8925/http://www.foocom.net/column/editor/8959/
松永 和紀(2014)「中国の期限切れ鶏肉問題—ファミマ社長の「裏切られた」にがっかり」FOOCOM.NET、2014年7月24日(http://www.foocom.net/column/editor/11373/