梶ピエールのブログ

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電子マガジン「αシノドス」vol.234+235で「今年の1冊」として陳光誠著『不屈:盲目の人権活動家 陳光誠の闘い』を紹介しました。寄稿した文章は以下の通りです。

 急速な経済成長を続ける中国は、まだ社会主義なのか、それとも資本主義なのか。こういった議論は、現実にもはや意味を持っていない。いかに共産党が「表の」支配イデオロギーとして社会主義思想の徹底を訴えようとも、現実にはグローバルな資本主義の論理が、「私利私欲」を追求する人々の「本音」を反映しつつ、いわば「裏の」支配イデオロギーとなっているからだ。
その上で、民衆の野放図な「私利私欲」の追求に対し、党と国家が「正義」の看板を振りかざし上からタガをはめる現状を肯定するのか、それとも「私利私欲」の肯定の上に成立する市民社会が自律的な公共性の実現を目指していくのか。真の思想的な対立はこの点にある。

本書は、盲目の人権活動家として著名な陳光誠氏が、一人っ子政策の徹底のため横行する強制堕胎に対する集団訴訟など、弱者の人権を守る活動をいかに粘り強く進めてきたか、有名になった彼を政府がいかに弾圧し、そして逮捕・軟禁したか、さらには陳氏がどのように厳しい監視の目をかいくぐって逃亡し、そして米国に亡命したか、その全ての経緯を記した手記である。
人権の保護も、言論の自由も、中国の憲法や法律にきちんと書き込まれている。しかし、その実現を一市民が訴えようとすると、どれほどの困難にさらされることか。陳氏は、現代中国において党や国家に頼らず「公共性」の実現を目指す行為が、いかに徹底した弾圧にさらされるか、そのことをまさに身をもって示してくれている。
目の見えない著者が「記憶」と「勇気」だけを頼りに軟禁された自宅から自力脱出を遂げる冒険小説さながらの描写は、特に読むものを引き付けるだろう。しかし最も考えさせるのは、陳氏が北京の米国大使館に駆け込んだ後、米中両国間のパワーゲームの取引材料とされることへの戸惑いと苦悩を率直に記したくだりである。
日本では、政治的に「リベラル」な立場にある人々ほど、「対米従属が日本の民主主義を蝕んでいる」といった主張をしがちである。しかし、陳氏を最終的に救ったのが米国政府であることは間違いない。それは、現在の米国が、様々な矛盾を抱えながらも、市民社会の基盤の上に公共性を実現しようという理念に基づく国家だからにほかならない。
今年11月に日本を訪問した陳氏は、中国の人権状況の改善に向けた日本の政府と市民の役割の重要性を訴えた。日本に住む私たちは陳氏のメッセージを受け止めつつ、日本における民主主義や市民社会をめぐる議論を、一歩前に進めていく必要があるのではないだろうか。

不屈:盲目の人権活動家 陳光誠の闘い

不屈:盲目の人権活動家 陳光誠の闘い