梶ピエールのブログ

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深圳のデザインハウスに見る「仲介」と「パクリ経済」の効用

 最近国立大学では冬休みがどんどん短くなってきていて、この年末から正月にかけてもまともに読書する時間が持てなかったのだが、その中では藤岡淳一『「ハードウエアのシリコンバレー深セン」に学ぶ』(インプレスR&D)がとても印象的だった。

 藤岡氏は、深圳に本社を持つEMS企業、ジェネシスの創業者・社長として2001年から10年以上にわたって深圳の製造業の現場で活躍してきた実業家だ。通常、中小企業のオヤジが成功談を本にしましたというと、他人にはあまり参考にならない苦労話、自慢話でお腹イッパイ、、と思われがちだが、この本はそういった類の本とは全く違う。それどころか私自身、これまでよくわからなかった、深圳の持つ二つの顔、コピー製品が横行する「山寨(パクリ)のメッカ」としての顔と、ハードウェア―のシリコンバレーとして注目された「メイカーの天国」としての顔が、どのように有機的に結びついているのか、藤岡氏の手記を読んで、ようやく腑に落ちたという次第だ。

 昨年末山形浩生氏が、この本の紹介をネットの記事で書いていて、そのことでこの本について知った人も多いだろう(「うわべだけで「深セン」を語る恥ずかしさ」)。ただ、この紹介記事も、どちらかというと初心者に深圳に関心を持ってもらう目的で書かれていて、上記のような「山寨とメイカーの共存」にみられるような、「深圳の秘密」のコアの部分には触れていない。
 また、高口康太氏のNewsweek誌12月19日号に寄稿した記事「日本の敗退後、中国式「作らない製造業」が世界を制する理由」は、藤岡氏へのインタビューがベースになっていて、専門家にとってもためになる素晴らしい記事だが、ウェブ版では残念ながら途中で記事が切れてしまっている。

 では、その「山寨のメッカ」と「メイカーの天国」を結びつける深センの秘密のコアの部分とはなにか。「デザインハウス」がその答えである。デザインハウスとは何か。デザインハウス(IDH、方案公司)は、電子機器の回路図などの設計から製造支援までを担う統合型企業で、特に製品の開発の際の部品の調達などにおいて大きな影響力を持っている。例えば、顧客からインテルクアルコムなど大手IT企業のチップを使用して製品を開発してほしいという要望があった場合、メーカーはインテルの傘下にあるデザインハウスにマザーボードを発注する。すると、デザインハウスはマザーボードの設計と共に使用する部品およびメーカーのリスト(BOMリスト)を提供してくれる。つまり、デザインハウスが提供する電子回路の設計図と購買リストがあれば、ノウハウがない企業でも新製品を出すことができる、というわけだ。

 では、なぜこのデザインハウスが重要なカギを握るのか。

 これまで私は、次のように考えていた(「交錯する「山寨のメッカ」と「メイカーの天国」」参照)。すなわち、華強北の雑居ビルであらゆる種類の電子パーツがしかもきわめて多くの零細な業者によって販売されているという状況は、中間部門に競争原理が働くことで費用逓減を引き起こし、産業全体の生産性を引き上げる、だから同じ産業に位置する、よりオリジナリティを重視したメイカー系のスタートアップ企業にも恩恵を及ぶに違いない、と。
 だが、いろいろな人から話を聞いて見ると、このロジックは現実にはあまり当てはまらないということが分かった。例えば、メイカーフェアでブースを出展している、華強北の魅力にはまって年に2〜3回通っているというお兄さんは僕たちに次のように語った。「華強北では確かにあらゆる種類の電子部品がそろいますが、不良品もむちゃくちゃ多いので、私みたいに半ば趣味でやっているような人間ならいいでしょうけど、まともな製品を作ろうとするならまずここで部品を調達しようとはしないでしょうね」。つまり、華強北の専業市場で清算される部品のレベルと「それなり」の製品のレベルとの間には、思ったよりも大きな乖離があったのだ。
 では、「山寨のメッカ」華強北に代表される、工程の細分化→零細企業の参入→費用逓減、というプロセス・イノベーションのサイクルの恩恵は、プロダクト・イノベーションを目指すメイカー)たちには及ばないのか。このところの「謎」が自分にはよくわからなかったのだ。
 そのミッシングリングをつなぐ役割を果たしてくれたのが、本書によって詳細に説明された深圳でのモノづくりにおけるデザインハウスの役割の重要性である。以下のような本書の記述が、有象無象だらけの深圳において「まとも」な部品業者を見つけ出す「案内人」としてのデザインハウスの重要性を余すことなく語っている。

 彼らから手渡されたBOM(Bill of Material)を見て、私は仰天した。BOMとは製品を構成する部品のリストだ。方案公司が担当するのはあくまで基板設計である。使う部品についても決めなければ設定はできないとはいえ、どういう液晶パネルが必要か、どういうマイクが必要かといったざっくりとした仕様が書いてあるものだとばかり思い込んでいた。 ところが渡されたBOMを見るとどうだろうか、仕様どころか取り付ける部品の種類まで特定されている。さらには「朱さん 138******」など買い付けのための電話番号まで書いてあるではないか。

 拍子抜けとはこのことだ。無数にある部品メーカーからサンプルをかき集めてテストを繰り返し・・・といった工程は全て無用。BOMに書いてあるとおりに電話して部品を買い集めてくれば良いだけだった。部品の品質等については我々が検品して確かめなければいけないが、指示通りの部品ならば少なくとも組み合わせた後の相性は保証されている。

 この電話番号付きBOMを手にして、私はようやく深圳のエコシステムの秘密を悟ったのだった。本書冒頭で書いたとおり、工場や部品メーカー、方案公司、検査会社、物流などサプライチェーンが整備されていることが強みだが、それだけではエコシステムは成り立たない。無数のプレーヤーが乱立している深センはいわばジャングルであり、森をかきわけて最適解を見つけることが極めて困難だ。ガイドが必要なのだ。
 方案公司は単に基板設計を担っているだけではなく、ガイドの役割を果たしている。本来ならば極めて難易度の高いはずの深圳エコシステムの活用を容易なものへと変えてくれる。私にとって大きな驚きだったし、おそらく今まで誰も明かしたことがない深センの秘密ではないかと思う。

 このデザインハウスの面白いところは、その経済的機能が限りなく「仲介業者(流行りの言葉でいえばマッチングプラットフォーム)」のそれに近い、ということだろう。そこが、EMSとは確かに、電子機器の設計を手掛けているという点ではものづくりの一端を担ってはいるのだが、むしろその専門的な知識と人脈を生かしてEMSやメーカーとインテルクアルコムのような大手IT企業、そして無数の有象無象を含む零細電子部品メーカを「仲介」し、取引に伴うリスクを低減するところにその核心はあるように思われる。
 実はこの「仲介業者」が重要な役割を果たすところは、復刊が決まった足立啓二専制国家史論』など、多くの書物でも指摘されてきた、中国の商取引の伝統的なパターンに非常によく似ている。もちろん、伝統中国における遠隔地貿易などでみられた仲介の形態(客商―牙行システム)と、現在の製造業におけるそれは同じではない。後者において「仲介する存在」が重要性を持つのは、中国の製造業が工程のアウトソーシングと激しい同業者の競争(いわゆる「垂直分裂」)によって生産性を引き上げたことと深い関係がある。アウトソーシングと新規参入を繰り返すことにより確かに中間財のコストは低減するが、その分無数に部品調達先のうちどこを選べばよいのか?選んだ相手の「裏切り」をどう防げばよいのか?という企業理論でいうところのP-A(principal-agent)問題が必ず発生するからだ。
 ある程度までは、アリババのようなEコマースの企業が提供するような顧客評価システムによる「評判」を通じてP-A問題を解決することも可能だろう。しかし、より専門的な製造の現場ではそれは限界がある。また、日本の「系列取引」のように長期間の安定した取引でP-A問題を解決する、という方法も、変化の目まぐるしい電子産業の分野では適切ではない。これまで取引していた部品業者よりもっと安くてよい品質の業者が参入してくるかもしれないし、メーカー自身情況に応じて製品のラインナップを常に変えていかなければならないかもしれない。そして手がける製品が変われば、取引すべき部品業者も変わってくるからだ。
 そこに、デザインハウスのような高度な技能と知識を持った「設計も行う仲介業者」が重要な役割を果たす余地があるのだろう。

 さて、アジア経済研究所で中国の産業研究をリードしていた故・今井健一氏がその先駆的な調査レポートで指摘しているように(「中国地場系携帯電話端末デザインハウスの興隆」)、デザインハウスのビジネスモデルが深圳で広がるきっかけは、今世紀初頭の山寨携帯の爆発的な広がりにあった。つまり、それはもともと「素人同然のメーカー」と「有象無象ばかりの零細部品企業」を仲介することによって、「パクリ行為」をビジネスとして成り立たせるのにに適したシステムだったわけだ。しかし、現在ではそれが製品開発の固定費を引き下げ、イノベーションやメーカー系のスタートアップを促進するシステムとしても機能している。ここがとても興味深いところだ。 
 だが、よく考えればこれは当然の現象でもある。本書でも説かれているように、スタートアップ企業は自己資金やクラウドファンディングによる資金調達が主で、少ない資本の中での立ち上げが求められる。特に、メイカ―ムーブメントの中心にあるようなIoT関連のビジネスにおいては、利益をもたらすコアの部分はコンセプトやソフトにあるので、ハードウェアの立ち上げの際のコストとリスクは少なければ少ない方がいい。そのコストとリスクを引き下げる必要性は山寨携帯のビジネスを成り立たせるものとそっくり同じで、その「エコシステム」がハードウェアのスタートアップ企業にとっても非常に有用だった、ということではないだろうか。
 いわばパクリ行為が横行しているがゆえに、それをビジネスとして成り立たせるシステムが自生的に出来上がっていき、そのシステムが同時にクリエイティブな企業のリスクテイキングな行為もサポートするような「意図せざる機能」をも持ってしまう。この10年余りの深圳で生じたことはこういうことだった。これはラウスティアラ=スプリングマンの『パクリ経済』でも指摘されていない、「パクリ経済の効用」というものではないだろうか。

 藤岡氏のジェネシスも、デザインハウスとは異なるビジネスモデルではあるが、スタートアップ企業の製品量産化の支援などにも深くかかわることによって、ものづくりのアイディアにあふれた起業家とエコシステムとの「仲介者」となることを意図的的に目指しているようだ。
 日本の製造業の地盤沈下が叫ばれるようになって久しい。しかし、それは必ずしも日本人や日本の企業の「ものづくり」がダメになった、ということを意味しないだろう。むしろものを作る能力だけではなく異質な存在を「つなぐ」「仲介する」能力が求められているにもかかわらず、そのノウハウが全くと言っていいほど既存の企業の中に蓄積されていないところに、問題の根本はあるような気がしてならない。その意味で、藤岡氏のように「つくる」だけではなく「つなぐ」「仲介する」プロでもある(そしてこの書籍で「語る」「伝える」ことのプロでもあることも証明された)、新しいタイプの企業人の活躍に、今後も期待していきたい。



パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する

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