梶ピエールのブログ

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 7月28日付のマレーシアの華字紙『星州日報』に「”不均衡発展”的中国経済」という記事を寄稿しました。
 日本語の元原稿は以下の通りです。

「まだらな発展」を遂げる中国経済

今年6月、中国の大手電子機器メーカー華為技術が千葉県船橋市に「製造プロセス研究ラボ」と名付けられたR&D施設の建設を予定していると報道された。これまで、海外直接投資というと日本から中国に対して行われるもの、という固定観念があった日本では、このニュースはある種の驚きをめぐって受け止められた。華為はいうまでもなく、通信事業者向けのコンピュータや通信機器が売り上げの約60%を占めているB2Bの巨人であるが、日本ではSIMフリーの携帯端末のメーカーとしてのイメージが強く、その世界レベルで評価される技術力の高さなどについては、これまで十分に認識されていなかった。
 ここでは、華為の高いレベルの技術に支えられた、知的財産権に関する戦略に注目したい。というのも、華為の本社がある深圳市では、知的財産権の保護に関して、考え方の全く異なるいくつかの企業群が共存しているからだ。
 華為は自社内に8万人のR&D(研究開発)要員を抱え、特許の国際申請数では2014年、15年と世界一に輝いている。ただし、このように独自技術を開発し、特許でそれを囲い込む、という知財戦略の王道を行く企業は、中国全土でもそれほど多くはない。
 近年、深圳の電子産業で注目を浴びているのは、いわゆるメイカー・ムーブメントによって彼の地に集まってきた、アイディアはあるが資金や技術力に乏しい起業家(メイカー)のスタートアップを支援するような企業だ。その中心に位置する企業の一つ、Seeed(深圳矽递科技有限公司)は、プリント基板や電子パーツを顧客の依頼に応じて小規模からの生産を行っている。この企業のユニークなところは、自社製品のデータを外部に公開する、いわゆるオープンソース戦略を採っていることだ。オリジナルの技術を特許などで保護せず、自由にコピー・改良することを認めることでイノベーションを進めていこう、という先進的な考えを反映している。
 一方、深圳の中心部にある華強北の電子街では、スマホなどを中心に初めから知的財産権など無視した零細な企業によって生産された、廉価な「山寨品」が山と積まれている。ハードウェアのオープンソースという先進的な試みも、どうせ山寨品が出回ってしまうなら、初めから技術を囲い込まずにオープンにした方がいい、という発想がその背景にはあるのかもしれない。
 やや乱暴にまとめてしまえば、深圳の電子産業ではその知的財産権への姿勢において、山寨メーカーのようなプレモダン層(全くの無視)、華為のようなモダン層(特許を通じた保護)、Seeedのようなポストモダン層(オープンソース)、という3つの全く異なる姿勢が混在している。法体系や政府の規制という観点からは、これら3つの層のいずれに焦点を合わせるかによって深刻な矛盾が起きるようにも思えるが、そういった「上から」の設計によっては生まれてこない偶然に生じた多様性が、深圳の強みとなっているように思われる。
 さて、このような、プレモダン、モダン、ポストモダンという三つの層の共存は、現在の中国社会では比較的よく見られる現象である。もう一つの例として、近年目覚ましい勢いで拡大しているシェアリング・エコノミーをめぐる状況を挙げることができよう。国家情報センターが今年2月に発表した『中国シェアリング経済発展報告2017』によれば、2016年シェアリング経済の市場規模は3兆4520億元と前年比103%の増加、また就業する人々は前年に比べ約1000万人増加し6千万人を超えているとされる。
 このようなシェアリング・エコノミーの拡大により、そこに就業する「新しい非正規労働者」の権利をどう保障するのか、ということが問われている。例えば滴滴出行に登録しているドライバーは、同社の従業員なのか、それとも個人事業主なのか。その労働者としての権利はどの程度守られるのか、あるいは年金などの社会保障は誰がカバーするのか。これらの点が中国の労働問題専門家の間では一大関心事になっているのだ。
 その一方で、代表的な非正規労働者である農民工の置かれた不安定な状況や劣悪な労働環境など、労使間における古くからある矛盾や問題はいまだ解決をみていない。中国社会ではこれらの「古い」労働問題の解決に寄与するはずの近代的諸制度が十分社会に根付いておらず、それゆえにかえってシェアリング・エコノミーなどの「新しい」現象が急速に広がりつつある。すなわち、知的財産権をめぐるようなプレモダン・モダン・ポストモダンの重層性が、労使関係をめぐる現場でも生じているのではないだろうか。
 テクノロジーの進歩によって、ある部分では日本よりもずっと進んだ、これまで誰も経験してきていない情景が広がっている一方で、かつての日本社会が社会運動や行政の取り組みによって克服してきた「古い」タイプの労働問題も、いまだ存在している。このような「まだらな発展」ともいうべき状況が中国ではそこかしこに広がっており、それが独特のダイナミズムと同時に深い矛盾も生んでいる。このことを抜きにして、現在の中国社会や経済を語ることはできないだろう。