梶ピエールのブログ

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技術伝播の仕組みと「三つの層」の関係について。

ハードウェアハッカー ~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険

ハードウェアハッカー ~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険


 先日、2月3日に高須正和さんを私の大学院ゼミのディスカッションにお迎えしてお話を伺う機会がありました。もともと、昨年に出した拙著『中国経済講義』を高須さんにお送りしていたところ、その中の第6章イノベーション知的財産権に関する議論について少し異論があるということだったので、 その点を中心にお話しいただきました。その場では十分に議論を深められなかったのですが、後になって気がついたいくつかの重要な論点について、ここで整理をしたいと思います。
 さて、拙著『中国経済講義』第6章の「共産党体制での成長は持続可能か―制度とイノベーション」の中で私は、深圳のイノベーションを生むエコシステムが、必ずしも知的財産権が十分に保護されていない状況の下で起きているということをどう考えるか、という問題提起を行い、その暫定的な「答え」として、プレモダン、モダン、ポストモダン知的財産権に対する異なる姿勢をとる三つの層が自生的に発生し、共存していることが、むしろ旺盛なイノベーションを生む背景になっているのではないか、と述べました。
 それに対して高須さんは、ご自身で訳されたバニー・ファンによる『ハードウェアハッカー』の議論を踏まえながら、深圳の製造業でかなり前から見られる「公开」とよばれてきた、電子基板や金型などを零細な製造業者の間で事実上「共有」して(「公板・公模」)新製品の開発にかかるコストを大幅に節約する、という開発の仕組みに注目し、それが欧米で主流だったパテント取得を中心とする知的財産権を通じたイノベーションの考え方、及びそのアンチテーゼとして生まれたオープンソース(中国語では「开源」)という概念とどのように異なるのかということを中心にお話しされました(より詳しい内容を早稲田のビジネススクールでお話しされたようなので、ご参照ください)。

 そこで私としても目から鱗だったのが、、これらの仕組みはイノベーションや新しいテクノロジーを広く社会で共有し生産性を上げていくという目的で共通しているんだ、という指摘でした。つまり、パテントは新しいテクノロジーイノベーションを一定の手続きを経たうえで広く一般に公開する。ただしその二次的な使用については法的な保護を受ける。それを根拠に使用料を取ったりライセンス契約を結んだりする、そういう仕組みです。ただし、それはあくまでも技術をより社会に役立てるための一つの制度にしかすぎません。その技術が実際に広く使われるかどうかは、その技術の革新性や他の技術との代替性、あるいはコストや使いやすさといったものに依存しています。技術の種類によっては、一定の時間的・金銭的コストがかかるパテント保護よりは、インターネットでコードや設計図を「勝手に」公開するオープンソース、あるいはパクリ上等の「公開」などのやり方の方がすっと効率的な場合もある、というのが高須さんの整理でした(『ハードウェアハッカー』記載の以下の図を参照)。

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『ハードウェアハッカー』より

 この、「公开」「パテント」「オープンソース」という三つの「技術の伝播の仕組み」に関する議論が、ちょうど私が行った「プレモダン」「モダン」「ポストモダン」という「層」に注目した議論に対応しているわけです。この二つの議論を比較すると、取り上げている現象自体は恐らく共通しているものの、「どこに注目するか」という視点の違いが表れていて興味深いのではないかと思います。簡単に言えば、高須さんは「プレモダン層」「モダン層」のようなある特定の「層」があらかじめ存在していて、それが知的財産権に対する対応の違いを生み出しているという私の理論に違和感を抱かれたのだと思います。 
 そうではなく、むしろ最初に技術をどう広げて生産性を上げていくのかという問題があり、それの対応として公开、パテント、オープンソースという異なる方法が生まれた。それらの 方法を採用している経済主体が、たまたま前近代的に見える場合があるかもしれないし、ポストモダン的に見えることがあるかもしれないが、それはそれらの方法を用いる「層」が固定化されたものとして存在することを意味しない、というのが高須さんの立場なのではないかと思います。
 例えばシャオミという企業を例にとってみましょう。いうまでもなく、シャオミはかなり高度な自主開発能力を持ち、様々なパテントを取っています。従ってシャオミを前述の「プレモダン」「モダン」「ポストモダン」という三つの層で考えるなら、間違いなく「モダン層」に属していると考えてよいでしょう。しかし、シャオミの製品を使い慣れた人(日本人では少ないでしょうが)であればよく知っているように、シャオミという企業はローエンド、ミドルエンドの製品群においては(日本の常識では)考えられないほど低価格のものを販売し、同時にハイエンドの価格帯では、先端的な技術を搭載した高級品を自社開発しています。シャオミがパテントを取っているような技術は、ほとんどハイエンド品のみに使われています。一方、ローエンド品やミドルエンド品は IDHと呼ばれる、大手半導体会社の下請けとして電子基板などの設計を請け負う企業に、その設計をほとんど丸投げしていると言われます。 そのことはジャーナリストの高口康太さんが書かれた記事、特にその「大手スマートフォンメーカーがIDHに設計を委託した比率」の表を見ればよく分かると思います。

 つまりシャオミは、その生産ラインナップによって自主開発+技術のパテント保護と言うやり方と、深圳で広く見られる「公开」された規制の技術の使用、というやり方を使い分けているわけです。こうしてみると、シャオミという企業がモダンなのか、プレモダンなのかという区分はあまり意味がないことがわかるでしょう。Huawei のように旺盛にパテントを取得している企業であっても、製品によっては「公开」された技術を使うIDHに開発を委託するする場合もあるわけです。
 まとめると、知的財産権に対する異なる三つの方法論が存在する、という点では私と高須さんの意見は一致するものの、高須さんはこれはあくまで技術の変化にあわせて企業や社会が適応した結果生じた現象であって、特に深圳あるいは中国特有の現象ではない、全世界において生じうる普遍的な現象として考えなければいけないということになると思います。
 これは確かに非常に説得力のある議論だと思います。ただ私としては、自説にこだわる、というわけではないのですが、それでも「プレモダン」「モダン」「ポストモダン」という区分を行うことにも一定の意義があるとは思っています。それは、このような三つの区分をすることによって、単に技術の開発と伝播、という側面だけではなく中国社会のいたるところで見られる現象とかさねあわせることで、現代中国社会をリアルに理解することが可能になる面があるからです。例えば『中国経済講義』の第4章で論じたような、労働問題を巡る前近代的な「包工制」と新しい非正規労働の共存でもそうですし、あるいは現在ニューズウィーク日本版で記事を連載しているような、監視社会や市民社会というものをめぐって起きている現象についてもいえることです。 
 その意味では、今回紹介した、高須さんのような技術ベースの捉え方と、私のような現代中国社会のダイナミズムに注目した捉え方は必ずしも、どちらが正しいというものではなく、今後も立場の違いを踏まえながら相互の対話を通じて認識を深めていくべきものではないか、と思っています。