梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

中国の経済統計は本当にデタラメなのか?(上)

 中国経済というとどうも「わかりにくい」と感じる人が多いようだ。その「わかりにくさ」の一つの背景に、議論の前提となるはずのGDPなど経済統計の信頼性の低さの問題があることは間違いないだろう。最近の話に限っても、2015年に上半期の実質GDP成長率が7%という数字が公表されたころから、中国の経済統計に関する疑念やそれに関する議論が中国の内外で盛んに行われるようになった。2015年は多くの工業製品の名目の生産額がマイナスになっていたにもかかわらず、工業部門の付加価値は実質6%の伸びを記録するなど、統計間の不整合が目立ったためだ。また、2016年2月に国家統計局の王保安局長が解任され、数百人の国家統計局職員が統計データを不正に操作して利益を得たとして取り調べを受けている報道がなされたことも、そういった風潮に拍車をかけたといえる。
 そのためかこのところ、統計の信頼性の低さが中国崩壊論の根拠として持ち出されることも多くなった。中でも、先日出版された高橋洋一氏の『中国GDPの大嘘』は、政策にも影響の与える人気エコノミストが書き下ろした本と言うことで、かなり話題になっているようだ。

中国GDPの大嘘

中国GDPの大嘘

 というわけで僕も高橋氏の『中国GDPの大嘘』は出版された時に手に入れて目を通したが、正直なところ「これじゃあだめだ」と思った。
確かに中国の経済統計には問題点が多い。しかし、全くデタラメな、根拠のない数字が毎年公表されている訳ではない。後でくわしく述べるが、中国のGDP統計の特徴は、それが発展途上にあるということだ。現在でも経済センサスなどによって常にカバレッジの見直しが行われ、頻繁に過去の値の改訂が行われている。算定の基準が大きく変わるため、統計の連続性をつかむのは容易ではない。特に統計がある年から全く公表されなくなることも少なくない。統計の信頼が低いのは大部分が技術的な要因からだが、そこに政治的な要因が全くないわけではない。だからこそこの問題を論じるとき、研究者は細心の注意を払わなければない。

 しかしこの本からは、わかりにくい中国の統計を慎重に扱おう、という経済の専門家として良心的な姿勢を感じることはできない。そもそも、同書には、これまで大量に書かれた中国の統計問題に関する専門書や論文―この下の参考文献リストをどうぞ―にほとんど目を通した形跡がない。つまり、それらの膨大な議論を突き合わせながら、中国のGDPについての批判や代替的な推計のうち、どれがもっともらしいのか理性的に判断する、という作業をほとんど行っていないのだ。その代わりに本書で随所見られるのは、とにかく中国は得体の知れない、日本にとって脅威にしかならない国であり、そこが発表する統計数字などでたらめに決まっている、という先入観に基づいた論断である。現在の中国政府の姿勢や国家のあり方について、それを批判したり警戒したりすることは、当然行われてしかるべきだろう。しかし、中国政府に対峙する上で統計指標の作成能力も含めた政府の能力をあまりに低く見積もる、つまり相手をなめきった態度をとることは、日本の社会にとって何ら有益な結果をもたらさないと思う。

 この本の最大問題点の一つは、中国の統計データについて、本来一緒に論じるべきではない、レベルの異なる批判を混同して行っている点にある。

 例えば、同書の記述はまず、中国経済の減速に合わせて統計数字の間に乖離が生じているとか、地方政府のGDP統計の合計と全国のGDP統計との間に乖離が見られるといった、比較的最近の、よく知られている現象についての指摘から始まっている。これらは、後述するように十分根拠のある指摘だが、問題なのはそこからだ。同書ではそれに続いて、ソ連経済の統計がいかにデタラメであり、1928年から1985年もでのソ連国民所得の伸びは公式統計によると90倍だったが実際には6.5倍しかなかった、といった話が挿入される(同書28ページ)。そして、恐らくはそこからの類推として「中国の現在の実質GDP成長率はマイナスであり、実際のGDPは公式統計の3分の1程度」という結論が、ほとんど根拠が示されないまま提示されることになる。
 確かに、毛沢東時代の中国はソ連に劣らないぐらいひどいデータのねつ造が行われてきた。その代表的な例が1958−60年の大躍進の際の統計の水増し報告だ(小島2003)。また、マルクス主義経済学に依拠したソビエト型の統計システムであるMPS(System of Material Product Balances) は、サービス部門の生産をほとんど評価しないという欠陥があり、統計データの収集も独立の機関が行うのではなく、国有企業などの生産単位からの一方的な報告に依存していた。いうまでもなく、このようなシステムでは不正報告が極めて日常的に生じてしまう。
 しかし、後述するように1990年代以降中国はMPSから世界標準であるSNA(国民経済計算)体系への移行を段階的に進めてきた。そして、サービス産業の統計などはいまだ移行の途上にある。中国のGDP統計に関する疑問点が指摘されるようになったのも、その移行段階で様々な不整合が出てきたことに対応している。つまり、現在に至るまで続いている中国の経済統計に関する様々な矛盾点の多くは、世界標準の統計システムが整備中であることから来るものであり、高橋氏の言うようにソ連の統計システムをそのまま受け継いでいることから生じているわけではない。だから旧ソ連毛沢東時代における経済統計の政治的なゆがみやMPS体系のでたらめさをいくら強調しても、それは現在のGDP統計の矛盾の解明にはほとんどつながらない。
 また、本書では中国の公式失業者統計(登録失業率)が、政府に登録した失業者のみを分子にカウントしているため、失業率の数字が全く実態を反映していないことが指摘されている(42ページ)。これ自体は正しい指摘だが、登録失業率が実態を反映していないことは政府関係者も別に隠したりはしていない。毎年の労働市場の状況を示すデータとしてそれに代わるものがないので仕方ないのだ。失業率の実態に最も近い数字としては、ほぼ5年に一回行われる人口センサスの結果から得られたものがある(丸川2013)。失業率の実態を知りたければ人口センサスから得られた数字を利用すればよいだけの話だし、また登録失業率が実態とかけ離れているからといってGDP統計が実態とかけ離れている証拠になるわけでもない。

 本書の第二の問題点は、中国のGDPが過大評価されているという学説や現象だけをとりあげて強調する半面、相反する学説や矛盾する現象にはほとんど言及せず、そこから一方的な結論だけを引き出している点である。
 例えば本書では権威づけのためか、著名な中国経済研究者であるトーマス・ロースキーが2001年に公表した、GDP統計が大幅に過大評価しているという論文を引用している。確かにロースキー論文は「中国GDPのウソ」を示す学術的な根拠として日本のマスメディア―その多くはSAPIOとか産経新聞とか文藝春秋といった保守系の―などにも取り上げられた。しかし、ロースキー論文は、李克強指標などよりもさらに原始的な手法で経済統計の不整合を指摘するもので、発表された後多くの批判にさらされ、現在では基本的に過去のものとなっている。むしろ、膨大な先行研究の中からロースキー論文だけに言及するのは、この問題についてちゃんと勉強していない、ということを告白するようなものである。


データ出所: CEIC

 また同書では、2015年の1月から7月までの輸入額が前年比14%の大きな落ち込みを見せていることをほぼ唯一の根拠に、実質GDPもマイナス成長ではないかと推測している(44ページなど)。しかし、2014年から2015年にかけては、原油価格の下落などを背景に、中国の輸入デフレータは対前年比で10%前後の落ち込みを見せている(松岡=南 =田原2015)。また、月次の輸入総額と一単位当たりの価格の対前年比を示した上の図によれば、同時期の貿易総額の落ち込みが、ほぼ価格のの下落によって説明できることがわかるだろう。ここ1,2年、中国の製造業は典型的な債務デフレの状態にあり、名目値ではほとんど成長していなかった。例えば、2015年の中国の第2次産業の付加価値額の名目成長率は0.9%だ(星野2016)。このことをを考えれば、この時期の輸入額の動向はGDP統計の推移と決して不整合な動きをしていないことがわかるだろう*1
 今の世の中、中国経済に関するマイナスのイメージを増幅させる材料はそこら中に転がっている。それらを単に並べて見せるだけでなく、異なる見方なども考慮した上で慎重に吟味していくのが専門家にとって必要とされている作業なのだが、残念ながら本書にそういった姿勢は見られない。

 とはいえ、いうまでもなく現在の中国のGDPに問題があるのも事実である。では、具体的にどのような問題があり、それが「全くのデタラメ」ではないとなぜ言えるのか、その点をきちんと述べておかなければ説得力を欠くだろう。以下では、やや煩雑だが中国のGDP統計についてこれまでどのような問題が指摘されてきたのか、いくつか項目に分けて論じていこう。

1.中国GDP統計問題の原点―SNA体系への移行
 1980年代後半から1990年代にかけて、中国ではマルクス主義経済学に依拠したソビエト型の統計システムであるMPS(System of Material Product Balances) から、先進国を中心に国際標準としてより広く採用されてきたSNA(System of National Accounts)へという、統計システムの大規模な移行が行われた。その経緯を簡単に見ておこう。
 まず、国家統計局では、1984年ころよりSNAによる国民経済統計作成の必要性に関する意見の一致が見られるようになった。1985年には「第三次産業統計の樹立に関する報告書」が提出され、MPSではその大部分がカバーされていなかったサービス部門の統計の整備と、それをもとにしたGDP統計の作成が開始されるなど、徐々に統計指標体系の移行が行われていく。例えば1991年から1992年にかけて行われた第三次産業センサスの結果によって、GDP統計のカバレッジは大幅に拡大した(石原1994、許2002)。ここでの問題は、サービス産業の統計をどのように公式統計に組み入れるのか、という問題だった。
 これらの調査・研究の成果をもとにして、1993年から全面的なSNAへの移行が始まる。さらに、社会科学院と一橋大学の共同研究による、1950年代にまでさかのぼったGDPの推計結果も公表された。また、このような長期的なGDP統計の推計値が公表されると同時に、後述する任若恩やマディソンなどによる、公式統計におけるGDP成長率の過大評価を問題とする研究も相次いで発表された。逆説的だが、ソ連型の統計システムの脱却したことが、その移行に伴う誤差を生じさせ、中国の公式GDPデータに対する正確さの問題が生じてきたのである。その代表例が、以下で紹介するトーマス・ロースキーによる研究である。

2.トーマス・ロースキーの問題提起
 中国のGDP統計の信頼性への疑問がジャーナリスティックなレベルでも注目を浴びたのは、2001年のことだった。著名な中国経済研究者であるトーマス・ロースキーが、チャイナ・エコノミック・レヴュー誌2001年12月号に発表した「中国のGDP統計に何が起こっているのか」と題する論文(Rawski2000, 2001)で、近年における中国のGDP統計の信頼性に根本的な疑問を投げかけ、広く関心を呼んだ。同論文において彼は、1998年から2000年までの公式のGDP統計およびその成長率の信憑性を疑問視し、特に1997年から1998年にかけては公式統計では7.8%の成長が記録されているが、実際の成長率はそれよりも大幅に低く、マイナス成長の可能性もあるという主張を行ったのだ。
 ロースキーによるGDP統計に関する指摘は、他の経済統計との整合性に関するものだった。例えば、1998年には公式統計では7.8%の成長率を記録したにもかかわらず、エネルギー消費額の統計は6.4%と大きなマイナスを記録した。過去に長期にわたって高度の経済成長を続けてきた日本やアジアNIESのケースでは、いずれも経済成長に伴ってエネルギー消費も大きな伸びを記録しており、1998年以降の中国のようなケースはきわめて異質である。同論文では他にも、1998年に記録的な洪水があったにもかかわらずほとんど全ての省で農作物生産が拡大していること、家計部門の統計に関して、収入はそれほど伸びていないのにもかかわらず消費は大きく拡大していることなどが指摘されている。
 これらの点を踏まえロースキーは、1998年における航空輸送量(旅客マイル)の伸びが2.2%であったことから、その数値が成長率の上限とみなせるとし、1998年の経済成長率の推計値として、-2.0%から+2.0%という、公式統計を大幅に下まわる数字を主張した。これは、経済活動の実態を反映していると考えられるより信頼性の高い指標をベースに、GDP指標の代替的な推計を行う、現在参照されることが多い「李克強指標」を用いた手法をある意味で先取りしたものだった。
 彼の発表した論文が世界の広い関心を集めたため、中国の政府関係者や、海外の中国研究者からの反論が行われた(邱2002、Lardy2002)。また、後述するように工業企業の統計データの連続性の問題から、この時期のエネルギー消費の統計もまた過小評価されている可能性が高く(堀井2003、史2002、Sinton2001)、その数字がGDP成長率と乖離しているからといって、必ずしも後者の数字が大幅に過小評価されているわけではないという批判も相次いだ。
 一連の議論の結果、1998年から2000年にかけて公式統計がGDP成長率をある程度過大評価している可能性は高いものの、ロースキーのいうように大幅な下方修正が必要だとする主張もまた根拠を欠いている、というのが多くの専門家の判断だった。ロースキー自身も、のちにエネルギー消費量の統計など彼がGDP統計過小評価の根拠とした指標自体にも問題点が多いことを認めている(Rawski2002)。

3.工業企業統計の改定問題
前述のロースキーの問題提起が行われた1998年前後のGDP統計に関する問題―いわば1998年問題―についてもここで少し説明しておこう。1998年には、鉱工業企業に関する生産額や利潤額のデータはその推計方法が大きく変化した。その際の統計の連続性の欠如や、サンプル調査の制度の低さといった技術的な問題が、この時期のGDP統計の信頼性の低さの背景の一つになっている可能性が強いのだ。
1998年における統計規準の見直しは、具体的には企業データ収集方法の変更と工業企業のカテゴリー規準の変更との二つからなる。まず前者は、中小企業に関するデータを、個々の企業から地方の統計局に対して行われる申告(定期統計報告表)をもとにして集計値を算出する方式から、統計局が行う独自の調査をベースに全体の推計値を算出するという方法へと変更するものだ。具体的には、全ての国有企業と一定規模以上(当時は年間売上げ500万元以上、ただし2011年以降は2000万元以上)の非国有企業に関しては統計局が直接データを収集、それ以外の一定規模以下以下の非国有企業および個人経営企業については、省や県レベルの統計局が実施するサンプル調査のデータを用いて全体の集計値が算出されることになった。
 このようなデータ収集方法の変更に伴い、それまで公表されていた「郷及郷以上工業企業」および「独立核算工業企業」という工業企業に関する二つのデータシリーズに代わり、「全部国有企業及規模以上非国有企業」が新たなデータシリーズとして用いられるようになった。また同時に、政府資本支配企業を「国有企業」のカテゴリーに含めるなど、企業の所有制に関するカテゴリーの見直しも行われた(Holz and Lin2001)。
 このような見直しが行われたのは、従来の方法では、企業による自己申告を地方政府がチェックすることができず、データに信頼性が乏しいこと、また、データが集計される過程で、各級の地方政府による「水増し報告」が行われる可能性があったからだ(Wiemer and Tian2001)。
 いずれにせよ、1998年を境に、工業企業に関する統計には明らかに「非連続性」がみられるといってよい。このようなデータの非連続性が存在するため、1998年前後における工業企業の生産額や利潤額の成長率の評価にはかなりの慎重さが要求される。例えば、香港中文大のホルツは、ロースキーが指摘したエネルギ―消費額のデータは、サンプル調査によってはカバーされないため、統計データを直接収集する企業の範囲が狭まったことによって大きく減少した可能性がある、と指摘している(Holtz2014)。実際、このロースキーの問題提起以降、短期間のGDP成長率に関して公式統計が大幅に過大評価されていることを指摘した学術的な研究はでてきていない。

続く

*1:このように言えるのは、付加価値の実質化にあたっては輸入価格の変動は控除すべきだからだが、だとすると同時期の中国の第2次産業の付加価値が実質で6%ほどの伸びになっていることとの整合性が問われるだろう。これは後述するように、公式統計のデフレーターが輸入価格を控除しておらず、過少評価になっていることから生じている可能性が高い。