梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

「悪の愚かさ」と「アジア」への向き合い方

先日のブログ記事に対して、光栄にも東浩紀氏より直接反応を頂いた。


 というわけで 『ゲンロン10』に掲載された東氏(以下、敬称略)の評論「悪の愚かさについて、あるいは収用所と団地の問題」および『ゲンロン11』の「悪の愚かさについて2、あるいは原発事故と中動態の記憶」を読んだ。東がこういった主題に本格的に取り組んでいることについて、今まで不覚にも知らないでいたのだが、遅まきながらこの時期に読めてよかったと思った。

前者の評論は、2019年の春に東が中国ハルビン七三一部隊罪証陳列館の人体実験の研究所を尋ねて、そこで研究所のあった場所にマンションが建っていることに強い印象を受けて考えたことがベースとなっており、「大量死」と「大量生」の連続性の問題から過去の悪への向き合い方を考えた文章だ。
 後者では、前者の問題意識を継続しつつ、第二次大戦の日本軍の「悪」とは、主体的に選択されたものでも(能動)、また背くことができない命令によって強制的にやらされた(受動)でもなく、「なんとなく」「はっきりとした自覚なしに」手を染めていた、いわば「中動態」の行為だったのではないか、という問題提起が、国分功一郎の著作を援用する形で行われる。そして、「なんとなく」行われてしまう悪の愚かさを語り継ぐことの重要性が、チェルノブイリ原発事故の問題と重ね合わされながら語られる。 

 どちらも重要な問題提起を行っていると思うが、僕には後者については本格的に論じる能力はないので、ここでは前者を中心に論じることにしたい。

 さて、この評論の中で東は、大量死と大量生との連続性を、加害の側からどう受け止めるのか、それを真摯に追求した小説として村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』に言及している。

 けれども、村上はそこで戦争の記憶をけっして直接には描いていない。過去と現在、戦前と戦後はむろんつながっている。『ねじまき鳥クロニクル』の主題はたしかにその連続性にある。作中ではノボルがその連続性を象徴している。彼の残酷さや傲慢さは、ノモンハンと新京の凄惨な暴力を連想させる。
 にもかかわらず、その連続性を、事実にもとづいて、論理的な因果として、すなわち意味のある物語として再構成しようとすると、それは突然にむずかしくなる。

 だから村上は彼を井戸へ送り込む。いいかえれば、夢と無意識の論理によって、つまりは文学の力によって、その連続性をべつのかたちで言語化しようと試みる。
 つまりは、この小説は、加害側が――加害者の文化の継承者と否応なくみなされてしまう位置にいる作家が――はじめて過去の悪へ遡ったから重要なのではない。そうではなく、加害側が過去の悪へと遡るのがいかにむずかしいか、そしてそのむずかしさの中で文学になにができるのか、それを主題とした作品だからこそ、重要なのである。(「悪の愚かさについて、あるいは収用所と団地の問題」)

 ここで東の言う「加害側が過去の悪へと遡ることのむつかしさ」とはどういうことか。 われわれは、過去の日本の戦争犯罪について、しばしば功利主義的な立場から、比較的カジュアルな語り口でそれを否定する。「あれはまったく無意味な愚行だったね」と。しかし、その姿勢は被害側から歓迎されないどころか、彼らと信頼関係を築くための障害になりかねない。なぜなら、被害者側は、悲惨な経験を受け止めるために、しばしばその過剰な意味づけ、すなわち「絶対悪」たる日本軍国主義中華民族を根絶やしするために周到な準備を積み重ねていった、といった加害者への過大評価を行いがちだからだ。
 その立場からすると、上記のような功利主義的な態度は、「絶対悪」の罪をあまりに軽く考えている、とみなされるだろう。 かといって、加害者(性の継承者)たるわれわれは、被害者側による物語に全面的に同調するわけにもいかない。そうすることで、「無意味な愚行」こそがしばしば悲惨な悪を生み出す、という重要な気づきが失われてしまうからだ。

 ぼくたちは、あらゆる政治的な問題について、加害側に立つのか被害側に立つのか、その選択をたえず迫られる時代に生きている。
 けれども、おそらくは悪については、加害と被害の二項対立ではなく、三項鼎立で考える必要があるのだ。加害者、あるいはより広く加害の文化の継承者は、井戸に潜ることではじめて、加害を忘却するのでも、また被害者の物語に身を委ねるのでもなく、加害そのものの愚かさを記憶し続けることができるのではないか。それが、ぼくが本論であきらかにしようとしたことだ(「悪の愚かさについて、あるいは収用所と団地の問題」)。

 さて、僕自身は上記のような東の姿勢に、大きく共感すると同時に、若干引っかかるものも感じる。というのも、『ねじまき鳥クロニクル』で描かれた過去の戦争に関わる二つの残虐行為のうち、第三部の新京の動物園における中国人の虐殺シーンについては、確かに上記のような整理がうまくあてはまるが、ハルハ河での皮剥ぎについては必ずしもそうではない、と感じるからだ。
 『ねじまき鳥』で出てくる二つの残虐シーンは、相互に密接な関連性を持つものの、その性格は大きく異なる。新京のシーンは明らかに日本人が加害者で、その描かれ方は被害者である中国側にとってもおそらく馴染み深いものだ。しかしハルハ河のシーンではむしろ残虐行為の被害者となるのは日本人の方である。確かに、日本軍の見通しの甘さが招いた「失敗」の結果と言えるかもしれないが、これを日本人による「加害」行為とは言えないだろう。つまり、ハルハ河の皮剥ぎのシーンは、必ずしも加害者と被害者、という関係性だけでは理解できないものを含んでいる。それを説くカギは恐らく「(前近代としての)アジア」と、「(戦後日本に代表される)近代社会」という対立軸である。


 ここで一つの補助線として、1998年に出版した旅行エッセイ、『辺境・近境』を取り上げたい。この作品は香川でうどんを食べまくるという脱力系の文章と、『ねじまき鳥』の舞台となったノモンハン満州を取材した重たいエッセイ(「ノモンハンの鉄の墓場」)が同居する、村上の持ち味がよく表れた一冊である。
 ここで重要なのは、『マルコポーロ』(!)の企画でこの取材旅行が行われたのが、94年6月、すなわち『ねじまき鳥クロニクル』第1部と第2部が刊行され、第3部が刊行される前の時期に行われた、ということだ。つまり、第1部のハルハ河のシーンを、村上は全く現地に行かずに書いている。そして、第3部の新京の動物園のシーンについては、この時の旅行の取材や感じたことをもとに書かれているのだ。
 以上のような背景を押さえたうえで、以下のような記述を読んでみよう。。

 でもノモンハンの場合はそうではない。それは期間にして四ヶ月弱の局地戦であり、今風に言うならば「限定戦争」であった。にも関わらずそれは、日本人の非近代を引きずった戦争観=世界観が、ソビエト(あるいは非アジア)という新しい組み替えを受けた戦争観=世界観に完膚なきまでに撃破され蹂躙された最初の体験であった。しかし残念なことに、軍指導者はそこからほとんどなにひとつとして教訓を学び取らなかったし、当然のことながらそれと全く同じパターンが、今度は圧倒的な規模で南方の戦争で繰り返されることになった。
 彼らは日本という密閉された組織の中で、名もなき消耗品として、きわめて効率悪く殺されていったのだ。そしてこの「効率の悪さ」を、あるいは非合理性というものを、我々はアジア性と呼ぶことができるかもしれない(「ノモンハンの鉄の墓場」)。

 ここでやや唐突に「アジア性」という言葉がでてくるのだが、この言葉が恐らく、第一部のハルハ河描写を読み解くカギを握っている。上記の村上の文章では、「アジア性」とは、「効率の悪さ」の代名詞として言及されている。しかし、おそらくは政治的な配慮から明言はされていないものの、『ねじまき鳥』の描写を読む限り、ここで村上のいう「アジア性」は、むしろ前近代的な暴力、後述の『終焉をめぐって』における柄谷行人の言葉を借りるなら「なにごとか狂気めいた暗く恐ろしいもの」と深く結びついているように思える。
 つまり、『ねじまき鳥』第一部の皮剥ぎのシーンは、日本軍がそのような「狂気めいた暗く恐ろしいもの」のただ中におかれていた、ということを強く印象付けるために挿入されている、のではないだろうか。*1

 では、この「アジア性」と日本人との関係は、戦後にはどうなっていくのか。

 戦争の終わったあとで、日本人は戦争というものを憎み、平和を(もっと正確にいえば平和であることを)愛するようになった。我々は日本という国家を結局は破局に導いたその効率の悪さを、前近代的なものとして打破しようと努めてきた。自分の内なるものとしての非効率性の責任を追及するのではなく、それを外部から力ずくで押しつけられたものとして扱い、外科手術でもするみたいに単純に物理的に排除した。その結果我々はたしかに近代市民社会の理念に基づいた効率の良い世界に住むようになったし、その効率の良さは世界に圧倒的な繁栄をもたらした。

 にもかかわらず、やはり今でも多くの社会的側面において、我々が名もなき消耗品として静かに平和的に抹殺されつつあるのではないかという漠然とした疑念から、僕は(あるいは多くの人人は)なかなか逃げ切ることができないでいる。(「ノモンハンの鉄の墓場」)

 ここでも、「非効率性」を「狂気めいた暴力性」と読み替えた方がよりしっくりくるだろう。つまり、(戦後)我々は日本を破局に導いた狂気めいた暴力性を、前近代的なものとして打破しようと努めた。自分の内なるものとしての暴力性を受け止めるのではなく、それを外部から力ずくで押しつけられたものとして扱い、外科手術でもするみたいに単純に物理的に排除した。その結果として戦後の繁栄を築いたのだ、と。

 このように読むとき、『ねじまき鳥』第一部と第三部の虐殺シーンの相互の関係性を次のように整理しても、そう的外れではないだろう。すなわち、旧日本軍は、満洲事変以降の大陸での勢力拡大の過程の中で、しばしば内地では経験しなかったようなアジア的な「狂気めいた暴力性」に対峙することになった。その結果、このいわば原型としての暴力を制するために、同じような狂気めいた暴力性をもって「アジア」を制するしかない、との結論に至る。その結果が新京の動物園における「効率が悪く」残虐この上ない虐殺なのだ、と。

 だから、村上が「井戸にもぐること」を通じて迫ろうとしているのは、加害側による過去の「悪の愚かさ」への気づきだけではない。戦後を通じて抑圧されてきた、あの戦争を正当化する―一貫して「右翼」と呼ばれる政治的立場によって主張されてきた―ロジック、つまりわれわれが「狂気めいた暴力性を持つアジア」を制するためには、こうするしかなかったのだ、という「悪」を正当化するロジックにも触れようとしているのだ。
そのような危うさを抱えていることが、このハルハ河の皮剥ぎのシーンに一度読んだら忘れられないリアリティを与えるとともに、この作品に深みを与えていることは間違いない。

 さて、このような一見、前近代的な暴力性を排除した戦後社会と、「アジア」の暴力性との関係に着目した小説は、もちろん村上によってはじめて書かれたわけではない。例えば、大江健三郎によって1967年に書かれた『万延元年のフットボール』は、まさに同じような現代の日本社会とアジア的な暴力性との関係を描いた作品である。例えば東の論考にも引かれている、柄谷行人の評論『終焉をめぐって』の記述をみてみよう。

むろん、この「血」はたんに遺伝的な系譜ではない。彼らの暴力的なものの血脈は、同時に、「近代日本史のアポリア」をはらんでいる。注目すべきことは、彼らが全て《アジア》に関係していることである。まず満州に進出した父親がいる(中略)。
 さらに特攻隊帰りの S 兄さんは、戦後谷間の青年たちと朝鮮人部落を襲撃して殺されている。最後に鷹四は、谷間の青年たちを組織し、村人の朝鮮人への反感を利用して、彼らが”天皇”と呼ぶ朝鮮人の経営するスーパー・マーケットを襲撃する。こうしてみると、「暴力的なもの」の血脈がすべて《アジア》にかかわっていることが明瞭となる(「大江健三郎アレゴリー」)。

 さて、このように「アジア」に、あるいは日本と「アジア」とのかかわりに前近代的な暴力性を見ること、そしてそこに戦後の日本社会との断絶と連続性をみること、この点において『万延元年のフットボール』の大江の姿勢と『ねじまき鳥クロニクル』の村上の姿勢はほぼ重なっているようにみる。さらに言うなら、前者の主人公、蜜三郎は井戸ではないにせよ「穴ぼこの底で考える」性向を持っている、と描写される。

 もちろん、両者の間には大きな違いも存在する。前者では幕末から現代にいたる根所家の「血のつながり」とそれに結びついた記憶の伝承が重視されるのに対して、後者ではそのような過去と現在をつなぐ実体的なものは何一つ想定されていない。このことは、大江の作品が「アジア的な暴力性」を、むしろ日本社会にあらかじめインプットされた、逃げ切れないものとして主体的に引き受けようとするのに対し、村上作品ではむしろその戦後日本社会との「遠さ」「異質さ」が強調され、「主体的に引き受けることが困難なもの」として描かれる、というコントラストを生み出す。

 その姿勢はまた、戦後社会の物質的な繁栄そのものへの否定的な契機を持つかどうか、という違いももたらしている。大江の小説において「アジア性」を体現する人物である鷹四は、在日朝鮮人が経営するスーパーマーケットの襲撃、という象徴的な行為を先導することを通じ、高度消費社会を生み出した現代資本主義に異議申し立てを行い、そのオルタナティブを追求する、という役割を担っている。一方、『ねじまき鳥』だけでなく村上の小説には、そもそもそのような資本主義への異議申し立てのようなものはほとんど出てこない。

 このことは、柄谷行人が一貫して大江の小説を評価し、村上の小説を評価してこなかった最大の理由の一つになっている。
 というのも、特に冷戦終結後の柄谷は、かつて竹内好が提起したような日本の近代化を「アジア」との関係性によってとらえ直す、という問題意識を*2を、戦後日本が享受したネイション=ステート=キャピタリズムの下での物質的な繁栄をどこまでも否定することで継承しようとした、と考えられるからだ。

 ただそれは、いってみれば否定神学的なふるまい、すなわち「日本のようなかっちりしたネイション=ステート=キャピタリズムではない何か」を、その時々のお気に入りの「アジア」の思想やムーブメントに見出す、といったものに帰結せざるを得なかった。つまり、ある時は汪暉のような新左派の論客による「中華帝国」を賛美する言説に、そしてある時はオードリー・タンもコミットした台湾のひまわり運動にオルタナティブな可能性を見出す、といった具合にである。*3


 上述の東による、戦争の加害/被害という観点からの『ねじまき鳥』への「読み」には「アジア性」についての明確な言及はなく、その点について僕は不満を感じるが(だからこそこんな文章を書いている)、そこには明らかに竹内=柄谷的な、否定神学的な「アジア性」への向き合い方へのアンチテーゼが内包されていると言えるだろう。
 つまり、上記の東の文章をまねていうなら、「血のつながり」を通じて「アジア性」のリアリティに触れることはもはやできないが、かといって「アジア性」と決別することもできない僕たちは、井戸に潜ることではじめて、「アジア性」を忘却するのでも、また、力をもってそれを解体するのではなく、それとどう向き合うのかを考え続けることができる。そのことが、村上の小説から、そして東の評論から、僕たちが受け取ることのできる、もう一つの「アジア性」への向き合い方なのではないだろうか。

 そして、この村上=東による「アジア性」への接近に、「アジア性」をより主体的に引き受けようとした大江らのアプローチにはない優位性があるとすれば、それが「血のつながり」といった実体的なものを排した、より普遍的な論理構造を持ったものであるがゆえに、他の「アジア」の人々にも共有される可能性が開かれている点だろう。
 たとえば、前近代的(だとみなされる)な暴力性を恐れる為政者が、それを制するためによりシステマティックで、より暴力的な抑圧を徹底的に行う、というのは、現在の共産党政権下での、チベットや新疆といった少数民族居住地域で起きている構図そのものだからだ。

 だからこそ、このような姿勢は、大江は言うに及ばず、村上の世代よりもいっそう「アジア」との連続性を感じることが困難になってしまった世代―すなわち、東や僕以降の世代―が、いかにして「アジア」への関心を持続させていけばよいのか、そしてその問題意識を他の「アジア」のものを考える人たちにどう伝えていくのか、といった、より困難な課題を絶えず突き付けられることになるだろう。
 というわけで、今後の東の仕事に注目しつつ、この困難な課題についても、引き続き自分の問題として考えていきたい。

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*1:このことは当然のことながら、このシーンがオリエンタリズムそのものだという批判を許すことになる。だが、恐らくはそのような批判は村上については承知のうえで、このシーンをどうしても描かねばならなかった、というのが僕の理解である。それは彼が何よりも「あの戦争に関する中国人との対話」を追求した作家だったからである。詳しくは「村上春樹と中国と『モンゴル』」を参照

*2:「村上春樹と竹内好―『近代』の二重性をめぐって」参照。

*3:「台湾のひまわり運動と柄谷行人の「無節操」、あるいは実体化される『アジア』」」を参照