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さて、中国にとって小泉政権と言うととにかく退陣してくれてホッと一息、もう二度と思い出したくもない、というネガティヴな評価ばっかりかというと、実はそうでもないようだ。というのもその外交姿勢はともかく、その「構造改革路線」に関しては一部の「改革派」の間でそれを評価する、もっというと中国も日本をお手本とすべし、という声が結構みられるからだ。中でもいわゆる「新自由主義者」と言われる人々の間での竹中平蔵前金融・経済財政政策担当大臣の評価はかなり高いようだ。そういった論調のうち、代表的なものを以前このブログでも紹介した。
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20060206#p1
そして今小泉政権の退陣を迎えて、竹中前大臣の功績を改めて評価する声がまたいくつかあがっている。
まず改革派を代表する雑誌『財経』のネット版の記事「日本はまさに曲がり角にある」。
http://caijing.hexun.com/text.aspx?lm=2550&id=1846619
『財経』は次号(10月2日号)でまた竹中ロングインタヴューを含む日本の政権交代と経済政策に関する特集を組むみたいで、この記事はその予告編といったところか。それはいいのだが、記事中にはbewaadさんが読んだら激怒しそうな竹中氏のこんな発言も紹介されている。
私は安倍首相自身は改革の継続を望んでおり、従来どおり改革を基本方針にしていくだろうと考えています。しかし、改革を推進する際の具体的な段階において、一部の官僚たちが何らかの策を弄し、改革の実施を骨抜きにしようとするかもしれません。安倍内閣がいかに抵抗勢力を断固として押さえ込み、改革を推進するか見守っていく必要があるでしょう
しかし竹中氏は海外で“銀行沙皇”(Banking Czar)とか“日本改革首席運営官”(COO)とか呼ばれていたのか。知らんかった。
もっとあからさまなのが新自由主義的改革派の論客による以下の文章。
http://ofblog.com/wzp/175.html
日本の失われた十年における「鉄腕改革家」として、HEIZOは中国の改革派が想像もできないような世論と大衆からの政治圧力に直面した。日本の大衆の中で火のついた「公憤」は、いわゆる「郎顧公案」における、国有企業改革に対する中国の民衆による責任追及の声をも超えるものであった。
文中の「郎顧公案」というのは、大規模国有企業のMBOを通じた民営化の過程が不透明だというある著名な大学教授の批判をきっかけとして巻き起こった、国有企業の民営化の是非をめぐる政治色の強い一連の論争を指す。この一節で、彼が竹中氏に注目する本来の意図がどこにあるか理解できよう。
特筆すべきは、HEIZOが日本の郵政改革のプランニングに関与したことだ。日本の郵政民営化は明治維新以来の維新の大きな局面である。日本全国には100万人のの公務員(=喫皇粮=皇帝の食料を食む輩)がいるが、郵政職員はその3分の1を占める。郵政が特別扱いされるのは、明治以降の日本が交通・情報網を重視したことの残滓である。
郵政改革が「明治維新以来の大事業」だったとは恥ずかしながらこれもはじめて知った。
日本の郵政改革は何十年もの間準備されてきたが、ついに小泉政権の下で実現した。日本経済が不景気にあえぐ中で行われたこの歴史的な「勇気」は中国が学ぶに足るものである。HEIZOの群を抜いた能力は外国の投資家の信認も得ることができ、彼(女)らをして日本の未来に賭けよう、という気持ちにさせたのだった。
・・要するにHEIZO氏は「神」だということですか?
うーん、小泉政権の後半は実は構造改革をほとんど真面目にやってなくて、だからこそ景気がじわっと回復してきたという見方が当の日本では有力なんだけど・・といっても聞く耳もたんだろうな。なにしろ彼らの最大の関心事は小泉=竹中路線をダシにして中国国内の改革路線の徹底を訴えることにこそあるのだから。
基本的には『財経』をはじめとした中国の改革派(=新自由主義陣営)の主張には賛同するところが多いのだが、、どうも謝平氏のような中国人民銀行系のエコノミストを除き、供給サイド偏重の傾向があるのは否めないところで、今回はそれが如実に出たと言う感じ。まあ、どうしても供給側に目がいきがちなのは、アジアの後発工業国におけるエコノミストの宿痾のようなものかもしれないけど・・
とりあえず、次号の『財経』の特集に注目しよう。