ここで前回紹介したいわゆる「新自由主義」勢力とその批判者である左派との立場の違いを整理してみよう。
貧富の差の拡大、疲弊する農村、不十分な医療・教育サービス、官僚の腐敗などの社会問題の深刻さ、という点に関しては、両者の認識は基本的に一致している。
ただ、そういった社会矛盾の原因として、「新自由主義」勢力は「法治の不在」「個人財産権の保護の不十分さ」を特に重視するのに対し、左派は行き過ぎた市場化こそがそのような矛盾を拡大させている、という立場を取っているという違いがある。
つまり、「社会の大きな矛盾を抱えている」という認識では一致しており政治的な対立が事実認識自体のズレをもたらす、ということにはなっていないのだ。これは結構重要なポイントではないだろうか。
また、左派は、「新自由主義」的な改革を批判するが、現在の矛盾をどのようにすれば解決できるのか、具体的な処方箋があるわけではない。かといって、まさか計画経済の強化を本気で考えているとは思えないので、結局「批判のための批判」以上のものにはなっていないようだ。
さて、今回の「両会」で胡錦濤は事実上新自由主義的な改革にお墨付きを与えたのだ、という見解が、改革派のブロガーから出されている。
http://ofblog.com/wzp/116.html
以下は、そこに紹介されている胡錦濤の発言である。
中国新聞社北京3月6日 胡錦濤中共中央総書記、国家主席、中央軍事委員会主席は、今日午後、上海代表団との会議の席で、改革を堅持する方向性をいささかも動揺させてはならない、ということを強調した。胡錦濤は、新しい歴史の出発点において社会主義現代化建設を引き続き推進すべきことを指摘し、改革を深化させることによって、開放度を拡大すべきだと述べた。改革を堅持する方向性はいささかも動揺させてはならない。改革を行う決定と自信をより一層堅固なものにし、社会主義市場経済体制を不断に完全なものに近づけ、同時にマクロコントロールを強化し、改善することが、経済社会のより急速で、良好な発展を保証するのである。
胡錦濤によれば、改革を推進する時期を失うべきではなく、いくつかの重要な問題領域や、物事の節目において改革の新たな突破口を実現すべきであり、同時に改革の方策に関する科学性を高め、改革の実施に関する協調性を高め、異なる関心を持つ各方面への配慮を行い、真に広範な大衆の擁護と支持を得るべきである。また対外開放の水準を不断に高め、対外貿易方式の転換に力を入れ、外資を最大限にひきつけるような構造改革を行うと同時に、条件のよい企業が対外投資を行い、グローバルな経営を行うことを支持し、さらに国家の経済的な安全性の維持に注意を向けるべきである。
…確かにこの発言を読む限り、改革派の論者が自分達の路線が正統性を与えられたと主張するのも無理はないかもしれない。しかし、それが即「新自由主義」勢力の勝利を意味するか、というと微妙なものがある。この点については、書生くんさんがもっともな指摘をされているので参照してみよう。
私がこれまで考えていたのは、胡錦濤の提唱した「科学的発展観」、「和諧社会」の建設という路線とイデオロギーは、上述の皇甫平のエッセイにあるように、改革によって生み出された「新たな問題」、「新たな矛盾」に対応するために出てきたものなのだろうが、一方でそれは経済成長率至上主義でそうした社会問題、社会矛盾を生み出した江沢民時代へのアンチテーゼともなり得る。貧富の格差の縮小、という問題に関して言えば富の再分配が必要になると思うし(富裕層と貧困層、都市と農村、地域間いずれも)、胡錦濤の路線で行くとそうした手法への親和性が高いかと思われる。
では、「新自由主義」勢力はこのような再分配政策についてどうとらえているのか。これについては最近の『財経』で新農村建設についての座談会が掲載されている。
http://caijing.hexun.com/text.aspx?lm=2554&id=1550719
これは政府系シンクタンクに属する農業問題専門家に『財経』誌の記者がインタヴューするというものだが、なんとなく微妙な内容である。政府に近い立場の専門家は「農村建設は旧来型のバラマキではなく経済効率を考えてやるから改革の方向性にも合致する」と答えたりしているが、『財経』誌の方でもそういった見解を支持しているのか、それとも必ずしも支持してはいないが突っ込みが不十分なのか、よくわからない。
どうも、『財経』などに代表される「新自由主義」勢力にとって、国有企業の私有化や財産権の明確化こそが「改革の本丸」ととらえていて、そこはガンガンやるが、それ以外の点ではあまり政府方針に逆らいたくないという一種の政治的妥協があるのかもしれない。
…さて、あまりだらだらと続けても意味がないのでこのへんでまとめに入ろう。
以上みてきたところでは、胡錦濤政権はともかく市場指向的な改革を進めるという方針については明確にしているが、「新自由主義」的な「小さな政府」の実現に関しては、ある面では政府機能の縮小を図っていくものの、再分配などの面ではむしろ政府の権限を強めていく、という中途半端な立場にとどまっている、あるいはそのようなス立場をとらざるを得ない、ということが言えそうである。
というわけで、前回のエントリで触れた「新自由主義」的な政策のそれぞれの項目について、胡錦濤政権が今後とっていきそうなスタンスをざっと整理してみると、
- 私的財産権の確立・法治……積極的(どの程度実現できるかはともかく)
- 腐敗の摘発……積極的(同じく)
- 国有企業の私有化……微妙*1
- 「小さい政府」の実現(バラマキ型再分配政策の廃止)……消極的
- (言論活動など)市民活動に対する政府介入の縮小・廃止……消極的
…こんなところではないだろうか。
結局、よく言われているように胡錦濤は党内における権力基盤が弱いため、基本的に改革路線は進めながら、反対派の意見にも考慮しつつバランスを図った政策運営を行っていくしかない、ということなのかもしれない。また、政権の外部の方でも、「新自由主義」と左派という対立する勢力がそれぞれある時は政府の見解に擦り寄ったり、またあるときは政府の公式見解を自分の都合のいいように解釈するなどして、政治的な勢力拡大を図っていく、という構図がみられるような気がする。
まあ、あまりすっきりしない結論だが、胡錦濤政権の性格のはっきりしない「ぬえ」的な側面がかえってよくわかるのではないかと思う。その意味で朱鎔基による改革路線がはっきりしていた江沢民時代の方が(対日関係も含め)かなりわかりやすかったのは確かではあるだろう。
*1:最も政治的な反対の声が大きい領域であり、また実行するには相当の政治的決断と実行力が必要とされると思われるが、現政権にその力量があるかどうかは疑問。