梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

「両会」を読む、みたいな(上)。

 いかにも唐突ではあるが、このたび終了した中国の「両会」(全国人民代表大会全国政治協商会議)についての分析の真似事をしてみたい。といっても日中関係とか台湾関係とかいった目立つ話題についてはいくつも扱っているブログがあると思うので、ここでは経済問題を中心とした内政について、「両会」においてどのような路線の対立が露わになり、政府としてはどのような方向に舵を切ろうとしているのか、ということを考えてみたい。とっても既に何度か述べてきたように僕自身はこういう時事分析みたいなことは苦手で、今回のもあくまでも「真似事」ですのでもちろんツッコミを歓迎します。

 さて、経済問題を中心とした内政における対立軸、といった時にキーワードになると考えられるのが、たぶん「新自由主義」という概念である。「新自由主義」とはそもそも思想的にどのような立場を指すのか、という点については難しい問題をはらむのだが、(id:shinichiroinaba:20060308#c1141883815参照)とりあえず少なくとも現在の中国の文脈で語られる場合、

・(前提としての)市場メカニズムへの信頼
私的財産権の明確化と保護
・「法による統治」の確立
・国有企業の私有化の推進
・「小さな政府」の実現(バラマキ型再分配政策の廃止)
・(言論活動など)市民活動に対する政府介入の縮小・廃止


 などの主張を総体として行っている立場として理解しておきたい。

 かつて、このような「新自由主義」も含めた自由主義的なオピニオンを持つ論者が集っていたメディアといえば『戦略と管理』誌であったが、休刊になった現在、新自由主義的な立場からの最も先鋭な議論を展開しているのは、このブログでも何度か紹介した雑誌『財経』ではないかと思われる。

 特に重要なのが、以前ここでも紹介した同誌の日本経済特集号に掲載されていた皇甫平名義による「改革を動揺させてはならない」という論考である。この皇甫平とは、1990年代初めに『解放日報』の三人の記者による共同のペンネームとして使われたもので、訒小平の「南巡講話」前夜の激しい路線対立において、改革=市場メカニズムの推進を強く訴える論考がこの名前の下で連続して発表されたことで知られている*1

 さて、この皇甫平による論考の日本語訳および内容の分析については、「書生くん」さんが詳しいエントリを書かれているのでそちらを参照いただきたい。
http://d.hatena.ne.jp/shosei-kun/20060202/1138898105


 ここで重要なのは、皇甫平の文章の中にも書かれているように、この1,2年の間で新自由主義的な主張の高まりが見られる一方、そういった方向性での改革の推進に批判的な国内の論調もかなり強まってきている、ということだろう。だからこそこのような切迫感に駆られたタイトルの論考が登場してきたのだといえる。
 さて、新自由主義に批判的な記事はあまりにたくさんあるのでどれを紹介したらよいのか迷うのだが、それぞれの立場を代表する論者の主張をコンパクトにまとめた記事がいかにあったので、そのいくつかを訳出しよう。

http://www5.chinesenewsnet.com/gb/MainNews/Opinion/2006_3_4_9_57_47_773.html
http://www5.chinesenewsnet.com/gb/MainNews/Opinion/2006_3_4_9_57_47_773_1.html

 とりあえず、改革派を代表する論客として中国経済学界の「重鎮」、呉敬蓀の主張。

 呉敬蓀の観点は「二つの明確化」に要約される。すなわち「改革を堅持するという方向性を明確にすること」および「改革について真摯な姿勢での再検討を行うことを明確にすること」、である。彼によれば、中国の社会経済システムはより一層の向上を必要とし、改革を推進しなければならない状況にあるが、その改革には少なからぬ重大な問題点が存在している。
 呉敬蓀は、このような問題点を四つに概括している。第一に、経済の領域においては、大型国有企業の株式化、独占産業の管理体制・財産権に関する改革、および基本的な経済資源の市場を通じた分配、などのいくつかの重要な改革が、大きな障碍のもとで緩慢にしか進展していないこと。第二に、市場経済の正常な運行に必要な法治環境の確立が遅々として進んでいないこと。第三に、基礎的な社会保障など、政府が提供しなければならない公共サービスが、拡充していないだけではなく減少する傾向にあること。最後に、伝統的な計画経済体制のもとで適合的だった粗放的な成長方式を集約的な方式に転換するのが困難であること。
 このような状況の下、分配の不公平さのため貧富の格差は拡大しており、行政腐敗の蔓延などといった社会矛盾は日ごとに拡大しており、それが大衆の潜在的な不満を引き起こしている。このため、呉敬蓀は改革に対する真摯な姿勢での再検討を行わなければならない、というのである。

 次に、こちらは昨年新自由主義への激しい批判を行い話題になった、経済学界の「長老」劉国光氏の見解。

劉国光によれば、この数年、社会主義についての議論は全くなくなったというわけではないけれども、相対的に少なくなった。改革は大きな成功を収め、経済発展は繁栄に向かい、そのため人民の生活は総体的には改善されたが、それと同時に、社会の矛盾は深刻さを増し、貧富の格差は急激に拡大し、政治の腐敗と「権力の資本化」ともいうべき現象が発生し急速に蔓延・拡大している。このような趨勢は、社会主義の自己改善的な改革の方向性とは相容れないものである。従って、現在はむしろ社会主義について活発に議論し、中国の改革の方向性を大衆の心理に合わせていくべきである。当然、市場経済はまだ不完全であり、これについてはもっと議論を重ねなくてはならない。社会主義の方向性に合致してさえいれば、市場経済についてはどんどん議論を行うべきである。しかし、純粋な市場経済はわれわれの改革の方向性とは異なる。
 劉国光は新自由主義経済学を激しく批判する。彼によれば、フリードマンに代表されるマネタリズムなど西側諸国の新自由主義は、現代市場経済における一般的なルールを反映したものであり、われわれはそれを学ぶ必要がある。しかし、新自由主義の理論的な前提と核心は、社会主義中国には適合しない。また、中国における経済学の主流となり、中国の経済発展と改革を主導する理論とはなりえないのである。

 …うーむ、どちらもあまり具体的ではないですね。これでは対立点がかえってわかりにくいかも。というわけでとりあえず疲れたので続きはまた改めて。

*1:以下の記事に、「皇甫平」の一人である周瑞金氏による今回の執筆の背景についての説明がある。http://guancha.gmw.cn/show.aspx?id=6581