梶ピエールのブログ

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上海的「買弁資本主義」が中国(経済)をダメにする?


先日、ある学会主催のシンポジウムで、著名な中国人経済学者の公演を聞く機会があった。
 中国の改革開放30年間の経験を評価する、というお題だったが、その論者は1980年代の改革を制度が整っておらず、レントシーキング(「官倒」)が横行する不十分なものであったと総括した一方で、1990年代における分税制導入などの一連の財政・金融改革を、それによって初めて市場経済が中国に定着し、高成長が可能になった、と高く評価していた。
 この主張を聞きながら、僕は「あれ??」と思った。最近読んだばかりの、Huang Yashengの著作とは間逆の評価がそこでは展開されていたからだ。


Capitalism with Chinese Characteristics: Entrepreneurship and the State

Capitalism with Chinese Characteristics: Entrepreneurship and the State

 Huang Yasheng氏によれば、1980年代の中国経済こそ、郷鎮企業に代表されるような企業家精神にあふれた非国有企業が中心となった自由で競争的な市場が存在していたのに対し、1990年代以降には、上海の浦東地区に代表されるような国家開発プロジェクトに外資を呼び込む、という国家主導的成長パターンが中心になった。その結果、中国経済はむしろ近年になるほどレントシーキングが深刻化する非競争的なものになってきており、そのことがさまざまな社会のひずみを生み出している・・・つまり、80年代と90年代の経験の評価が、上述の経済学者とはまさに正反対になっているのだ。

 本書における主な主張を箇条書きにしてみよう。

趙紫陽など農村を重視した指導者に主導された1980年代の改革に対し、江沢民、朱鎔基など「上海閥」の指導者に主導された1990年代の「改革」とは、都市・国有セクター・海外資本への利益誘導に他ならなかった。

・都市と農村の格差が拡大したのは、市場経済のせいではない。むしろ市場に対する政府の介入が強くなり、郷鎮企業の成長を押さえつけるさまざまな政策が導入されたからだ。市場がもっと競争的だった80年代には、農村と都市の格差は一貫して縮小してきた。

・80年代、農村の金融市場は十分競争的であり、そこから郷鎮企業は潤沢な資金を得ていた。しかし、90年代の金融部門へのコントロール強化により、非国有中小企業の信用制約が深刻なものとなった。これにより中小の郷鎮企業は息の根を止められてしまった。これは「改革」の名を借りた江沢民政権による非国有企業つぶしの政策であった。

・上海は高い成長を実現しながら労働者賃金の上昇はそれに見合ったものではなく、また雇用も拡大していない。上海における国有企業のリストラは私営企業の発展につながらなかったからである。

・上海では、低所得階層ほど賃金の伸び率が低くなっている。上海は貧困層・労働者にとって厳しい都市である。

・上海の企業は浙江省広東省の企業と比べて特許の数が非常に少ない。上海では進取の気性に富む「企業家」がほとんど存在しない。上海でビジネスを行うには政府の規制が多すぎるからである。

・このような外資依存で政府規制が強く、利権にまみれた上海経済の象徴が、「周正毅事件」に代表される不動産スキャンダルや、「陳良宇事件」のような社会年金基金横流しである。

 ・・・ここまで読んできて一つ確実にわかったことは、Huang Yasheng氏は絶対に上海出身ではなく、上海に親戚もいないだろうということだ!

 冗談はさておき、土地市場におけるように要素市場におけるレントシーキングがむしろ1990年代に激しくなってきたという点については私も本書の主張に賛成である。しかし、1980年代の農村には競争的金融市場が存在していた、というのはちょっといいすぎではないだろうか。それは所詮、市場経済の黎明期において「秩序なき自由」が実現していたに過ぎないのではないかという気がする。また、上海の状況やや上海閥の政治家をターゲットにしてこき下ろすというやり方には、ある種の政治性を感じざるを得ない。

 その意味ではHuang氏とは正反対の主張を行っている、冒頭のシンポジウムの論者も多分に政治的立ち位置を反映したものかもしれない。中国人の経済学者はアメリカ人学者がそうであるのとはまた違った意味で、政治と無縁ではいられないということを改めて思い知らされる。