こちらに来てから1ヶ月が過ぎたが、とにかく英語を何とかしなくてはならないということで、先週から公営の無料の英会話教室に通うことにした。こういう公営の「生涯学習」スクールがアメリカのほかの都市にも普通にあるのかどうかよくわからないが、趣旨としては移民やその家族がこちらでの生活に早くなじめるように運営されれているところで、他に料理や文学・絵画・ヨガなどカルチャーセンターのようなプログラムも用意されている。ただ基本的に誰でも利用でき、結構こちらに来たばかりのvisiting scholarも利用しているようなので、とりあえず利用してみることにしたのだ。当然のごとく、利用者で最も多いのはヒスパニック系で、クラス分けの試験を受けた教室でもほとんどスペイン語しか聞こえてこない状態だった。ただ基本的にこういった人たちは文法ができないので、勢い「上級」のクラスには僕のように文法や読解はできても会話ができない日本人・韓国人・中国人などが集まることになる。この3カ国でクラスの8割くらいを占めるだろうか。
まあこのことに限らず、アメリカにいると日本や中国にいるときとは違い、むしろ半島や大陸の人々と日本人との「近さ」「共通点」を意識することが多いわけだが、どうもそのことに自覚的な日本人はそれほど多くはないようだ。そのことについてはまた改めて考えてみたい。
さて、そういうわけで経済学の勉強はあまり進まないのだが、たまには参加したセミナの内容でも紹介してみよう。知ってのとおりアメリカの有名大学では他大学から報告者を招いての講演会やセミナーが実に頻繁に開かれる。経済学部中で参加者が最も大いのが学部主催のセミナーで、今年はGeorge「のーべる」Akerlofがコーディネータになっている。今回紹介するのは少し前のセミナー行われたRoland G. Fryerによる'An Empirical Analysis of 'Acting White' という報告についてである。
Fryer氏(web pageはhttp://post.economics.harvard.edu/faculty/fryer/fryer.html)は、Harvard Society of FellowsのJunior Fellow(日本の大学で言えば何になるんでしょう)で、業績一覧をみればわかるように、人種差別やアファーマティングアクションのミクロ経済的な分析という刺激的な問題について精力的に論文を発表している気鋭の研究者である。この研究に関するペーパーはまもなく超一流誌Quarterly Journal of Economicsに掲載されるらしい。
さて、経済学的手法でマイノリティや差別の問題を扱ったものとしてはAkerlof大先生のカースト制に関する先駆的な論文(詳細は忘れた。『ある理論経済学者のお話の本』ISBN:4938551225ずです)などがあるが、比較的最近の研究で手に入りやすいものとしては松井彰彦『慣習と規範の経済学』ISBN:4492313176 に収録されているMatsui=Kanekoの「フェスティバルモデル」に基づいたマイノリティ差別の議論がある。これは、多数派の中にマイノリティに対して非寛容な人間が一定程度存在すると、全てのマイノリティが多数派に対し友好的にふるまっても、一種のコミュニティの分断が生じることを進化ゲームのモデルを用いて示したものである。
これらの研究に対し、Fryer氏の議論の特徴は、マイノリティのコミュニティ内部の問題を指摘するところにある、といえるだろうか。
ここで'Acting White'とは、「有色人種が白人らしく振舞うこと」を指す。より具体的には、より白人に近い英語を話したり、GAPの服(!)を着たりする、といった振舞いを指すらしい。ただ、当然のことながらそれではあまりにあいまいすぎて経済学的な実証研究にふさわしくない。そこで彼の研究では同じ人種内の友人がどれだけいるかどうか、という点を'Acting White'の基準として用いている。ようするに同じ有色人種内の友達が少なければ「人種内のコミュニティへの帰属意識が低い」つまり「白人らしく振舞っている」とみなすわけである。
ペーパーは実証部分と理論部分からなる。Fryer氏の議論の核心はもちろん理論モデルの構築にあるのだが、専門外の人間にとっては実証部分で示されたデータのほうが興味深いだろう。実証分析では、国内で無作為に抽出された私立・公立のgrade7から12(中学・高校生)の学生に対し、個人的属性と成績、それに友人の数(および人種)を含めたインタヴューを実施してミクロデータを構築、その結果より次のことが明らかにされる。
・有色人種(黒人およびヒスパニック)では、学校での成績が上位の学生ほど、同人種内での友人の数が少ない傾向がある(正確には、黒人の場合成績が中位の学生が友人数が最も多く、それより成績が上がると友人数が少なくなる)。白人にはこういう傾向は見られず、むしろ成績がよい学生ほど同人種内(白人)の友人が多くなる傾向がある。
・上記の現象について男女間の差はあまり見られないが、低学年(中学生)ほどその傾向がはっきり現れる。
・上記のような傾向は、私立学校よりも公立学校のほうが顕著に現れる。また、有色人種(黒人)が大部分を占める学校より、人種が混在している学校のほうが顕著である。
・同じデータセットを用いた計量分析においても、成績*黒人または成績*ヒスパニックという説明変数が、被説明変数である同人種内の友人の数に負の影響を与えていることが明らかにされた。
つまり、「成績のよい有色人種ほど同じ人種の友人とあまり付き合おうとしない」という明確な傾向が読み取れるのだ。このことからもわかるように、Fryer氏はあくまでも学校での成績がよい(つまり、将来の中間層やエリート層を形成する可能性の高い)有色人種が「白人らしく振舞う」ことを問題としているわけである(続く)。