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苛酷な自然の中での人間とオオカミの知恵比べ、あるいは自然への畏敬を抱きながら、それを「近代人」として踏みにじらねばならない矛盾した存在としての「ナチュラリスト」という自己認識、といったモチーフは、シートンの『オオカミ王ロボ』と極めてよく似ている。しかし、中国で破格のベストセラーとなったこの小説は、文革で内モンゴルに下放された漢民族の青年が主人公であるという設定から必然的に政治・民族の微妙な問題を含んでおり、それがいっそう作品に奥行きを与えている。もちろん、最後まで緊張感をたたえた、血湧き肉踊る良質のエンターテイメントとして読むことも可能である。
先日も触れたことだが、『モンゴリアン・ピンポン』や『白い馬の季節』、あるいは『トゥヤーの結婚』といった日本でも公開された一連の映画作品にも見られるように、どうも最近の中国では「遊牧の民へのオマージュ」をモチーフにした映画や文芸作品が一種のブームを引き起こす傾向があるように思える。あるいは伝えられるチベット仏教の静かなブームもここに加えられるかも知れない。
これはさしずめ、これまでわき目も振らず高度経済成長を続けてきた現代中国において、従来は圧倒的な「善」とされてきた「開発」や「近代」「文明」といった価値観に対し次第に懐疑の目が向けられるようになったこと、いわば「単純な近代化」から「再帰的近代化」への移行ともいうべき現象が、「素朴」だが「質実剛健」であり、より「自然」に近い生活を送っていると考えられる遊牧民族への敬意と贖罪の形を借りて表現されている、といったところだろうか。
もちろん、このようなマイノリティの「再発見」はかつての日本でも(恐らく1970年代ごろを中心に)みられたような現象である。ただ、現代中国において特徴的なのは、そういった「少数民族へのオマージュ」が、一種の混合民族論としての「中華ナショナリズム」と深く結びついている点である。すなわち、そこには衰退の危機に瀕した「文明」を代表する漢民族が、質実剛健で「自然」を代表するマイノリティと積極的に交わることにより、文明の矛盾を乗り越えたより強固な「中華民族」へと生まれ変わることができる、という隠れたモチーフを見出すことができるように思うのだ。
本書の「エピローグ」に収められた、主人公の陳陣が友人に語って聞かせる中華文明論こそ、まさにこのような少数民族への「二重のまなざし」を介した形での中華ナショナリズムを見事に体現したようなテキストとなっている。日本で言えば、小熊英二氏が『単一民族神話の起源』で描いてみせた戦前の「日鮮同祖論」を連想させるような混合民族論と、近代への反省的まなざしとの奇妙な組み合わせ。敢えて言うならそれは「内省する帝国」の思想、とでも言うべきものである。これをどのように位置づけていいのかは僕には分からないし、社会科学的にきちんと位置づけるための概念もまだないような気がする。
ともすれば、「民族主義」を刺激することによって分裂主義的傾向を生み出さないとも限らない「危うさ」を抱えた上記の作品群が、一応当局の規制をかいくぐり、マジョリティである漢民族の間でも強く支持されているという現象は、こういった「中華ナショナリズム」自身の独特な構造に注目してこそ、初めて理解可能になるものではないだろうか。
※(追記)こちらの感想もぜひご覧下さい。
http://d.hatena.ne.jp/baatmui/20080216#1203182075
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