梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

<民主>と<中華>

 お久しぶりです。この間、米中戦略経済対話や、四川大地震3周年など中国関連の動きはいろいろあったようですが、それはまあともかく。

 あまり誰も気にとめていないかもしれないけど、ちょっと前のニュースで、以下のようなものがあった。

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011050200420

【北京時事】台湾のシンガーソングライターで1983年に中国大陸に亡命、89年の天安門事件後に台湾へ送還された侯徳健氏(55)が1日、北京の国家体育場(愛称・鳥の巣)でロックコンサートに出演した。中華民族のルーツを竜に託し、70、80年代に中台双方でヒットした「竜の伝人(伝承者)」を歌い、9万人の観衆は懐旧の情に浸った。
 2日付の香港紙・明報は「侯氏が6・4(天安門事件)後、北京でステージに立つのは初めて」と伝え、北京紙・北京晨報は侯氏の舞台写真を掲載した。
 侯氏が78年に発表した「竜の伝人」は米国との国交断絶に直面した台湾人の心を捉えてヒット。侯氏が台湾に失望して渡った大陸でもヒットする一方、台湾では放送・販売禁止となった。(2011/05/02-15:22)

 この歌のより詳しい背景については、例えば以下のブログ記事を参照のこと(ただし文中「龍的伝心」とあるのは「龍的伝人」の間違い)。
http://wabisabiland.cocolog-nifty.com/wabisabiland/2007/06/post_a6d5.html

「龍的伝心」は、中国を龍にたとえて「巨龍よ、目を覚ませ」と呼びかける愛国歌で、いかにも中国政府がプロパガンダに使いそうな歌だが、蔡易達氏によると、もともとは78年に米中の国交正常化が行なわれ、台湾が切り捨てられたとき、その悲しみを台湾のシンガー・ソングライターの侯徳健がまだ見ぬ中国を夢見て作った歌だという。当時の中華民国政府も、この歌を利用して、台湾で大ヒットした。しかし割り切れない思いを抱いた侯徳健が中国に亡命したことから状況は一変し、台湾ではたちまち禁止曲に。
 一方、中国でそれなりに活動の機会を与えられた侯徳健は、87年に台湾で戒厳令が解かれ、徐々に大陸との交流がはじまってからも、帰国は許されなかった。そして天安門事件で、彼は学生たちに同情的な行動をとったとして、拘束された。広場での彼の姿は『天安門事件』という映画で見ることができる。かくして「龍的伝心」は中国でも封印され、彼自身は後に秘密裏に台湾に送還された。

 僕がこの歌を最初に聴いたのは北京にいたとき、確かその当時大学の寮でも見ることのできた鳳凰衛視で、台湾の歌手王力宏(侯徳健の甥でもある)が現代的なアレンジで歌ったプロモーションビデオを通じてだった。なにせ、歌詞にナショナリスティックな「民族団結」を歌った部分が多く、やはり当時ビデオががんがん流れていた、アンディラウの「中国人」と同じような官製のプロパガンダ・ソングぐらいにしか思わなかった。そのときは、台湾外省人が抱く屈折した中華ナショナリズム、というこの歌が本体持っていた性格のことには、には全く思い及ばなかったのである。
 また、侯徳健が劉暁波などとともに「天安門四君子」と呼ばれたことや、「龍的伝人」が民主化運動の中で象徴的な意味を持って歌われたことを、知識として知ってはいても、この歌との当初の出会いが、そういった中国政府のプロパガンダを通じてのものであったので、正直な話あまりピンと来なかったし、今でも侯徳健という人に、それほど深い思想性があるとは思っていない。

 しかし、北京での公演にあわせてRadio Free Asiaが伝えた、天安門事件当時の侯徳健の様子についての記事、並びにその記事の中リンクが張られたYouTubeの動画を見ると、この歌がかつての中華世界において、もう一つの重要な「意味」−民主化運動のテーマソングとしての−を持っていたことが改めてよくわかり、大変興味深かった。

 記事の中で紹介されている映像は、1989年5月27日、香港で開催された民主化運動支援を呼びかける集会に参加した侯徳健が、聴衆と一緒に「龍的伝人」の歌う際のものである。そのMCの中で、侯は、今中国で行われている民主化運動とは、(現在バラバラにされている)中華民族が団結するための民族運動でもあるんだ、という旨のことを述べている。この時の会場の熱気は、いわばかつて小熊英二が『<民主>と<愛国>』で描いたところの、<民主>と<愛国>とが不可分のものとして信じられた、戦後日本の空気にも似ていよう。ここで用いられている「中華民族」あるいは「民族主義」という言葉は、専制的な権力に対峙するための抵抗のスローガンとして選び取られたものなのだ。台湾出身の歌手が、香港で大陸の民主化運動を支援するというシチュエーションは、そのような民族主義を称揚するのに格好の舞台だった、と言っていいだろう。

 しかし、より重要だとおもわれるのは、侯自身が自ら「龍的伝人」の歌詞の問題点について語っている部分である。この歌の二番の歌詞には、「黒い目、黒い髪、黄色い皮膚、永遠の龍の伝人たち」というくだりがある。この歌詞には、台湾で生まれ育ち、大陸の現実を知ることのなかった侯のあからさまな、いわば「無意識/無作為な」漢族中心的な視点が現れている、といってよい。しかし、彼は、やがて大陸で活動するようになるうちに、この歌詞の範疇に当てはまらない、様々な「龍的伝人」と出会うことを通じて、自らの過ちに気づいたことを告白する。そこで引き合いに出されるのが、例えば、当時の民主化運動のリーダーだったウイグル人ウルケシウーアルカイシ)である。YouTubeの映像は、侯がこの歌を作った時にウイグル人のような「黒い目」をしていない人々のことを考慮に入れていなかったことを素直に認め、聴衆にこの部分の歌詞を変更して歌うようよう呼びかけ、聴衆の側もそれを受け入れる、という貴重な瞬間を捉えている。

 われわれは、現在の中国で、「中華民族」という概念がしばしば権力側のスローガンとして用いられ、むしろマイノリティ抵抗運動を押さえ込む際のキーワードとして用いられていることを知っている*1。しかし、その「中華民族」という概念の中に、「もう一つの可能性」が込められていた歴史的瞬間が確かに存在したことを、この動画は思い知らせてくれる。あたかも、戦後民主主義の時代における<愛国>という概念に、現在とは違う可能性がこめられていたように。
 現在多くの人が注目している中国における<民主>の問題を考える上で、かつてこのような危ういバランスの上に成立していた「中華民族」概念のもう一つの可能性に改めて注目することは、案外重要なことのように思えてならない。

*1:例えば、朝日新聞柄谷行人提灯記事好意的な書評を書いている、汪暉『世界史の中の中国』における、チベット問題と「中華民族」の脱国民国家性について論じた言説も、残念ながらそういった権力側のディスコースに属するたぐいのものであると、評価せざるを得ない。汪の書籍に対する批判は、また機会を改めて(いつか、そのうち)行いたい。