4.サービス部門の推計
すでに述べたように、中国の統計制度が国際水準にのっとったSNA体系に移行する過程で、最大の懸案はサービス部門の統計をどのように整備するか、という問題であった。その後サービス部門の付加価値額の統計に関してはセンサス調査などを通じてたびたび改訂が重ねられてきた。中でも最大の修正が行われたのが2004年に実施された第1次経済センサスであり、2004年の第三次産業の付加価値はセンサスの実施後48.7%上方に修正され、GDPの名目値は16.8%上方に修正された。その後、2008年の第2次経済センサス、2013年の第3次経済センサスでもGDPの値はそれぞれ4.4%、3.4%上方に修正された。
また、サービス部門の統計をめぐっては現在でも議論が続けられている。評価が分かれるのは、サービス部門では付加価値額を生産面から直接把握するのがが難しいため、収入の側から、すなわちサービス業就業者の賃金やサービス企業の利益等から間接的に把握するしかないのが現状であり、統計の精度が低いためである(丸川2015)。
たとえば、一橋大学のハリー・ウー(Harry X.Wu)は、政府の公表するGDP成長率が長年にわたって過大評価されてきた要因として、第一にサービス部門の成長率が雇用の伸びに対して明らかに過大に評価されていること、第二に価格指数が実態を反映しておらず、その分実質GDP成長率が過大に評価されていることを挙げている(Wu=The Conference Board China Center2014)。前者は、過去のセンサス調査によってサービス産業のカバレッジが急速に増加した結果、1989年と1990年の間でサービス部門の雇用統計に不連続性が生じており、その結果サービス部門の成長率に大幅な過大評価が生じていることを指摘するものである。ウーは1949年以降のサービス部門の雇用を経済センサスの結果を踏まえて推計し直し、サービス部門の労働生産性の上昇がゼロであるという仮定をおいてその成長率を推計し直している。
一方、香港科技大学のホルツ(C.A.Holz)は、GDPデフレーターに過少評価の傾向があることは認めながら、その効果はそれほど大きなものではないとする。彼はまた、政府が従来より何度もセンサス調査を通じてGDP統計、特にサービス部門のカバレッジを見直してきたこと、そのたびにGDPの推計値は上方修正されたが、いまだ十分なレベルではないことを強調する。すなわち、現在のGDPの水準は、カバーされていないサービス部門や、「ヤミ経済」の存在によって、過小評価されている側面もあるわけだ。これらのことからホルツは「代替的な推計も不十分で、公式統計よりも優れているとは言えない」とし、公式統計には十分な利用価値があると結論付けている。このほかにも、許憲春(Xu2002)や小島麗逸(小島2003)らが、帰属家賃および福祉関連サービスなどいくつかの項目を十分にカバーしておらず、過小評価されている面があることを指摘している。 このように、サービス部門の統計はまだ整備の途上であり、今後も見直しが続けられていくものと思われる。
5.デフレーターと実質化に関する問題
実質GDPの成長率は当然のことながら名目値を実質化するデフレーターの値によって大きく左右される。特に工業など第二次産業に関するデフレーターに大きな問題があることはこれまで多くの論者によって指摘されてきた。
初期に行われた批判のうち代表的なものが任若恩(Ren1997)によるものである。近年になるまで中国では、GDP、特に工業付加価値の実質値を求める際に、政府(統計局)が独自に調査を行って推計したデフレーターを用いて名目値を実質化するのではなく、企業などが定められた基準年の価格を用いて自ら実質化し、報告したデータをもとにしてGDP実質値を求めていた。デフレーターは、そのようにして求められたGDPの実質値と名目値の乖離から、インプリシットに求められるに過ぎなかった。このようなやり方では、企業がきちんと実質化を行ったかどうかチェックすることができず、信頼性の低さが問題とされてきた。任は、統計局が独自にサンプル調査を行って得られた価格指標(農産物買付価格、工業製品出荷価格など)を用いて名目GDPの実質化を行った結果、改革開放期の公式統計における実質GDPの成長率が過大に評価されていたことを指摘した。マディソン(Maddison1998)、ヤング(Young2000)など、基本的に任が行った推計に一部修正を加えた研究が公表されている。
このようなGDPの実質化をめぐる議論は現在でも続いている。現在では、実質GDPを求める際に、国家統計局が独自に推計したデフレーターを用いて実質化を行っている。しかし、そのやり方は、各産業において総生産値―中間投入財としてまず付加価値をもとめ、その付加価値を総生産値を実質化するのと同じデフレータを用いて実質化する、いわゆるシングル・デフレーション法である。
この方法は、総生産値と中間投入財の物価上昇率が同じであれば問題はないが、両者の間に乖離がある時は付加価値の実質値に過大/過少評価をもたらす。この点を補正しようと思えば、総生産値と中間投入財の名目値をそれぞれ別のデフレータによって実質化した上でその差より実質付加価値を求めるダブル・デフレーション法を用いる必要があるが、中間財の価格指標を求めることの技術的制約より、中国では用いられていない*1。
また、松岡=南 =田原(2015)は、中国の公式に発表されたGDPデフレータが輸入物価の変化―2014年以降資源価格の下落を受け、大きく落ち込んでいる―を控除していないため、過小に推計されているのではないかという観点から、GDPの各項目別にデフレータを推計し、輸入物価の変化分を控除して独自に実質GDP成長率の推計を行った。その結果、7%と公表された2015年前半期の実質GDP成長率は、実際には5.2%から5.3%の間であった可能性が高いと結論付けている。このほか、Balding(2013)は中国の物価指標では住宅部門の価格上昇が十分に反映されず、過少になっている、という指摘を行っている。
これらの点は、現在においても価格指標とサービス部門の評価の難しさ、という点が中国のGDP統計の構造的な「アキレス健」だということを物語っている。
6.過去のデータの遡及的修正に関して
4.で述べたように、中国では過去何回かにわたって行われたセンサス調査によってカバレッジの見直しを中心にGDP統計の精度の向上が図られてきた。センサス調査によってGDPの値が大幅に上方修正される場合、当然のことながら過去のデータとの整合性をどうするのか、ということが問題になる。例えば、2004年の第1次経済センサスの際は1993年に遡及して名目・実質GDPの値が上方修正されたが、第2次、第3次の経済センサスの際はそのような過去に遡及しての修正は行われなかった。また、このように中国のGDPが過去に遡及して修正される際には、「トレンド階差法」という方法が用いられた(許2009)。これは、a.まず旧データの1992年および2004年の値を使って旧データのトレンド値を求め、次にb.旧データの1992年の値と新データの2004年の値を使って新データに対するトレンド値を求める。そしてc.1993-2003の旧データのトレンド値と実際値のトレンド値との比率係数を得る。最後にd.この比率係数を使って新しいトレンド値を修正し、過去のデータを改訂する、というものである。
ただ、このような過去のデータにはある種の恣意性が付きまとうため、それに関する問題点も指摘されてきた。このようなトレンド階差法による修正が行われることにより、公表されるGDPの成長率は基本的に変動の少ない、滑らかなものになる傾向がある。その過程において、特定期間における成長率の落ち込みなどが隠されてしまう可能性がある。例えば、第2次経済センサスの際に過去に遡及した修正が行われなかった背景には、2008年のリーマンショックの影響による成長率の落ち込みを隠す目的があった、という指摘がある(三浦2013)。
『中国GDPの大ウソ』でも指摘されているように、各年度の実質成長率の変動が少なすぎるのではないか、という批判はよく聞かれるところだ。これは、前項で見たデフレーターに中間財や輸入財の価格変動が十分に反映されていないという点、過去のさかのぼった補正が行われる際に各年度の成長率が滑らかになるように補正がされている、という点によってほぼ説明できるのではないだろうか。
7.地方GDPの過大評価問題
さて、これまで検討してきたのは、いずれも全国のGDP統計に関する問題点だった。中国では、これとは別に31の省・市・自治区(地方政府)が公表する地方GDPの統計があり、こちらの方もまた固有の問題を抱えている。その代表的なものが、これら省レベルの地方政府が発表するGDP統計の合計が中央政府(国家統計局)のそれと合致しない、という問題である。その背景として、地方のGDP成長率が地方指導部の評価を左右するといった中国独自の官僚の考課制度をはじめとした、政治的な要因もあると言われてきた(三浦2013)
改革開放期以降、地方政府はその地域の経済振興に深くコミットしていただけでなく、徴税の権限ならびにその規準となる統計データの収集という側面においても大きな権限を持っていた。また、各級の地方政府で統計データが集計される過程では、統計局以外にもさまざまな部署が関わっており、そこで統計に関する虚偽報告が行われる可能性があることが指摘されていた。すでに述べたように1990年代後半以降、国家統計局が直接データを収集して各種の価格指標や鉱工業企業統計の作成を行うようになった背景には、このような統計データの収集・集計に地方政府を介在させることによって生じるバイアスを排除し、より実態に近い統計データの推計を行おうとする中央政府(国家統計局)の意図があった(梶谷2003)。
しかし、その後も全国GDP統計と地方GDP統計との間の乖離は縮小するどころか、ますます拡大していった。 このような地方GDP統計の過大評価問題について、おそらく最も説得力のある説明を行っているのが三浦(2013)である。三浦によれば、地方政府のGDPが全国の値に比べて課題になる原因は、工業付加価値の過大評価にあるという。
少し詳しく説明しよう。中国のGDPの構成要素である鉱工業付加価値の統計のベースになっているのは、一定規模以上(2010年まで売り上げ500万元、2011年以降は2000万元)の工業企業のデータを国家統計局が収集して得られた工業付加価値の統計である。鉱工業付加価値の統計は工業付加価値のカバレッジに含まれない中小企業のデータも含んでいるため、必ず後者の値を上回るはずである。しかし、実際には2007年以降、カバレッジが小さいはずの工業付加価値の値が鉱工業付加価値の値を上回ると言う「異常な事態」が生じている。
三浦によると、国家統計局も工業付加価値の統計が過大評価されていることを認識しており、これに一定の下方修正を施した上で、工業付加価値のカバレッジに含まれない中小企業のデータをそれに加えて鉱工業付加価値の統計を算出しているのだと言う。しかし、地方政府が独自に算出している地方のGDP統計では、このような下方修正が行われず、過大評価された工業付加価値の統計をそのまま用いて地方ごとの鉱工業付加価値の統計を算出している。このため、地方レベルのの鉱工業付加価値の合計値と、国家統計局が発表している全国レベルの鉱工業付加価値の間には大きな乖離が生じている、というのが三浦の説明である。
ただし、この問題は国家統計局においても十分に認識されており、特に2008-2013年まで国家統計局局長の座にあった馬建堂局長の時代には、意図的な虚偽記載に対する厳しい罰則を設けた統計法の改正が行われるなど、改善にむけた努力が行われた(Orlik2014)。ただ、その跡を継いだ王保安局長の任期中に冒頭で述べたように数百人の国家統計局職員が統計データを不正に操作して利益を得たという疑惑が生じ、王局長の解任にまで発展している。中国の統計の信頼性はこのように統計データ作成にかかわる「人」の信頼性も密接に関係している。
8.代替的な推計はどの程度頼りになるか
これまで見てきたように、中国のGDP統計には確かに様々な問題があり、それゆえに多くの専門家が代替的な数値を計算してきた。それらは大きく分けて二つに分類される。
一つは経済の実態をより反映していると考えられる指標を組み合わせた代替的な成長率を用いるものである。ロースキーのころからGDP統計と他の経済変数との整合性のなさを問題にする議論は存在したが、その中でも最も有名になったのが貨物輸送、電力消費量、銀行融資額の伸びを経済成長の指標として用いるいわゆる李克強指数であろう。だが、これもよく指摘されるように李克強指数は、李克強が国有企業を中心とした重厚長大型の産業に多くを依存する遼寧省のトップだった時の発言で、これをのまま用いるとそれらの産業の状況を過大に評価した結果が出てしまう、という問題がある。
この点で、より洗練されてるのがキャピタル・エコノミックスによるチャイナ・アクティヴィティ・プロキシ(CAP指標)を用いた代替的な推計である(Capital Economics2015)。CAP指標は、発電量(製造業の代理変数、以下同じ)、貨物輸送量(経済活動全般)、建設中の建物床面積(不動産開発)乗客輸送実績(サービス業)、そして海運輸送量(国際貿易)の5つの指標を加重平均したもので、これらの指標の伸び率を総合して、実態に近いGDP成長率を推計しようとするものである(加藤、三竝2016)。
リンク先に保存されたレポートのChart1をご覧いただきたい。これを見れば明らかなように、CAP指標を用いた代替的な推計は、2012年ぐらいまでは実際の実質GDP成長率の変動とほぼ連動している(ただ、SARSの流行が見られた2003年などいくつかの例外はある)が、2013年以降、特に14,15年は後者の値を2%前後下回っており、実質GDP成長率は過大評価されていた可能性があることを示唆している。ただ、李克強指数はもとより、CAP指標のような洗練された指標でもサービス産業の伸びを十分に補足できておらず、このため製造業からサービス産業への移行が急速に生じたここ数年に実体経済との乖離が生じている可能性もある。
一方、GDPの代替的な推計のもう一つのやり方は、デフレータの算出やサービス部門の推計など、疑わしいと思える部分に独自の仮定を置いてGDPの推計をやり直すものである。一橋大学のハリー・ウーによる推計(Wu=The Conference Board China Center2014)がその代表的なものである。ウーは、政府の公表するGDP成長率が長年にわたって過大評価されてきた要因として、第一にサービス部門の成長率が雇用の伸びに対して明らかに過大に評価されていること、第二に価格指数が実態を反映しておらず、その分実質GDP成長率が過大に評価されていることを挙げている。ウーはこれらの点を補正して独自の推計を行い、1978年から2014年までの実質GDP成長率は公式統計の年平均9.8%より低い平均7.1%であり、1990年価格で測った実質GDPも公式統計より36%ほど低くなる、と結論付けている。
ただ、ウーの推計にも問題がある。補足されていないサービス部門の活動により上方修正される可能性がある点を考慮していない点や、ホルツ(Holtz2014)が指摘するように、長期間にわたってサービス部門における労働生産性が全く変化しない、というかなり無理な仮定を置いている点である。これらの点を考慮するならば、ウ―の代替的な推計を一つの「下限」と考えたほうがよさそうだ。また、彼が行っている代替的な推計はあくまでも1990年を基準とした実質GDPの値に関するものだという点にも注意が必要だ。このような実質GDPの過大評価はその多くがデフレータの過小評価によるもので、必ずしも現時点の名目GDPが大幅に水増しされている、ということを示すものではないからだ。
おわりに
これまで見てきたように、代替的な推計にも様々な問題点があり、切り札となるような推計があるわけではない。ただ、複数の推計結果が示している通り、2014年、2015年あたりの実質GDP成長率はいくらか過大評価されている可能性は高そうだ。ただ、その幅は年率にして最大でも2%を超えていることはおそらくないだろう。また、GDPの名目値に関してはほぼ現在の中国経済の実力を表していると考えて間違いはなさそうだ。
ここ1〜2年、実質GDP成長率の過大評価の指摘が目立つことになった理由としては、1.価格指標の不備が資源価格の大きな下落などによって顕在化した、2.経済構造が第二次産業から第三次産業へと大きく変化したため、統計指標の精度が低下した、3.統計局長の職務怠慢や規律の歪みなどといった人的要因の存在、などが指摘できるだろう。個人的には2014年や2015年の公式統計と代替的な推計との間の乖離は1.と2.でほぼ説明できると考えているが、現時点では確定的なことは何とも言えない。今後ともこのような過大評価の傾向が続いていくのか注視すると共に、様々な角度から観測を続けたうえで総合的に判断を下すしかないだろう。
確かに、中国のGDP統計の精度は決して高いとは言えないかもしれない。しかし、それが全くのデタラメではなく、ある一定の傾向を持つ「誤差」を反映したものだということを知っているだけで、そこから受ける印象はずいぶん違うはずだ。中国の統計のデタラメさを必要以上に言い立ることは、それ以上にデタラメな、トンデモ経済論に陥ることになりかねない。そうならないためには、基本的な資料や関連する論文を地道に読み込んで、少しでももっともらしい見方とはなにか、自分なりに判断していくしかないだろう。