梶ピエールのブログ

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悲観?楽観?それとも客観?

中国停滞の核心 (文春新書)

中国停滞の核心 (文春新書)

 僕はかねがね、現代中国に関するいわゆる識者の見解について、しばしば用いられる「悲観的」か「楽観的」か、という二分法にあまり意味はないと思ってきた。悲観的か楽観的か、という評価軸はそもそも相対的なもので、立場によって逆転することもありうるからだ。また、社会の度の側面に注目するか、によっても評価は変わってくる。たとえば、「今後も7%以上の経済成長は続くがそれと同時に知識人や人権派弁護士に対する言論の弾圧も続く」といった予想は、果たして楽観的なんだろうか、それとも悲観的なんだろうか?

 最近の津上さんは中国経済の将来について「悲観的」だという紹介されることが多いけれど、それはかなりミスリーディングだと思う。中国の成長力が落ちてきており、このままでは持続的な高成長が不可能なことを明確に認識した上で、不要な「脅威論」を払拭しよう、というのが彼の基本的な姿勢で、本書においてもその問題意識は非常に明確だ。
 その意味では津上さんの主張の力点はむしろ「経済成長の悲観的予測を前提とした今後の日中関係の改善」というところにおかれており、その意味ではむしろ楽観的なものだといってもいい。特に本書の後半部分からは、日中間の相互認識における「不確実性」の大きさから生じる相互不信を少しでも払拭しよう、という彼のスタンスは明らかだろう。そしてこういうスタンスには、僕もかなり共感するところがある。

 ただ、そういう「不確実性を減らすことによる相互不信の払拭」という試みが本書において成功しているか、というと、残念ながら疑問符を付けざるを得ない。「中国の成長減速は確実だ」という本書の内容には、いくつかの勇み足がみられるからだ。


 たとえば、本書の第1章では、2012年から2013年にかけて固定資産投資の数値がGDPの約8割を占めているのはいくらなんでも多すぎるだろう、と問題提起し、しかもそのうち「自己調達資金」によるものが7割を占めるなど不自然な点が多いことから、これは統計自体が捏造されていると断定し、実際の成長率はかなり公式統計を下回っておりすでに5%前後なのではないか、と推測している。しかし、この主張には以下にみるように明確な誤りを含んでいる。

 実は、中国の固定資産投資には二つの統計データがある。一つはGDPの支出面を構成している「総固定資産形成」であり、もう一つはそれとは独自に国家統計局が行った定点観測調査によって作成された「総社会固定資産投資額」である。二つの統計には、1.前者には500万元以下の投資も含まれているが、後者には含まれていない。2.前者にはパソコンソフトなど無形資産の増加も含まれるが、後者には含まれない。3.前者に既存資本ストックの購入や、土地購入コストが含まれないのに対し、後者はそれを含んでいる。などの違いがある。 

 本書の第1章では「固定資産投資」のデータとして「総社会固定資産投資額」を用いている。例えば、2012年の固定資産の数字として本書では36兆元という数字が挙げられているが、「総固定資産形成」のほうは25兆元ほどである。近年「総社会固定資産投資額」の伸び率は「総固定資産形成」のそれを大きく上回り、両者の間にはかなりの乖離が生じてている(三浦有史さんのこのレポートを参照)。この理由としては、前者に含まれているが後者には含まれていない土地の取得コストや中古不動産物件の購入額が、近年の「資産バブル」によって上昇し、統計に反映されているからだ。
 「総社会固定資産投資額」は上述のようにGDP統計との整合性がない(GDP統計には土地や既存の資本ストックの売買は含まれない)。だから、仮にその額がGDPの約8割を占めていたとしても、別に不思議はない。そして、仮にその数字が過大に評価されていたとしても、そのことがGDPの成長率が過大評価されていることを意味するわけではない。
 また「総社会固定資産投資額」には、個人の住宅購入なども含まれていることや、中小企業の多くが銀行借入れを行っておらず、内部留保や企業間信用で投資資金を賄っていることを考えると、資金源の7割が自己調達資金であったとしても、それはあながち多すぎるとも言えないのではないか。
 
 あまりに細かい点にこだわりすぎだ、といわれるだろうか?だが、津上さんの主張の力点が、中国経済の見方について「不確実性」を減らして脅威論を払拭することにおかれている以上、その統計の解釈の仕方があやふやなものでは、やはり困るんじゃないだろうか。

 ただ、2009年以降の固定資産投資の伸びが異常なものだというのはその通りで、2012年および2013年における成長率の減速は、こういった投資によるGDPの押し上げ効果が目に見える形で表れてきたという可能性が高い。ただ、そのように投資の押し上げ効果が落ち、しかも一方で労働力は不足し始めているにもかかわらず7.5%程度の成長率をキープできるのは、成長率から労働、資本の投入の増加分を取り除いたTFP全要素生産性)の伸びがかなりあるからにほかならない。これは、現在の資源配分が国有部門偏重であり、明らかに非効率なものになっていることと矛盾しない。むしろ資源配分が非効率であればあるほど、そのゆがみが是正されるだけでTFPは上昇するからだ。
 だから、津上さんの見立てとは違い、中国は今後投資を徐々に控えていっても、生産性の上昇による成長を十分見込める状態にある、というのが僕の意見だ。いずれ効率性が落ちる生産要素の投入増大ではなく、TFPの上昇こそが持続的な成長のカギを握る、というのはマクロ経済学の常識だからだ。

 また、本書の第4章では、社会全体の負債総額が、企業部門に偏重していることを問題視している。一般的には、確かにデフォルトの可能性がある企業部門に負債が集中することは、経済に不安定さをもたらすはずである。一方で津上さん自身も指摘するように、この企業部門の債務には地方政府の債務を肩代わりする「融資プラットフォーム」によるものがかなりの部分を占めている。これらは、完全な企業債務でもなければ政府債務でもない、極めて性格の曖昧なものだ。むしろ、「経済が好調な時は民間債務と見なされ、ハードな予算制約のもとに置かれているが、経済が危機的な状態に陥った時は政府債務と見なされて何らかの救済が行われる」という、いわば状況依存的な債務保証が暗黙のうちに前提とされている、とも理解できるかも知れない。
 こういう「曖昧な」制度によって生じる債務が、例えばすべて政府債務として理解される、あるいはすべて民間債務として理解される、いわば「白黒がはっきりした」ケースに比べて果たしてデメリットが大きいのか。これも結局は債務の規模といった程度問題により、にわかには判断出来ないところがあると思う。


 ・・以上、色々書いてきたけど、要するに中国の将来について悲観的であろうと楽観的であろうと、確実な予測をするのはそんなに簡単なことじゃない、ということだ。

 津上さんによる低成長予測には「このまま強権的な政治体制のもとで高成長を続けてもいつか破綻する、だから低成長を受け入れてでも改革を進めて付合いやすい国になって欲しい」という半ば願望が込められているように思う。しかし、実際は強権的な政治体制のまま比較的高い成長が続いてしまう可能性は、決して低くはない。
 もちろん、高い成長率を続けようとするほど、急激な需給ギャップの調整、すなわちハードランディングの危険性が大きくなることは確かだ。だから、現在の中国政府が、一時期は「李克強経済学」のもとで低成長容認路線を打ち出したものの、昨年秋ぐらいから再び高成長路線が復活したのは非常に危なっかしい、という津上さんの見立ては正しい。今後しばらくは政権内部でも安定成長路線とイケイケ路線との綱引きが続くのだろうけど、最終的にどちらの道をとるかは結局政治的な判断によって大きく影響される。そして、その点も含めてやはり中国経済の将来は不確実性に満ちている、と言わざるを得ない。
 こう書くとまた振り出しに戻ってしまったみたいで、我ながら身も蓋もないなあ、と思うけれど、それが社会科学による客観的なものの見方というものなのだろう、たぶん。