少し前のことだが、津上俊哉さんが、丸川さんと僕の共著『超大国中国のゆくえ4:経済大国化の軋みとインパクト』(東京大学出版会)の、序章についてブログで批判を書かれている。
http://www.tsugami-workshop.jp/blog/index.php?categ=1&year=2015&month=5&id=1430811575
http://www.tsugami-workshop.jp/blog/index.php?categ=1&year=2015&month=5&id=1430811076
http://www.tsugami-workshop.jp/blog/index.php?categ=1&year=2015&month=5&id=1430810602
http://www.tsugami-workshop.jp/blog/index.php?categ=1&year=2015&month=5&id=1430810190
http://www.tsugami-workshop.jp/blog/index.php?categ=1&year=2015&month=5&id=1430809741
http://www.tsugami-workshop.jp/blog/index.php?categ=1&year=2015&month=5&id=1430808899
主に共著者である丸川さんの議論への反論の形を取っているが、その主要な論点であるGDPやTFP(全要素生産性)の将来予測に関しては僕も丸川さんのものとは違うが一応数字を出しているし、津上さんのブログ記事でも言及がされている。このため、早く何か書くべきだとは思っていたのだが、このところ拙著の校正その他の仕事もあってなかなか時間を使ってまとめることができず、公開するのが遅くなってしまった。津上さんにはお詫びを申し上げたい。
- はじめに言い訳――米国経済との相互依存、TFP成長率推計のあやしさ――
さて、丸川さんとの共著『経済大国化の軋みとインパクト』をお読み頂いた方ならおわかりのことと思うが、成長率予測については丸川さんと僕の間ではかなり意見の隔たりがある。舞台裏の話をすると、成長率予測の記述がある序章も、もともと丸川さん単独で書いた草稿に、後で僕が注文をつけて無理に「慎重な」予測の数値も加えてもらった、という経緯がある。
正直なところ、もともと、僕は中国経済の将来予測をすることにあまり乗り気ではなかった。一つには、アメリカのGDPを抜くかどうかと言うからには中国だけではなくアメリカの成長率の予測をしなければならない。しかし、この点に関しては僕も含めて誰もまともな考察を行っていないのだ。米国経済の動向についてある程度根拠のある予測が立てられないのに、両国の成長率を比較して中国にいつ抜かれる、いや抜かれない、といった議論をすることが果たして生産的なことだろうか。というのも、世界第一と第二位の経済大国が相互に影響を及ぼしあうことなく成長すると考えることの方が不自然だからだ。中国経済にとって、4兆元の景気対策の後遺症は深刻だが、これもリーマンショック以降の米国経済の躓きがなければ生じなかった。同様に、今後中国経済が大きな減速を示せば、それは確実にアメリカ経済にもゆがみをもたらすだろう。こういった相互依存関係を考慮に入れない米中経済の比較には、そもそも大きな欠陥があると言わざるを得ない。
気が進まなかった理由のもう一つは、将来の成長予測で一般的に用いられる成長会計分析によって過去の成長率の要素分解を行った上で、外挿的に将来のGDP成長率を予測するという手法が、中国経済を対象にする場合には特に非常にブレの大きい、すなわちあまり当てにならない手法だと言うことがある。たとえば、津上さんの新著『巨龍の苦闘』でも使われている、The Conference Board(全米産業評議会)のレポートに基づいて2000年以降のGDP成長率を要素別に分解したグラフが以下の通りとなる。
これを見れば明らかなように、投資および労働投入の貢献は安定しているのにTFP成長率は非常に変動が大きいことがわかる。このような場合はTFP成長率が大きな誤差を含んでいると考えるべきである。誤差を大きなものにしている第一の理由は、GDP成長率から資本と労働の貢献分を除いて得られるTFP成長率には、景気の変動すなわち需要の落ち込みが反映されるからである。たとえば、よく用いられる例えとして、モータープールの経営である。第一期目に景気が悪く半分しか利用する車がなく、第二期から満車の状態が続くとする。第一期と第二期では資本と労働の投入が増えた訳でもないのに、売り上げは倍増する。この時、一期目から二期目にかけてTFPは大きく上昇しているはずだが、その上昇分は、需要の増加によってほぼ説明できる。
Conference Boardの数値によるグラフからは、2012年から14年にかけて大きくTFP成長率が減少している。これは、一面では2009年ぐらいから続いてきた景気刺激策による固定資産投資の効率低下を反映したものだが、同時に不況による需要の停滞も反映したものだと考えられる。
誤差を大きなものにしている第二の理由として、資本と労働の生産弾力値のパラメータによってTFP成長率が大きく変化する点が挙げられる。特に、労働の生産弾力値の代わりに労働分配率を用いるやり方には問題が多い。上述のConference BoardのTFP推計でも労働の生産弾力値の代わりに労働分配率を用いており、しかもその値は2011年以降40.2%に固定されている。これは明らかに労働の生産弾力性の値としては過少評価であり、そこから導かれるTFPも過少評価されていると考えられる。たとえば、代わりに労働の生産弾力性を0.5として計算すれば、TFP成長率の推計値は1%以上上昇する。このように考えると、成長会計分析によれば2012年から14年まで確かにTFP成長率が大きく減少しているものの、この状態が今後も持続する可能性はそれほど高くない。この時期のTFP成長率の減少分は、需要の落ち込みと推定値の誤差、それに異常なまでの低効率な投資が大量に行われたことでほぼ説明できると考えられるからだ。もちろん、需要が回復するのか、という問題点は残るが、この点については後ほど考察する。
以上、「GDP成長率の将来予測(および米中比較)を行うのに気が進まない理由」を長々と述べた。これは言い訳であると同時に、これらのことを議論の前提として初めて、成長率の将来予測の議論が意味を持つ、という条件を述べたつもりである。逆に言えばこれだけのことを長々と隠すペースがあるならば、GDP成長率の将来予測をすることも悪くない、ということでもある。
- 労働/資本分配率と資本の成長率について
さて、丸川さんによる成長率の推計の下になっている計算は、有斐閣から2013年に出されたテキスト『現代中国経済』の方に詳しく記されている。Conference Boardの推計にも言えることだが、労働の生産弾力性の代わりに労働分配率を用いるやり方には問題が多い。中国では労働市場のゆがみが非常に大きいため、労働分配率と生産弾力性との間に少なくないギャップが存在するからだ。まず、計画経済維持代から改革開放期の1990年代まで、労働分配率は労働の生産弾力性を一貫してかなりの程度上回っていたと考えられる。逆に言うと資本の生産弾力性が過少に評価されており、そのためTFPが過大に評価されていた。その後労働分配率は1990年代から徐々に低下を始め、ここ10年ほどの間はむしろ資本の生産弾力性を下回るようになったと考えられる。一方で2004年以降の労働分配率は過少に評価されている面がある(自営業者の労働報酬が含まれていないため)ことを考慮に入れれば、近年(2010年以降)の労働の生産弾力性は0.5前後で推移していたと考えるのが妥当である。
そして今後、労働の生産弾力性及び分配率は就業者人口の減少に従って次第に上昇していくと考えられる。日本の例でも、1970年代前半に労働分配率が急上昇し、以後1990年代まで60%台で推移している。(こちらを参照)
どのくらいのペースで変化するか、という問題はあるにせよ、労働力が不足し始めた中国においても労働分配率ならびに生産弾力性は、丸川さんとの共著の序章で僕が示したように、60%前後で一旦落ち着く(資本の生産弾力性は0.4程度で推移)とみるのが妥当ではないだろうか。それを超えて労働分配率が上昇するとしたら、それこそ中国が中所得国の罠を脱したときである。
次に問題となるのは資本の成長率である。2012〜4年におけるGDP成長率の低下は世界経済の落ち込みによる輸出需要の低下と不動産価格の低下などによる投資需要の落ち込みなど、需要面での要因と、過剰投資による投資効率の低下、すなわちそれまで高成長を牽引してきた資本の投入がそれまでのような生産性の向上をもたらさなくなったという供給面の要因の双方がある。今後も、GDP比で50%近い投資率が続く限り、投資効率の低下が一層進むことは避けられず、どこかで固定資本投資の伸びを適正な水準に戻す必要がある(過剰投資のリバランス)。
では、どのような水準が「適正」なのか。その判断は難しいが、たとえば日本総研三浦有史さんによるレポートの図表5−2などを参考にすれば、今後中国が上位中所得国として持続的な成長を行う上では固定資産投資をGDP比の30〜35%程度に押さえることが妥当なラインではないだろうか。
その際の問題は、一つは、そういった非常にインパクトの大きな成長パターンの調整を、果たしてハードランディングを避けつつ行うことが出来るのか、という点だ。二つ目は、仮にハードランディングが避けられたとして、その場合の経済成長に資本投入が成長に寄与する度合いは それまでより大きく低下せざるを得ないだろう。このことが持つ意味については後ほど詳述する。
- TFP成長率について
もう一つ重要なのがTFPと資本の生産性との関係である。この点に関しては僕はむしろかなり楽観的な見通しを持っている。確かに、津上さんも指摘しているように1980〜90年代のTFPの上昇のかなりの部分を労働力の一次産業から二次産業への移動による部分が占めていた。しかし、2000年以降、そのような一次産業から二次産業への労働力の移動はかなり限定的なものになっている。にも関わらず、これまでの多くの研究によれば特に工業部門におけるTFP成長率は近年まで非常に高い値を示していた。
たとえば、チェン=ジェファーソン=チャン(Chen=Jefferson=Zhang、 2011)の研究*1では、2001年から2008年までの製造業のTFP成長率は11.1%に達し、アウトプットの成長率への寄与度は64%に達する、という数字を示している。また、彼らは確率的フロンティアの手法を用いて、1981-2008年の中国における産業別のTFP成長率を推計、さらにそれを技術進歩、効率性の改善、規模の経済性、(生産要素の)分配の効率性の改善という4つの要素に分解している。そして、期間中におけるTFP成長率の大部分は技術進歩率の継続的な向上によってもたらされた、という結果が得られている。他にも、多くの研究が中国の工業部門においては、伝統部門からの安価な労働力の供給、という「人口ボーナス」効果だけではなく、それ自体が高い技術進歩や効率性の向上を実現してきたことを示している。
ここで気づくことは、津上さんの最近の著書(『中国台頭の終焉』から『巨龍の苦闘』にいたるまで)において、これまで高い生産性の向上がみられ、現在でもそのポテンシャルが失われていないと考えられる製造業部門のへの言及がほとんど見られない点だ。また、津上さんはこの本中で彼が主張しているのと同じく、投資のリバランスによる成長率低下を主張しているエコノミストとして、ゴールドマン・サックスの哈継銘氏、および(元ファンド投資の仕事をしていたという)北京大学のマイケル・ペティス氏の名をあげている。彼らの議論は確かに傾聴すべきものを含んでいるが、いずれも金融畑の出身であり、製造業の状況についてそれほど詳しいとは思われない。また、その立場上、金融危機発生のリスクに警鐘を鳴らすことにその発言の主眼が置かれているという側面もあるのではないだろうか。
高いTFP成長率を記録した工業部門が存在しながら、ここ数年の中国経済のTFP成長率が低くなっているのは、端的にいって生産要素、特に資本の分配の効率性が悪化したからである。すなわち、生産性の低い分野への非効率な投資が大量に行われたことが、全体のTFP成長率を引き下げているのである。そして、産業・企業間の生産性の格差には現状でも非常に大きなものがあると考えられる。このように現時点で資源配分の効率性が非常に低いことは、実は悪いことばかりではない。生産性の低い分野から高い分野へと生産要素を再分配ことで生産性を引き上げ、比較的高いTFPの上昇を実現する余地が十分に残っているからだ。ただし、そのような比較的高いTFP上昇を実現するためには、以下に見るように、過剰投資のリバランスがセットになっていなければならない(続く)。
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