梶ピエールのブログ

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『世界』12月号「さよなら、イリハム」について

遅ればせながら、『世界』に翻訳が掲載された黄章晋氏の「さよなら、イリハム(再見、伊力哈木(鈴木将久訳)」は中国の民族問題を語る上で必読のテキストである。さすがに「この文章を読むために雑誌を買う価値がある」、とまではよう言わんが、少なくとも図書館でこの一文をコピーして読む価値は十分あると思う。

世界 2009年 12月号 [雑誌]

世界 2009年 12月号 [雑誌]

 何回か取り上げたウイグルオンラインの運営者にして中央民族大教授のイリハム・トフティ氏が拘束された際、黄氏のブログに発表された*1このテキストは、その後多くの中国語サイト・ブログに転載されたが、それはこの文章がウイグル人だけではなく多くの漢族の心をも深く捉えたということを意味している。

 ではなぜそれだけ多くの中国人がこの文章に注目したのか。

 まず一つは、彼が「独立」を主張する立場ではないのにもかかわらず、彼が行っているネットでの言論活動そのものによって逮捕されたことが、リベラル派の漢族知識人にも大きな衝撃を与えたことである。その後現在に至るまで、サイトの関係者やブロガーの拘束が相次いでいることからも、この事件は当局が「民族問題の和解を図る」ためといいながら、実際にはネット上の自由な言論の封殺を行うことを意図していることが明らかになった点で重要な意味を持っていた。

 もう一つこのテキストから読み取ることができるのは、いわば現代中国の社会やシステムを「可塑的なもの」として捉えようとする視点である。昨年以来の民族問題をめぐる様々な事件は、共産党専制的な支配、漢族と少数民族の対立といった「変わらないもの」が人々の生活のうえに重くのしかかっている、という一種の閉塞観を中国内外を問わず改めて認識されるものであった。
 その中で、黄章晋氏の文章は、「変えることは困難であるが、決して不可能ではない」ということを示したテキストとして、歴史的に記憶される価値のあるものである。もちろん、そこに示された認識自体には、異論はありうるだろう。しかしその点も含めて、民族関係に代表される社会やシステムを「変わりうるもの」としてみようという姿勢が示されたことが重要なのだと思う。

 ちなみに、訳者の鈴木氏は近年出版された『竹内好セレクション』の編者の一人である。この黄氏のテキストはいわば両民族の知識人による、絶望的な状況に対する「掙扎」のありかたをしめしたものだ、ということもできるように思う。

 さて、その後釈放されたイリハム氏の時事的な論考は「ウイグル・オンライン」の他、チベット人作家唯色(ツェリン・オーセル)氏のブログでも継続的に掲載されている*2。今後もこの問題に関しては厳しい情報統制が敷かれていくだろうが、それでも発言を続ける数少ない信頼に足る知識人として、彼の発言を追いかけていくつもりだ。

殺 劫(シャ-チェ) チベットの文化大革命

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