梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

弱者が弱者を食い物にする

 ウルムチの事件に関する報道は今日も続いたが、テレビではやはり「報道ステーション」が頭一つ抜き出ているという印象を持った。たとえば、同じデモ行進をするウイグル人女性を写しても、NHKの報道では彼女らをあくまでも「群体」としてしか捉えていないのに対して、報ステのカメラは、できるだけ一人一人の「個人」の表情に焦点を当て、その「声」を拾い上げようとしていた。デモ隊と武装警察が対峙する緊張した状況の中でこのような取材をするには、かなり志が高くなければできないはずであり、大いに敬意を表したい。

 さて、中国事情ブログ界(?)に彗星のごとく現れ、ハイペースで記事の更新を続けている「21世紀中国ニュース」さんが、7月5日の騒乱のきっかけになったとされる6月26日の広東省韶関での事件について、興味深い記事を書いている。

http://21chinanews.blog38.fc2.com/blog-entry-117.htmlより。

この事件の何が「救いがたい」のか。漢民族で騒ぎに加わった者の多くは工場労働者と伝えられているが、低所得者層に位置する人々である。またおそらくは出稼ぎ農民も含まれていただろう。中国語で「弱勢群衆」と呼ばれる権力を持たぬ人々が、さらに弱い人々を蔑視し暴力を振るった。事件はこうした「構造」を内包している。

中国の一般市民には少数民族への差別意識が根強く残っている。中国滞在時には月給1000元(約1万4000円)程度の低所得者層の友人も多くいた。みな気の良い友人であったが、一緒にでかけると「ウイグル人がいる。泥棒だから注意しなさい。」「チベット人はうそつき。」などと親切にも警告してくれたことを思い出す。

差別の対象はウイグル人チベット人だけではない。多くの少数民族が住む雲南省貴州省では、タクシーの運転手に「少数民族はうそつきで怠け者なんだ」と熱弁を振るわれた。それどころか「あそこのレストランは河南省の出稼ぎ農民がやっている。汚いから行かないほうがいい」と漢民族相手でも差別意識をむきだしにしていることもある。

「卵と壁」、この比喩を強い者と弱い者と理解するならば、社会的に弱い立場にある工場労働者がウイグル人を暴行した事件は「卵と卵」とでも言うべき状態であろう。そこには批判するべき「強者」が存在せず、もはや途方にくれるしかない。

この解釈に従えば、「卵」とは個性や個人的な感情に従うことであり、「システム」とはそれを妨げるあらゆるもの、といったところだろうか。あくまで個人的な地点から出発して考え行動すること。それは決して不可能なことではないように思う。ただしそれはあくまで個人的な体験であり、多くの人に広めようとする運動になった瞬間に「卵」としての属性を失ってしまう、きわめて脆いものでしかない。

ウルムチ騒乱発生後、鎮圧された集会が暴力的な破壊活動だったと報じられていることもあり、ウイグル人への憎悪はむしろ高まる一方だ。そうした視点に立てば、中国政府の民族融和政策や西部地区への財政支援も「金をゆする汚い行為」にほかならず、「やつらは優遇されている」との怒りにつながっている。もちろんウイグル人も「俺たちは虐げられている」との強い憤りを持っている。

ここに書かれていることにはほぼ全面的に共感する。とりあえず何もすることのできないわれわれだからこそ、こういう観点からじっくり物事を考えていくことが大事になってくるだろう。