梶ピエールのブログ

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「普遍性」をいかに追求するか、という課題

日本人は中国をどう語ってきたか

日本人は中国をどう語ってきたか

 前回のブログ記事の最後に、この本について「本書に感じた「ちょっと待てよ」という違和感の由来を整理してみたい」と書いた。同時に、「日中に通底する普遍的な(ぶれない)価値判断の軸を持つこと」および、「その価値判断の軸に照らして、それと大きくずれた現象が生じたときは、社会に対して何らかのアクションを起こす」ことをよしとする著者の姿勢に共感する、ということも述べた。

 実は、僕が本書に感じる第一の違和感も、後者にあげた日中間に通底する「普遍的な価値判断の軸」にかかわる。本書の記述からは、それが大事だということはわかっても、普遍性を具体的に練り上げていくための、道筋が示されていないように思うのだ。例えば、本書の尾崎、北、橘に対する高い評価には、彼らの抱いていた思想が真に普遍的なものであったかどうかを問うより、むしろ思想と行動の一貫性や動機の純粋さを高く評価する、というバイアスが感じられてならない。

 この点を考えるにあたって、本書の中で、「中華帝国」にアイデンティティを付与するものとして、厳しい批判が寄せられている溝口雄三氏の中国論に触れる必要があるだろう。本書の中で溝口氏の中国学は、内藤湖南による文化決定論的なシナ学と、竹内好の後継者としての戦後日本の中国賛美論という、いわば乗り越えるべき中国論の類型のアマルガムとして、激しい否定の対象になっている、といってよい。
 僕自身、かつて溝口氏の晩年の著作を手にして、それが中国の現体制の無条件の肯定につながりかねないものではないか、という激しい苛立ちを覚えたことがある。が、同時に、『中国の「公」と「私」』など彼の学問的な成果に対しては、かねてから敬意を抱いて愛読してきた。彼我の社会に通底する「普遍性」を追求するにあたって、その「異質性」から目をそらすわけにはいかないだろう。その意味で、溝口氏の著作は、中国という必ずしも欧米由来の「普遍性」の枠組みに当てはまらない社会を考察する際に、有益な問題提起であることは間違いないと思ってきたからだ。

 ただし、溝口氏の晩年の言論活動を見る限り、残念ながら彼は中国社会の「異質性」の認識から、より普遍的な価値観を鍛え上げる方向には向かわなかった。むしろ、中国の「異質なるもの」=「伝統」を欧米中心の「普遍性」に対抗する実体として無批判に持ち上げる勢力−具体的には汪暉氏に代表されるような人々−に、半ば自覚的に取り込まれていった、のだと思う。したがって、溝口氏の言説のうち、後者の側面を批判するのは正当だとしても、前者の可能性まで否定するのは、かえって「普遍性」追求の道を閉ざしてしまうのではないか、というのが僕のさしあたってのスタンスである。同様に、尾崎、北、橘といった人物についても、その評価は、あくまでも彼らが達しえたアジア認識が、いかに「普遍性」を備えていたか、という一点のみにおいて下されるべきだ、と僕は考えている。



 もう一つ指摘しておきたいのが、本書における「経済的リアリズム」への軽視、というか無視、についてである。例えば、僕は石橋湛山らの展開したいわゆる小日本主義を、中国や朝鮮半島をめぐる議論としても、極めて重要な思想だと思っている。ここでいう石橋の小日本主義は、「公平さと寛容さ−それはいわゆる反日運動にも向けられる−のリベラリズム」と「経済的リアリズム」の調和としてまとめられよう。この小日本主義が、「日本人が中国をどう語ってきたか」と題した本書の視角から完全に抜け落ちていることを、どう考えたらいいだろうか。

 この石橋湛山の姿勢を「アジア主義自由主義が融合している稀有な例」と評価したのが、ほかならぬ竹内好である。しかし、なぜ石橋の、他者への寛容さと経済的リアリズムという極めて陳腐な−しかしそれゆえに普遍性をもった−思想の組み合わせが、「稀有な例」とならなければならないのか。
 僕は、アジア近隣諸国に対する公平かつ寛容な姿勢と、経済的リアリズムに支えられたリベラリズムが、同じ思想的主体の中になかなか統合されないという、戦前から現在の安部政権までを貫く日本の思想的土壌を、徹底的に問題視しなければならない、と思っている*1そして、日本人の中国論を広範に論じた本書における石橋湛山の言説の不在は、その問題の根深さを端的に示しているように思えてならない。

 さらに付け加えるなら、本書における尾崎秀実への高すぎる評価も、経済的リアリズムの相対的な軽視と関連づけて理解できるのではないだろうか。尾崎が、幣制改革から西安事件、抗日統一戦線へと至る中国情勢の変化で、民族主義的な「統一化」への機運と、そこに果たす共産党の役割を正当に評価していたことは間違いない。だが、彼がそこで積極的に評価したのは、あくまでも「統一に向かう中国」の、日本帝国主義への民族主義的抵抗としての側面であり、幣制改革に結実する国民党による資本主義的な「国民経済」建設の試みについては極めて不十分な評価しか行っていない。 
 この点、イデオロギー的な制約はあったとは言え、尾崎と政治的立場を同じくしていた中西功が、中国の資本主義的発展の可能性と、国民政府がそこに果たす役割について正確に認識していたのとは対照的である。中西は後に文革を批判し、中国共産党の革命史観を内在的に批判することを通じて、国民政府の役割を高く評価する1980年代以降の日本の民国研究の先駆的な存在となった。一方、尾崎の中国社会への理解は、基本的に共産党による「半植民・半封建」の枠組みを内在的に乗り越えるものではなく、その意味で明らかに限界をもっていた(=普遍性を欠いていた)のである。そしてそれは、経済的リアリズムを忌避する尾崎の、「純粋さ」ゆえの限界だったのではないだろうか。



 最後にもう一つ、経済的なリアリズムが出てきたついでに、本書にないものとして、「生活者・庶民の中国観」をどのように考えるのか、という視点の重要性も指摘しておきたい。もちろん、この著作はあくまで「知識人による中国論」を論じたものであるので、本書が「庶民の中国観」を論じていないからといって批判するのは、不当な難癖であることは百も承知である。それでも僕は、この点が本書の一つの盲点となっており、そこに注目することで「日本人は中国といかに関わるか」という本書の問題意識は遙かに広がりを持つようになるだろう、とあえて主張したいのだ。そして、この盲点を突く視点を提供するものとして、新世代の中国論者である安田峰俊の『和僑』という作品をあげておきたい(続く)。

*1:この点については、松尾匡氏の一連の論考、http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__121124.html http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__121130.htmlを参照のこと