http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20051118#p2より
先日、UCBの経済学部主催のセミナーで、コーディネータであるアカロフ先生が御大自ら行ったレクチャーを聞く機会があった。「ケインズ経済学の逆襲!」というのは僕が勝手にそう呼んでいるだけで、'the Missing Motivation in Macroeconomics'というのが講演の本当のタイトルである。タイトルだけでなく以下の講演のまとめも、あくまで梶ピエールの理解によるものなので、必ずしもアカロフ先生の意図を正確に伝えていない可能性があるが、ご本人がこれを読んでクレームをつけることは絶対ないと思うのであまり気にしないでやることにする。正確さを期したい人は後で紹介するペーパーなどを参照してください。
さて、マクロ経済学における'the Missing Motivation'というのは何のことだろうか。これは、70年代においてそれまでのケインズ経済学にかわって学界の主流となったミクロ的な基礎付けを持つとされる(新古典派)マクロ経済学が、実は個々の経済主体の行動に関する「モチベーション」に関する基礎付けを欠いているのじゃないか、ということを指摘したものである。
こういった従来のマクロ経済学における'Missing Motivation'の典型例として、アカロフ氏は、「5つの中立性(neutrality)」に関する問題を挙げる。これは、各ミクロ経済主体の行動が政府の財政・金融政策などによって影響を受けない(経済政策はミクロ経済主体の行動に対し中立的である)ことを示す以下の5つの定理または仮説のことを指しており、いずれも新古典派的な政策的インプリケーションを導く理論的前提として重要な意味を持ってきた。
1.リカードの等価定理
3.M-M(Modigliani= Miller)定理
4.自然(失業)率仮説
5.合理的期待形成仮説
アカロフ氏は、これらの「中立性」に関する定理もしくは仮説は、実は個々の経済主体の「動機づけ」を考慮していないものだとして、その理論的脆弱さを批判する。そして、これまで「ミクロ的基礎付け」を欠いているといわれてきたケインズ経済学の伝統的な見解(「中立性」とは正反対の結論を見出す)こそ、このような「動機付け」に関する新しい理論的知見に整合的であるだとする。つまり、「ミクロ的基礎づけを欠いているのは実はそっちのほうだ!」とケインジアンの立場から新古典派に「逆襲」するような構図になっているのだ。
下記のエントリ群を読んでもらえればわかるように、このときの講演のエッセンスは、このたび邦訳が出たの『アニマルスピリット』の内容にほぼ受け継がれている。金融危機後、世界中でケインズ経済学があっという間に復権するずっと前からその内容をくわしく紹介していた、このブログの先見性はもう少し誉められてもよいような気がするので、この機会にサルベージしておきます。
1.子孫に財産を残したいという欲求は、人の消費行動に影響を与える
⇒リカードの中立命題に対する批判
2.人は「地位(アイデンティティ)にふさわしい消費を行いたい」という強い欲求を持つ
⇒恒常所得仮説への批判
3.資本家の投資行動は、自らの抱いている経営理念(アニマルスピリット)によって左右される
⇒モディリアーニ=ミラーの定理への批判
4.人々が実質賃金よりも名目賃金の切り下げに強く抵抗する(貨幣錯覚)のは、社会的な「公平さ」への強い欲求のためである
⇒自然失業率仮説に対する批判