梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

リカードの中立命題に関するアカロフの議論

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20051120/p1よりサルベージ。

これに対して、アカロフ氏は、次世代への「遺産」の相続は、個人のライフサイクルにおける効用最大化とは根本的に異なった「動機づけ」によって行われていると批判する。つまり、子に遺産を残すという行為は一種の「贈与」であり、親にとって子に遺産を残し、楽な暮らしをさせてやりたいというのはそれ事態が価値のある(効用を得られる)行為である、とする。このように考えるならば、上記のような二世代間モデルにおいて「等価性定理」はもはや成り立たない。公共サービスが国債によってまかなわれる場合、第一世代は、子に遺産を残してやることができるという点で、同じサービスが課税によりまかなわれるよりも明らかに高い効用を得られるだろうからである。逆に言えば、サービスが現時点での課税によりまかなわれた場合には、第一世代は自分の可処分所得が減ったにもかかわらず、なんとか遺産を残そうとして自身の消費を切り詰めるかもしれない。

 このように、「世代間の所得移転」が「贈与」という規範によって動機付けられていると考えた場合には、現時点での負担を伴わない公共サービスの提供は明らかに個人の消費行動に影響を与える、すなわち「中立性」は成立しないのである。