珍しく反響の大きかった拙エントリ「経済学的思考のすすめ」について、Baatarismさんからトラックバックをいただいている。
まず、北朝鮮が打ち上げに失敗して日本国内の市街地に墜ちてきたときの経済的な損害は大きいでしょう。しかし、その一方で、北朝鮮が打ち上げに失敗して日本の国土に落ちる可能性はもともと非常に小さいですし、北朝鮮も失敗時に備えて爆破装置は搭載していたようです。だから、テポドンが日本に落ちる可能性はほとんどゼロだったでしょう。さらに落ちたとしても市街地以外の場所に落ちる可能性も考えられます。
従って経済的な損害の観点で考えれば、今回の打ち上げにおける日本のリスクは小さく、恐らく迎撃態勢に費やしたコストには見合わなかったと思います。
しかし政治的に考えると、憲法13条で「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定められているように、国民の生命を尊重することは国の義務でしょう。だから、国民の生命が脅かされている場合、当然国は守る努力をしなければならないことになります。
つまり、この国の政治的な仕組み自体が、国民の生命のコストを非常に高く見積もっていることになります。
このように建設的な批判は、広く議論に注意が喚起され、論点がより鮮明になるので大歓迎である。せっかくなので議論を喚起する意味でもう少し先に進んでみよう。
先日のエントリを記すにあたって頭にあったのは、石橋湛山の「一切を棄つるの覚悟」「大日本主義の幻想」といった一連の戦前における「小日本主義」を主張した議論である(いずれも岩波文庫『石橋湛山評論集』に収録)。 ご存知の方も多いとは思われるが、湛山の議論は以下の点に要約できよう。
1.冷静に考えれば、日本国が他国から侵略されるという危険性は非常に低い。なぜなら日本のような資源の乏しい島国を占領しても得るところは何もないからだ。
2.したがって、植民地保有は国防上不可欠だ、という主張には根拠が薄い。
3.経済的に見ても植民地領有は維持コストばかりかかって、十分な利益をもたらさない。
4.以上を考えれば、台湾・朝鮮などの植民地は全て独立させて自由貿易を行ったほうが無駄な出費も抑えられ、双方の人民の利益になるので、ずっとよい。
以上の主張を、現在の日本を取り巻く状況に沿って、以下のように パラフレーズしてみてはどうだろうか。
1'.冷静に考えれば、実際に北朝鮮が日本をミサイルで攻撃するという危険性は非常に低い。なぜならそうしたからといって北朝鮮に得るところは何もないからだ。
2'.したがって、ミサイル防衛システムは国防上不可欠だ、という主張には根拠が薄い。
3'.経済的に見てもミサイル防衛システムは維持コストばかりかかって、十分な利益をもたらさない。
4'.以上を考えれば、北朝鮮がマトモな国家となり、経済発展を遂げるのを支援し、自由貿易を行ったほうが無駄な出費も抑えられ、双方の人民の利益になるので、ずっとよい。
このうち、異論が殺到しそうなのは4'の主張であろう。僕自身もこの主張が現時点で正しい認識だというつもりはない。しかし、1'から3’までは、現実的にもかなり妥当な主張といいうるのではないだろうか。もちろん、多くの人は植民地領有とミサイル防衛システムを同列に論じるべきではない、と考えるかもしれない。しかし、湛山が上記の論考を発表した時期には、そもそも大陸間弾道ミサイルもなければイージス艦もPAC3もなかった。このような時代において、領土の拡張は最大の防衛手段の一つであったことに留意すべきである。そのような当時の日本において、上記のような「一切を棄つるの覚悟」を政府と国民に説く議論は、そもそも「国民の生命を脅かす」という観点から批判されても仕方がなかったものではないだろうか?
このように考えれば、湛山の議論は、単に「植民地主義批判」という今日の価値観のもとで正義とされる議論を先取りしていたというだけではなく、「過度の被害者意識による過剰防衛体制」という、現代においてなお支配的な、しかしそれゆえにあちこちで紛争の原因となっている状況への批判を含んだものとして理解することができるのではないだろうか。すなわち、政府が「国民の生命のコストを高く見積もる」ことは当然のことであるにしても、それが「過度の被害者意識による過剰防衛体制」に陥ることがないよう、絶えず注意を払う必要があるというのが、湛山の小日本主義の一つの教訓なのではないだろうか。
ただ、ここまではあくまでも「平和主義」という政治思想・イデオロギーの枠組みのなかにとどまりうる議論であろう。
では、上記湛山の主張のうち、3.4に集約される、「経済学的思考」は、本来必要のない主張なのであろうか?いや、多くの人にとって、ここにこそ彼の主張の本当の価値がある、という点に異論はないだろう。「平和主義」が単なる政治思想の枠組の中にとどまる以上、それは不毛で感情的なイデオロギー対立を引き起こしかねない。その理念と現実に折り合いをつけるには、このような「勘定」に訴えかける議論がぜひとも必要なのである。だからこそ、ケインズは第一次世界大戦の後に『平和の経済的帰結』を著し、スティグリッツはイラク戦争の後に"Three Trillion Dollar War"を書いたのである。
そして現在、「テポドンが日本に落ちてくる脅威」がBaatarismさんも認めておられるように、合理的に考えれば非常に低い可能性しかないのであれば、この際、「BMDを棄つるの覚悟」あるいは、「防衛システムの経済的帰結」について、改めてきちんと検証してみるべきなのではないか。そのためにマスコミ各社、および日本の経済学者はもう少し知恵と予算を使ってもよいのではないか。僕が本当に言いたいことは、そういうことである。
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