梶ピエールのブログ

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買弁商人としての監査法人


中国貧困絶望工場

中国貧困絶望工場

 原題”China Price”に対し『中国貧困絶望工場』という邦題はどうだろうか。China's Great Train を『チベット侵略鉄道』とするのもそうだが、このところの中国関連本にはちょっと「草思社的センス」が目立つような気がする。いや別に、中国には絶望も貧困もない、とかチベットに対して共産党が行ったことは侵略ではない、などといいたいわけではない。まさに草思社がその末期に陥っていったように、一方ではとてもしっかりした本作りが行われていながら、その一方で短期的に売れることだけを目的としたタイトルをつけざるを得ないという、日本の出版業界の余裕のなさが気になるのだ。これは仲俣暁生さんがブログで述べていた、日本の新書ブームの問題とも相通じる問題のような気がする。


 が、その点を除けばこれはすばらしい本である。昨年来、食の安全を含め「中国製の安価な製品の落し穴」を追求するような書物が数多く出版された。その多くは表面的な現象を追いかけるものにとどまっているが、その中でも、本書はその背景に潜む中国社会の構造にかなり深く切り込んでいる点で出色のものであるといってよい。特に、中国におけるアンチ・スウェットショップ運動と労働CRSの動きに関しては、本書に掲載されているものが僕の知っているものでは最も詳しいレポートといってもよく、この問題に関心を持つ人にとっては必読だろう。

 中国のように、国内の法制度が整備されておらず、グローバル化によって「搾取工場」に対する非難が強まっているところ−要するに多くの発展途上国−で労働CSRを貫徹させようとすると、どのようなことが起こるか。本書を読めば、「法」と「現実」の間を埋めるようにしていわゆるソーシャル・コンプライアンスを手がける監査法人が雨後の筍のように生まれ、消費者からの批判に弱い多国籍企業の弱みに付け込んで利権をむさぼり、「搾取工場」における労働の実態をより複雑に、より外部から見えにくいものにしている様子がよくわかる。

 それはあたかも、アヘン戦争後に西洋列強から開港を強いられた清朝末期の中国において、伝統的な商習慣とヨーロッパの近代的な商取引とのギャップを媒介する存在として外国語を自在に操る「買弁商人」が跋扈した構図を思い起こさせる。少なくとも先進国における消費者の「搾取工場」への意識の高まりやそれに伴うボイコット運動が、決して、労働者の待遇改善にストレートにつながるものではないことは明記しておくべきだろう。

 もちろん、労働CRS自体は、きちんとした国内法の運用と組み合わされさえすれば、確実に途上国における労働者の待遇改善につながるはずだ。しかし、現実に発展途上国で運用されるCSRの問題点は、その理念が現実の社会で実現されるための精緻なテクノロジーを欠いている点だ。このため、それが現実に実効力を持つためには、しばしば反スウェットショップ運動のような、先進国消費者のモラリズムに過度に訴えかけることになる。

 労働を保護するための法システムが不在であるままグローバリズムに統合された途上国は、労働者の権利保護に関する「例外状態」にあるとといって、よいだろう。しかし、そこで法システムよりも上位に立つ「主権者」=「例外状態において決断するもの」の地位を、果たして先進国消費者のモラルに支えられたCSRにゆだねてしまってよいのか、という問題が、そこには生じているように思われる。