梶ピエールのブログ

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「東アジアの奇跡」再論

先日、スカパーで契約している香港の鳳凰テレビで、改革開放が始まったころの1980年代、深センの委託加工工場で働いていた当時の「打工妹(出稼ぎの女子労働者)」をスタジオに呼んで、人気キャスターの魯豫が当時の苦労話を聞く、という番組をやっていた。
http://wsx5568.blog.enorth.com.cn/article/351489.shtml

 もちろん、番組に出ていたおばさんたちのように、その後そこそこ成功して当時のことを笑い話として語れるような「余裕」を身に着けられたのは、ほんの一部の「打工妹」に限られるだろう。しかし、一部の中国の中間層にとって、労働集約的な工場でのガムシャラな労働経験を、外資による「搾取」の象徴というよりも、レトロな「懐かしい過去」として消費する感覚が生まれつつことを予感させるものだった。こういう試みがこれからも出てくるのか、注目したい。

 さて、委託加工工場といえば、コリアーの『最底辺の10億人』では、輸出加工区の創設など、従来「東アジアの奇跡」の重要なファクターとされていた、政府主導の輸出振興政策をアフリカでも実施することの有効性が説かれていた。そこでのロジックが興味深い。コリアーが政府による輸出振興を正当化するロジックとして挙げていたのは「輸出産品の多様化によるリスク回避」と「集積の利益」だ。後者はこれまでも「幼稚産業保護論」の一種として指摘されていた点だが、より興味深いのは前者である。この主張の背景には、多くのアフリカ諸国のように単一の一次産品に輸出を頼っている国は、世界市場における大きな価格変動のリスクにさらされるため、持続的な成長が望めないという現実がある。特に天然資源に関しては、その利益が一部の支配層に集中する「天然資源の罠」に陥りやすい。その「罠」から抜け出るのに、輸出加工区の創設による輸出の多様化が大きな役割を果たすと期待されているのだ。

 一般に、特定の産業を支援する産業政策は、その産業が本当に将来性を持つかどうか分からない(リスクが高い)ので、経済学的には評判が悪い。また、東アジアの輸出振興政策など、結果的にうまく行った場合でも、それはもともと比較優位があり、自然に成長したはずの産業を支援しただけで、結局のところ過剰で余計な政策であったとされることが多い。しかし、上記のような輸出産品の多様化のための輸出振興政策は、それ自体が社会のリスクを軽減させる機能を持つと考えれば、積極的に評価できるのではないだろうか。

 東アジアの成長を支えた輸出加工区の創設は、途上国経済のリスク軽減という点からみて、非常に優れた政策である。途上国側は基本的に土地と労働力を提供するだけなので、特定の産業に特化するリスクは始めから回避されている。誘致した一つの企業や産業がだめになっても、次にもっと有望な産業を誘致すればよいからだ。また、このような単純な非熟練労働が必要とされる輸出加工区は、例えば農業セクターなどがリスクをこうむった場合の就業先を提供するなど、非輸出産業に対しても潜在的に恩恵を及ぼしていると考えられる。一般に、輸出加工区は外資にとって低リスクで生産コストを引き下げる手段であるとされてきたが、明らかに途上国の側にとってもリスク軽減のメリットがある。社会全体のリスクを下げることができるのだから、それを政府の費用によって提供することには十分正当性があるはずだ。

 このような輸出加工区は、これまでどうしても「搾取労働」のイメージと結び付けられ、左派からも痛烈な批判の対象となってきた。しかし、それが途上国経済において一種の社会保険的な意味合いを持つことは、もっと重く受け止められるべきである。スティグリッツ=チャールトンの『フェアトレード―格差を生まない経済システム』でも、保険市場の未発達な途上国経済において、自由貿易からくるリスクの増大によりかえって経済厚生を低める可能性が指摘されている。農業や一次産品に輸出が特化されている場合、このようなリスクから逃れることは絶望的なほど困難である。

 中国が次第に労働集約的な輸出基地としての位置づけから脱しようととしている今こそ、アフリカ諸国がかつて東アジア諸国の代名詞であった輸出振興政策の恩恵に浴する番だ、という見通しは恐らく正しいだろう。ただし、コリアーによれば、すでに東アジアによって輸出産業の製造コストが引き下げられ、新規参入しようとするアフリカ諸国にとって大きなハンディキャップになっている状況では、アメリカのAGOAのように*1、アフリカのテイクオフを支えるような先進国による関税上の優遇処置が必要である。このことは、輸出振興政策を単に一国や地域の経済発展戦略、という観点だけでなく、貿易のグローバル化によって生じる途上国のリスクのシェアリング、という観点から評価していくべきだ、ということを示しているのだろう。

*1:ただし、スティグリッツなどはAGOAには批判的である。『スティグリッツ教授の経済教室―グローバル経済のトピックスを読み解く』259ページ参照。