梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

イースタリーと世銀との確執

 韓リフ先生のところで週刊東洋経済』に掲載されたサックスのアフリカ援助に関する記事が紹介されている。

 中国のアフリカ援助をどう考えるか、という点も難しい問題だが、ここではイースタリーとの「因縁の対決」について若干のフォローを。

 以前に紹介した「福祉国家」の評価をめぐる論争以降も両者の小競り合いは続いていて、この3月と4月にも'Economists View'で以下のやり取りが紹介されていた。

イースタリーによる「貧困の罠」批判
http://economistsview.typepad.com/economistsview/2007/03/william_easterl.html
サックスによる反論
http://economistsview.typepad.com/economistsview/2007/04/jeffrey_sachs_t.html

 簡単に論点を整理すると、イースタリーが途上国が豊かになれないのは「貧困の罠」が存在するからなどではなく、まともな市場とインセンティヴが働かないことにある、現にこれまで莫大な援助をつぎ込んでも「ビッグ・プッシュ」など起こらなかったではないか、と主張するのに対し、サックスは今まで「ビッグ・プッシュ」が起こらなかったのは援助金の額が少なすぎたからだ、と反論するといった具合。実はこの対立は両者の間でさんざ繰り返されてきたもので、正直食傷気味と言えなくもない(だからこのブログでも今まで紹介しなかった)。

 それより、やはり4月にイースタリーがワシントンポストに寄稿したウォルフォウィッツおよび世銀に対する批判記事がすさまじい。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/04/20/AR2007042001992.html

 まず、ウォルフォウィッツが世銀の総裁としていかにダメダメだったか、を厳しく指摘する点ではイースタリーもサックスに決して負けていない。例えば、世銀は「腐敗の撲滅」を掲げて、独裁者カリモフが支配するウズベキスタンへの融資を中止したが、やはり独裁的なイスラム国家であるパキスタンには多額の援助を送り続けているではないか、としてそのダブルスタンダードを批判している。
 が、これはまあよくある批判だ。すさまじいのはこれから。イースタリーは、確かにウォルフォウィッツの「腐敗の撲滅」キャンペーンは問題だったが、彼の真の過ちは彼の前任者であるウォルフェンソン時代の、開発戦略における過度に理想主義的な傾向をそのまま受け継いだことにあるという。

Just as Wolfowitz arrived at the bank in 2005, it produced a report on "Lessons of the 1990s." The lessons were that the bank did not know which lessons to teach; the report showed that countries that had ignored bank dogma (China, Vietnam, India) were thriving, while those under bank tutelage (Russia, Argentina, Zambia) did poorly.

要は1990年代を通じて、中国やインドのように世銀の言うことを一貫して無視してきた国は発展し、アルゼンチンやザンビアのように言うことをよく聞いた国は失敗した、ということである。なぜこんなことになったかというと、

For example, while Wolfowitz was allegedly getting tougher on "bad government" in places such as Uzbekistan, the bank was simultaneously insisting that development programs show "country ownership" -- bureaucrat-speak for having the recipient government take charge of its own programs. But how do you get tough with misbehaving governments while insisting that they run your programs?

Wolfowitz also continued a disastrous trend begun by Wolfensohn, whose answer to every bank failure to meet a goal was to add three new goals. The pair have supplemented the bank's original objective -- promoting economic growth -- with everything from securing children's rights to promoting world peace. In so doing, they've sacrificed clarity of direction for ludicrously infeasible but PR-friendly slogans like "empowering the poor" and "attaining the Millennium Development Goals" (which cover every last ounce of human suffering).

つまりイースタリーによれば、ウォルフェンソンおよびウォルフォウィッツ時代の世銀は、「オーナーシップの強化」とか「エンパワーメント」とか「ミレニアム開発目標の達成」といった「ばかげている上に実効性に乏しいものの、広報用としては適しているスローガン」をぶち上げることにばかり気をとられた結果、「途上国の成長を促進する」という援助本来の目標をずっと見失ってきたのだという。

・・うーん、ここまでウォルフェンソン前総裁や「ミレニアム開発目標」のことをボロクソにけなすとは。『エコノミスト 南の貧困と闘う』の解説で、彼が2001年に世銀を「追われるように」去った、という記述があったけど、さもありなんという気がする。というわけでイースタリーにとって「非難されるべきナイーブな理想主義者」は必ずしもサックス(+ボノその他)だけだというわけではないようだ。
 ・・それにしても、イースタリーは今大学で教鞭をとっているわけだけど、彼の講義を受けた学生は確かにすごく勉強にはなるだろうけど、ここまで激しい世銀・援助批判を聞かされて、果たして積極的に援助機関で働こうというインセンティヴが生まれてくるのだろうか、と少し心配になったのでした。