梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

イースタリーとハイエク

 id:deveconさんのエントリで、ウィリアム・イースタリーがオンラインによるプロジェクト援助のシステム、グローバルギビングに好意的に言及していることを知った。実は"The White Man's Burden"asin:0143038826:は前半部だけ読んで理解した気になっていたので、この機会に後半部を読んでみた。で、改めてイースタリーという人は面白い人だと思う。実はこの本の後半部はその多くの部分が欧米諸国(White Man)が非西洋社会に対してこれまで行ってきた植民地支配や軍事介入などの「悪行」をこれでもかと並べ立てるような内容となっている。また、彼は植民地支配や、その結果としての恣意的な国線の設定が途上国の経済パフォーマンスにどの程度マイナスの影響を与えるか、という計量的な分析も行っている。

 バークレーで彼の講演を聴いた時に印象的だったのは、サックスその他彼のいうところの"Planner"たちをこき下ろすときの彼の表情が実に生き生きしていたことだが、それは自分こそが本当の意味で「植民地主義批判」を展開しているのだ、という確信の表れであったのだと思う。

 徹底して途上国の立場に立とうとし、先進国のエゴを容赦なく批判する、という姿勢において彼の立場はまさしく「リベラル」なものである。ただ、彼の著作を読むものを戸惑わせるのは、こと具体的な援助の方式に関する彼の主張は、途上国への債務取り消しなど、経済主体のインセンティヴをゆがめるような「設計主義的な」援助を徹底的に否定する、一見原理主義的といっていいほど「ネオリベ」的なものだという点である。この点において彼の主張はサックスとかスティグリッツのようにやはりアメリカなど先進国の自国中心的な行動に批判的なリベラル派の経済学者とも明確に異なっている。その一方でイースタリーは、途上国に市場原理の速やかな導入を図る目的で実施されたIMFによる「構造調整融資」に対しても厳しい批判を行っており、そのこともいっそう彼の「立ち位置」を分かりにくいものにしている。

 だが、彼の立場が一見して分かりにくいものだからといってそれを単に彼の個人的パーソナリティ(それもあるだろうが)にのみ帰することはできない。それはたぶん「経済発展」というものの、ひいては市場経済そのものにはらむ本質的な「難しさ」を反映したものだからだ。そして、彼の途上国援助に対する「ねじくれた」姿勢の思想的源流にあるのがはほかならぬハイエクの思想だ、というのが僕の現時点の考えである。

  この問題を考える上で指針を示してくれたのが、すでに各方面で高い評価を得ている山中優氏の『ハイエクの政治思想』asin:4326153903である。山中氏によれば、一部では「市場原理主義」の祖として見られることも多いハイエクは、実は人間本性の市場秩序への適応能力に対してかなり悲観的であり、特に晩年には市場秩序の維持には何らかの形で政治的権力の介入が必要であるという考えに到達していた。つまり「弱い不適合説」論者としてのハイエク理解である。まあ、僕が下手な説明をするより、橋本努氏の書評を読んでいただいたほうがよいだろう。
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Japanese%20Index%20Reserch%20Activities%20etc.htm

 さて、橋本氏も触れているが、山中氏の議論の白眉は、市場秩序に関する「弱い不適合説」論者としてのハイエクの思想的意義を、現代のグローバリゼーションの中における先進国と途上国との関係を考える上で有効なものとして捉えなおしている点である。例えば、「市場原理」の早急な導入と「小さな政府」の実現こそが経済成長を促進するという「ワシントン・コンセンサス」や、それに基づくIMF主導の「構造調整アプローチ」は、通常レーガノミックスなどと並びハイエクの影響を強く受けた「世界のネオリベ化」を象徴するものとして理解されることが多い。しかし、ハイエクが「弱い不適合説」を取っていたと考える限り、IMFなどによる市場原理主義的な援助政策はハイエクの本来の思想とはむしろ遠いものである。それは、人間の本性が市場秩序と不適合であるという事実を無視し、長い間かけてその二つ(人間本性と市場)との調和を図ってきた欧米(White Man)のスタンダードを、むりやり途上国に押し付けるものにほかならないからである。この点ではむしろ、村上泰亮に代表される「開発主義」のほうがむしろハイエクの思想に親和性を持つ、とされる。

 ただ、そういった意味では、あまたいる開発経済学者のなかでイースタリーこそは、「弱い不適合説」としてのハイエクの思想のもっとも正統な継承者であり、それゆえにこそ途上国援助の現場で深いジレンマと挫折感を味わわざるを得なかったのではないだろうか、というのが僕の考えである(続く)。