梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

日中の「対話」をめぐって

 実はこの9月から1年間アメリカに行くことになっていて、その準備やら引越しやらでなかなか更新どころではなかったのだが、今日から来ている調査先の四川省で思ったより時間がもてたので、こうしていままで書きかけだった文章の整理などしているわけですが。

 先日、『わしズム』での対談のことを書いたらなんと趙宏偉さんより直々に書き込みをいただいた。

日本のいわゆる良識者たちは、自分の縄張りのようなメディア(左派系メディア)、仲間のような民衆(左派系民衆)の中でしか言論をせず、偉そうに構えられますけど、結局普通の大衆や右派大衆にほとんどアプローチしてきませんでした。

 以上のような趙さんの姿勢には全面的に共感を覚えるとともに、日本人の中国研究者ももう少ししっかりせにゃあ、と感じた次第である。例えば、この前の日曜日、サンデープロジェクト枠で田原総一郎らが香港鳳凰電視台に出演して中国側論客と対談したときの模様を放送していた。番組自体は最初のほうしか見ていないし2ちゃんねるなどでは格好のネタにされているだろうから具体的な内容については触れない。が、中国側が、馮 昭奎氏という、その発言の内容はともかくとして中国における日本問題のエース級とみなされている研究者が出てきているのに対して、日本側の田原総一郎岡本行夫という組み合わせは果たしてベストといえるだろうか。
この番組に限らず、雑誌などでもこういう「日中激論」ものの企画が時々見られるようになったが、そういった場に中国問題を専門とする日本人の研究者が出てくることはほとんどないように思える。そこにはいろいろな事情があるのだろうから、このこと事態をあまり単純に評価することはできないにせよ、同じ中国研究をやっていても中国人研究者のほうが言論を通じた世論へのアピールと言うことについてはるかに自覚的だというのは否定できないと思う。

 ただ、「対話」が重要だというのはその通りだとしても、そこにある種の難しさがあるのは否定できない。例えば、趙さんが想定するような「小林よしのりを支持する大衆ナショナリスト」が「大衆ナショナリスト」全体の中で一体どのくらいの比率を占めているのか、と言う問題がある。たぶん、その比率はあまり高くないのではないだろうか。すでに広く指摘されていることだと思うが、北田暁大氏が問題とするような「嗤う日本のナショナリスト」、2ちゃんねらーに代表されるシニカルな嫌中派は、むしろ小林よしのり的なものを、あまりにベタな民族主義、左翼の裏返しのような理想主義的ナショナリズムとして嫌悪しているように思える。そしてたとえ小林よしのりやそのシンパには趙さんのような真摯な「対話」がある程度効力を発揮するとしても、おそらくシニカルな嫌中派はそのメッセージはほとんど届かないだろう。「対話」のようなそれ自体「熱い」試み自体が、かれらのシニカルな揶揄の格好の対象になるだろうからだ。
 これと同じような構図が、中国愛国者同盟網などで中心的役割を果たす「有名な」反日愛国青年達と、匿名掲示板に日本への罵詈雑言を書き込むマジョリティ・ナショナリストとの関係にもある程度あてはまるような気がしてならない。

 ・・以上のような困難さは、おそらく趙さんは百も承知だろう。僕自身日中におけるシニカルなナショナリストの問題についてどう考えればいいのかという明確な処方箋のようなものを持ち合わせているわけでもない。ただ、言いたいのは、日本の社会にシニカルなナショナリズムの空気が蔓延しているからと言って、研究者やジャーナリストといった人々までがある種のシニシズムに侵されてしまっているような状況があるとしたら、それはやはりなんとかせにゃあ、ということなのである。