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革命と大衆動員


中国社会と大衆動員―毛沢東時代の政治権力と民衆

中国社会と大衆動員―毛沢東時代の政治権力と民衆

 本書は、どちらかという総力戦を説明する概念装置であった「大衆動員」をキーワードとして、毛沢東時代の中国における政治変動、なかんずく文化大革命というきわめて特異な現象の発生を説明しようとした力作である。

 中国革命の初期の段階において、農村での中国共産党の活動が重要な役割を果たしたことは言うまでもない。しかし、いったん中華人民共和国が成立すると、社会主義国家建設の重点は次第に都市に移っていく。

 そのような人民共和国初期の大衆動員は、「企業丸抱え社会」を通じた都市住民への利益誘導とイデオロギー教育によって共産党政権を磐石にすることを目標に行われた。しかし、そういった「上からの」大衆動員は次第に硬直化し、反右派闘争や大躍進といった、そのイデオロギー的な抑圧性が明らかな政治運動へと帰結していく。中でも大躍進における経済政策の失敗は、そのような共産党指導部を中心とした都市型の大衆動員のメカニズムの存続を危機にさらすものであった。それは官僚組織と一体となった党指導部の正統性に動揺を与えただけでなく、正規工と臨時工・契約工といった労働者内部の対立を先鋭化させ、後者の不満を拡大させるものだったからである。

 本書によれば、大躍進後の中国ではこのような「危機」を打開するため、次第に各職場において外部から派遣されたメンバーによる「工作隊」を組織し、それを既存の組織系統の上におく、というやりかたが大衆動員の手法として用いられるようになった。これは、むしろ革命初期の農村「解放区」における大衆動員の方法が、都市に対しても適用されるようになったことを意味する。そして、文化大革命こそ、そのような「農村タイプの大衆動員」が全面的に展開された事例にほかならなかった。

 このような外部の工作隊を通じた政治活動への動員は、職場内部の人間関係などのしがらみに縛られず行われるために、もともとラジカリズムに傾きやすい性質を持っていた。しかしそれゆえに、それまでの都市に基盤を置いた官僚組織による国家建設を内部から掘り崩すという性格を持つものでもあった。このため、文革期においては、このような大衆動員の方法の変化が、「持てるもの」と「持たざるもの」の間の対立の一層の先鋭化、さらには権力・統治機構の対立(毛沢東派vs.実権派、国務院vs.文革小組)の激化などが絡み合うことによって、従来の大衆動員には見られない社会的大混乱をもたらしたのである。

 さて話はずれるが、今年公開された『CHEチェ 28歳の革命|39歳別れの手紙』の二部作は、「革命における農村と都市」というモチーフを克明に描いたものとして実に示唆的である。両編を通じて特に印象的なのは、武装闘争を行う革命勢力、どこかひ弱な都市左翼知識人、虐げられてはいるが基本的に機会主義的なノンポリである農民、の三者の関係性である。キューバボリビアの二つのケースにおいて、この三者はそれぞれ、そのメンタリティや行動パターンにおいてまったくといっていいほどの連続性をみせる。しかし、ソ連の立ち位置などの微妙な差異が、この三者の関係性に大きな違いを生み出すことになる。ゲバラらの革命勢力はキューバにおいては都市知識人層と協力関係を結び、農民からは支持されるが、ボリビアではこの両者から完全に孤立する。そこに革命勢力の明暗を分ける鍵があることは、二作を続けてみれば誰でも気づくだろう。

 しかし、たとえ革命が成功したとしても、そこで成立した「国家」が、農村と都市のバランスをうまく取りながら政治・経済の運営を行っていくことは、はるかな困難をともなう事業である。そのことは、なによりも中国の歴史が証明している。