梶ピエールのブログ

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「君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956」

公式サイト

 この映画は、歴史的事件に対する関心を喚起するという点において確かによくできている。だからこそ僕も映画に触発されてこんな文章をブログに書いているのだ。しかしそれは「市民に発砲する戦車」とか「目の前で撃ち殺される友人」とか「卑劣で憎たらしい秘密警察」とかいった「自由に立ち上がる民衆と押さえつける権力」を描くときのツボが非常によく押さえられている上、ラブロマンスにスポ根ものの要素まであり、作品としての「間口が広い」という意味である。間口が広く、歴史的背景に詳しくないものでも楽しめるということは、より深い「固有」の問題がそこに描かれていないということでもある。
 まどぎわ通信さんがこの映画は基本的に「カサブランカ」と同じ匂いがする、と書いていたが、言いえて妙という感じ。僕などは将来、天安門事件の映画が作られるとしたら絶対に参考にされるだろうなあ、などと余計なことを考えながら観てしまった。

 しかしパンフレットに載っていた小島亮さんの解説はさすがに素晴らしい。まだ読んでいなかった名著の誉れ高いこの本をぜひ読まなくては・・という気になったのも、間口の広いこの映画の効用といえるだろう。

ハンガリー事件と日本―一九五六年・思想史的考察

ハンガリー事件と日本―一九五六年・思想史的考察

 それから、もう一つ忘れてはならないのがこの本だ。コルナイ・ヤーノシュこそ、「10月革命」で成立したナジ・イムレ政権における経済政策の最大のブレーンになるはずの人物だったからだ。

コルナイ・ヤーノシュ自伝―思索する力を得て

コルナイ・ヤーノシュ自伝―思索する力を得て

 1956年当時コルナイらによって構想されていた経済体制の改革プランは、企業の国家所有制は保持しつつも、そこに一種の労働者自主管理システムである「工場民主主義」を導入するというものであった。また農業にも私的所有制を認め、市場メカニズムに任せるとされた。また対外貿易関係についてはコメコンからの離脱は留保するが、外国との貿易は完全に自由化することが謳われていた。国有企業を温存し、農業の生産を自由化させる、という改革のプランは、後に中国のトウ小平によって採用された政策を髣髴とさせる。もともとナジ・イムレは農業大臣として土地改革を実行する一方、農業集団化には強く反対するなど、都市知識人というより、むしろ農民に対して同情的な考えを抱いていた政治家だったのだ。このほかコルナイのプランは安定化のためのマクロ政策にも言及しており、恐らく計画経済の「自由化」プログラムとしてはかなり周到で、現実的なものであったに違いない。

 しかし、コルナイの言を借りれば、その後のハンガリーの現実は彼が考えていた枠組みを「はるかに超えてしまった」。それはなにより政治の急進化によってもたらされた。政治的高揚の中で多数の政党が生まれ、それまでの一党制からいきなり政治的多元主義が実現しそうになった。この時点で既に国有企業の維持を前提としたコルナイのプログラムは現実に合わないものとなる。また対外的にもワルシャワ条約機構離脱などの強硬的な政策が採られた。事態が一気に資本主義の復活に向かいつつある、と感じた彼は、結局新政府の経済政策のプログラム立案の仕事を投げ出してしまう。 
 興味深いことに、このときコルナイの示した所有制改革に対する穏健的な姿勢は、その後ベルリンの壁崩壊以降の経済の自由化プロセスにおいてもそのまま維持され、それが結果としてハンガリー経済の比較的順調な市場経済への移行をもたらした。彼の計画経済体制にする批判がいかに深く、先見性のあるものであったかということがよく分かる。

 1956年の「革命」において、なぜコルナイが立案したような穏健で現実的な改革プログラムが採用されなかったのか、それは僕の手に余るテーマである。ただはっきりしているのは映画ではそのことの手がかりすら描かれていない、ということだ。そもそもオリンピック選手と半ば職業的な学生活動家が主人公である、という時点で、普通の庶民の生活感覚や、そういった人々が本当に望んだものは何だったのか、といったことがはじめから監督の関心の外にあることは自明なのだが。この辺は「間口の広い」映画の限界だろう。