梶ピエールのブログ

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 少し前(1月7日)のことですが、アジア太平洋の政治・安保問題を専門とするオンライン雑誌The Diplomat誌に寄稿した、"China’s Zombie Companies and Japan’s Lost Two Decades"(中国のゾンビ企業と日本の失われた20年)が公開されました。

以下に元の日本語の原稿を公開します。

 現在の中国経済については、政府の適切なマクロ経済政策もあって株価の急落に代表される短期的な「危機」は解消され、おおむね良好な状態にあると言ってよいだろう。ただ、その分時間をかけて取り組むべき中長期の課題である供給サイドの問題の重要性が強調される傾向がある。特に鉄鋼業や石炭産業を中心とした非効率な「ゾンビ企業」の問題は、日本を始め海外でも大きな注目を集めている。しかし、中国の「ゾンビ企業」をめぐる問題の構造が、日本の「失われた20年」におけるそれとかなり類似していることについては、十分に認識されていないように思われる。
 そもそも「ゾンビ企業」は、1990年代以降の日本経済の長期停滞に関する経済論争の際に盛んに用いられた概念であった。日本経済の長期停滞の原因としてゾンビ企業の存在に注目した代表的な研究が、Ricardo J. Caballero, Takeo Hoshi, そしてAnil K Kashyapによる"Zombie Lending and Depressed Restructuring in Japan"という論文である。彼らは、ゾンビ企業を、「生産性や収益性が低く本来市場から退出すべきであるにもかかわらず、債権者や政府からの支援により事業を継続している企業」と定義した。そして、その存在が健全な企業の成長を阻害し、生産性を引き下げる、と主張したのである。
 彼らは、銀行からの「追い貸し」すなわち金利減免を受けている企業を「ゾンビ企業」であると判断し、その存在が設備投資や雇用、そして全要素生産性(TFP)などの経済パフォーマンスに対しどのような影響を与えているかを実証的に明らかにした。その結果、ある産業内のゾンビ企業の比率が増加するにつれて、投資や雇用の拡大は抑制され、生産性は低下することを明らかにしたのである。中国人民大学国家発展戦略研究院が2016年7月に発表したレポート『中国ゾンビ企業研究』では、このカバレロらの手法を用いて、中国全体の鉄鋼業のうち、5割以上がゾンビ企業であると指摘し、話題を呼んだ。また同レポートは、このようにゾンビ企業が増加してきた原因として、地方政府の国有企業との結託、リーマンショック後の景気刺激策の後遺症、海外需要の低迷、銀行融資のソフト化、などの要因を挙げている。
 では実際に、ゾンビ企業中国経済のパフォーマンスを悪化させているのか。その影響は端的に、民間投資の落ち込みとしてあらわれている。例えば、2016年の1−7月期の民間部門の固定資産投資の累計額の対前年成長率2.1%と、統計の公表を始めて以来最低の伸び率となった。その後民間投資は政府の投資促進策を受けて若干持ち直したものの、マネーサプライや銀行貸し出しの増大が十分に民間投資の増加に結びついていない状況が続いている。カバレロらの研究に従えば、このような民間投資の低迷こそ多数の「ゾンビ企業」が存続していることの弊害だ、ということになるだろう。
 では、このようなゾンビ企業による生産性の低下について、どのような対策をとればよいのだろうか。一つの考え方は、低収益、高債務のゾンビ企業を容赦なく市場から「退出」させてその債務を整理し、より生産性の高い企業に資金が分配されるようにしよう、という「清算主義」である。しかし、このような清算主義を通じたドラスティックな債務整理を行うことは大量のリストラを生じさせ、失業率を急上昇させる恐れがある。その結果、人的資源が有効に活用されないため、かえって生産性が低下してしまう恐れもある。
 もう一度日本における「ゾンビ企業」をめぐる状況を振り返ってみよう。多くの研究が指摘するように、小泉政権期になると、それまで「ゾンビ企業」とされた業績の悪い企業の多くは次第に業績を回復していった。中村純一と福田慎一の研究では、それらの企業が適切なリストラを行ったことに加え、内外のマクロ経済環境の改善、とりわけ2002年以降の世界経済の成長を背景とする外需の増加がゾンビ企業復活の「追い風」になったことが指摘されている。言い換えれば、国内外の需要が不足したデフレ状況の下では、それだけ「ゾンビ企業」の比率やその弊害も大きくなるのだ。
 供給面の生産性を引上げるためにある程度のリストラを実行することは不可欠だとしても、それは必ず需要面でのショックを抑えるための拡張的な金融・財政政策と組み合わされなければならない。それが、日本における教訓を踏まえた、中国の「ゾンビ企業」に対する正しい処方箋といえるのではないだろうか。いずれにせよ、現在の中国経済の行方を占う上で、日本の「失われた20年」における政策論争を今いちど振り返っておくことは、存外大きな意味を持っている、と言えそうだ。