朝日出版社第二編集部のブログ「現代中国:現在と過去のあいだ」を更新しました。前回からだいぶん間が空いてしまいました。すみません。
第3章「国家」と「民間」のあいだ――中国は国家資本主義なのか?(3)――
中国経済の「自生的な秩序」と「主体なきイノベーション」という視点から、中国経済における生産性の持続的な上昇と「収奪」の同居について分析しております。「主体なきイノベーション」というと経済学者には「何それ?」と言われるかもしれませんが、要は「マーシャルの外部性による産業全体の生産性の上昇って、実は(知的)財産権の有無ってあんまり関係ないよな」という直感的な理解を、中国の現実に結び付けて説明しなおしてみた、ということです。あとまあ、ギーク達によるコンピュータープログラムのイノベーション(Linuxとか最近ではビットコインのプログラムとか)も、それこそ、それを支えているのはクロポトキンの相互扶助の精神なんじゃないか、という議論がある*1ぐらいで、知的財産権をガチガチに設定して、そこから得られる「独占レント」を囲い込もうというのとは真逆の発想に支えられていたはずですよね。上の文章では、アセモグル=ロビンソンの議論というのは、その辺の必ずしも財産権に裏付けられないイノベーションの可能性をほとんど無視しているじゃないか、という僕なりの突っ込みを展開したつもりです。
じゃあ、中国の「垂直分裂」を支えている名もなき大衆資本家たちが、新たなコンピュータープログラムの開発に従事しているギーク達のように「それがぼくには楽しかったから」とうそぶきながら仕事をしているかというと、決してそんなことはない。たぶんそこに、いくら中国で私営企業の占める割合が拡大していっても、本質的なところで「国家資本主義」から逃れられないことの理由が潜んでいる、というのが僕の結論です。あとは、本文をお読みになっていただければと。