梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

ユーロの足枷、あるいは対岸のギリシャ

ギリシャの問題についてはすでにいろいろなことが語られていて、とてもフォローしている余裕はない。ここでは、一点だけ気になった点を。
 
 スティグリッツがproject-syndicateで、ドイツが経常収支の黒字を溜め込んで域内の需要拡大に貢献していないことが今回のギリシャを初めとしたいくつかユーロ圏の「弱小国家」の不況からの脱出を阻んでいる、と批判したうえで、現在のような緊縮政策をギリシャに押し付けるよりも、むしろドイツをユーロから離脱させ(そして、ユーロをマルクに対し切り下げさせる)たほうが危機の有効な解決方法になるだろう、と指摘している。

http://www.project-syndicate.org/commentary/stiglitz125/Englishより

Germany (like China) views its high savings and export prowess as virtues, not vices. But John Maynard Keynes pointed out that surpluses lead to weak global aggregate demand – countries running surpluses exert a “negative externality” on their trading partners. Indeed, Keynes believed that it was surplus countries, far more than deficit countries, that posed a threat to global prosperity; he went so far as to recommend a tax on surplus countries.

One proposed solution is for these countries to engineer the equivalent of a devaluation – a uniform decrease in wages. This, I believe, is unachievable, and its distributive consequences are unacceptable. The social tensions would be enormous. It is a fantasy.

There is a second solution: the exit of Germany from the eurozone or the division of the eurozone into two sub-regions. The euro was an interesting experiment, but, like the almost-forgotten exchange-rate mechanism (ERM) that preceded it and fell apart when speculators attacked the British pound in 1992, it lacks the institutional support required to make it work.

 ユーロからヨーロッパ経済の要であるドイツが離脱するなど、非現実的な提案もはなはだしい、と多くの人は感じるだろう。しかし、恐らくスティグリッツがここで言いたいのは、大恐慌前夜の1920年代後半の金本位制の下でのアメリカ、およびフランスと同じ役割を現在のユーロ体制のもとでドイツが果たしているのだ、ということなのではないだろうか。

 ピーター・テミンの『大恐慌の教訓』によると、1925年以降、第一次世界大戦によって崩壊していた金本位制度に欧米諸国は次々と復帰する。しかし、この復興した金本位制には大きな構造的な問題があった。この体制の下で世界経済を牽引していたのは言うまでもなくアメリカ合衆国であった。アメリカは、旺盛な工業の生産力を背景に欧州諸国に対し多額の経常収支の黒字を記録していたのである。

 しかし、ここに大きな問題があった。金本位制は各国の金の保有量により通貨の発行額が制限されるため、金の保有量は加盟国間で経済規模に応じて適度に配分されなければならない。しかし、1920年代の復興した金本位制の下では、世界中の金準備の約3分の2がアメリカならびに、通貨の切り下げをいち早く行ったフランスに保有されていた。いうまでもなく、これはアメリカ・フランスとその他の主要国との間の経常収支の不均衡(グローバル・インバランス)から生じたものである。
 金本位制度が正常に機能するためには、このように経常収支の黒字により金準備を溜め込んだ国は、金の保有量に応じて貨幣を発行し自国内でインフレを起こすか、通貨の切り上げを行うことで、金準備を国外に流出させる政策をとらなければならない。さもなければ、金保有額が不足した他の国(たとえばイギリス)にデフレを押し付けることになってしまうからである。

 しかるに、実際アメリカなどはこのような「金本位制のゲームのルール」に従わなかった。むしろ、増加する金準備が自国内のインフレを加速させることを食い止めるために金融引き締めを行い、金流入を不胎化させる政策を採ったのである。これは言うまでもなく、イギリス、ドイツなど主要欧州諸国に強固なデフレ圧力をもたらしただけでなく、アメリカへのいっそうの資本流入を促した。このように、当時の金本位制度には、それが機能するための「ゲームのルール」を強制するための制度的裏づけがなかった。そしてそのことが、世界経済がデフレ傾向にある中でのアメリカにおける資産バブルの発生とその崩壊=大恐慌の根本的な背景となった、というのがピーター・テミンおよびバリー・アイケングリーンらのいわゆる「金の足枷」の議論の骨子である。

 上記のスティグリッツの指摘は、明らかにこのテミンらの研究成果を踏まえたものだと思われる。各国の経済状況の違いから、ユーロ加盟国の間で大きな経済収支の不均衡が発生したとき、現行の制度では、経常収支の赤字国(ギリシャとかポルトガルとかスペインとか)には大きなデフレ圧力がかかってしまう。このとき経常収支黒字国であるドイツがインフレ政策を採るとか財政支出を大幅に増やすなどして、積極的に黒字を減らすような仕組みができていればよいのだが、現行のユーロのシステムの下ではそのようなことを行うのは困難である。今回のギリシャ危機は、このようなユーロ圏がもつ根本的な制度的欠陥がそもそもの原因ではないか、というのがスティグリッツの言いたいことではないかと思われる*1

 まあ、今回の件で日本や中国の人たちにも、「アジア共通通貨構想」などにうっかり手を出したりしてはいかんもんだ、ということが身にしみてわかったと思うので、そのことはまさに「怪我の功名」といえるかもしれない。しかし、テミン、アイケングリーン、そしてスティグリッツらの指摘は、そもそも主要国間に大きな経常収支不均衡がある状況は国際通貨体制に深刻な不安定性を与える、ということを示唆するものなので(だからこそアイケングリーンは「グローバル・インバランス」について本を書き、スティグリッツIMF改革をしつこく説き続けているのだ)、その意味では今回のギリシャのケースを対岸の火事とせず、そこから得られる教訓についてじっくり考えていく必要はありそうだ。

大恐慌の教訓

大恐慌の教訓

スティグリッツ教授の経済教室―グローバル経済のトピックスを読み解く

スティグリッツ教授の経済教室―グローバル経済のトピックスを読み解く

グローバル・インバランス

グローバル・インバランス

*1:これを防ぐために、経常収支の黒字に応じて課税するような仕組みが必要ではないか、と彼は指摘している。