- 作者: 竹森俊平
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2007/10/12
- メディア: 新書
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すでにあちこちで話題にされているこの本、通貨危機前後のアジア諸国の具体的な経済状況についてほとんど触れていないにもかかわらず、なぜこんなに本質を突いた議論ができるのか、という意味で私も目からうろこが何枚も落ちたわけですが。
ただ一介の中国屋としては、若干補足的なことを述べてみたい誘惑にどうしても駆られてしまう。
例えば本書では中国はアジア通貨危機をほとんど無傷で乗り切ったと理解されているが、恐らくそれは正しくない。実際には危機後の98年から99年にかけてベースマネーの成長率はマイナスになり、経済は深刻なデフレに見舞われ、失業者は街にあふれた*1。国際収支の「誤差脱漏」はこの時期大きなマイナスを記録しており、闇市場を通じたキャピタルフライトがかなりの規模でみられたことも推測される。アジア通貨危機の「トラウマ」から中国一国が無縁でなかったことは、その後他のどの国にもまして外貨準備を急速に膨らましたことからも容易に理解できよう。
竹森氏が述べているように、世界経済全体を「不確実性」が覆っている状況において、悲観主義を打ち消す役割を果たしたのがアメリカ連銀の積極果敢な行動であったことは異論の余地がなかろう。しかし現在では、インドなどと並び中国も国内を「過度の楽観主義」が覆っているように思える。通貨危機後の「悲観主義」から「過度の楽観主義」への反転をもたらした間接的な要因がアメリカ連銀による金融緩和だったとしたら、中国国内における直接的な要因は何であったのか。中央の金融政策が十分な役割を果たしたわけではないことははっきりしている。強いてあげるなら、2002年から2003年度にかけての指導部の交代、特に朱鎔基の引退によって、それまで押さえつけられてきた地方政府主導の投資行動が再び野放し状態になったことが最大の要因だろう。
近年の中国においては、地方政府およびそれと結びついた銀行や不動産業者などからなる一種の政財複合体こそが、不確実性の支配する状況において常に潜在的な「積極果敢な楽観主義者」としての役割を果たしてきた。その最大の「重石」であった中央集権主義者・朱鎔基が退いたことが、ちょうど同時期に行われたアメリカの金融緩和と呼応し、それがそのまま資産市場における空前のブームに代表される現在の経済過熱につながっている・・・この見取り図はそれほど的外れではないはずだ。
現在の中央政府が地方の経済過熱をたしなめるような声明を繰り返し出しながら、結局のところ本気になって押さえられない理由もたぶんここにある。かつての朱鎔基のように本気で地方を押さえ込みにかかると、その本質は「ナイトの不確実性」が支配する世界であると考えられる中国の市場経済において、常に「過度の楽観主義者」として振舞ってくれる貴重な存在を殺してしまうことにつながりかねないからである。
ともあれ、このように考えると、今後の中国のマクロ経済状況を占うに当たって、金利や預金準備率の細かな動きよりはやはり共産党の人事のほうがよっぽど大きな影響力を持つ、と考えたほうがいいのかもしれない。それはつまり、僕のような政治の話に疎い人間には、中国経済の将来がサッパリ見通せない、ということを意味するのだが・・