梶ピエールのブログ

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三土修平『頭を冷やすための靖国論』

頭を冷やすための靖国論 (ちくま新書)

 まず、出版された時期とタイトルがなんとも微妙である。靖国について国民の意識はこの本を読むまでもなくすでに「すっかり冷めてしまった」ように思えるからだ。残念ながら高橋哲哉氏の『靖国問題 (ちくま新書)』のように本書が売れることはないだろう。
 しかし、昨年四川省で立ち往生するバスの中で三土氏の前著を読了し感銘を受けた者としては、こうして新書化されてより多くの人の目に触れる機会を得たことは素直に喜びたい。個人的には、この本にせよ前著にせよ、何よりも英訳されて海外に向けて発信されるべきだと思う。日本(人)にとって「靖国」がなぜこれだけ複雑で厄介な問題なのか、他者にも理解できるようにこれほど論理的に説明された書物はちょっと他に見当たらないように思えるからだ。

 「富田メモ」に関するコメントなど時事的な発言も加わっているものの、基本的な内容は前著を踏襲しているので、とりあえず以前書いたものから引用。

三土さんは、「靖国問題」がこれほどまでにこじれてしまった原因を、靖国神社が日本が近代化の道を歩む中で生み出された国家神道という「宗教であってないようなもの」の矛盾をそのまま体現した存在である、というところに求めている。
 なぜ国家神道が「宗教であってないようなもの」とされたか。三土さんは、そこに日本社会の「公」「私」の関係の特殊性を見る。「公がヨーロッパのように絶対的な価値として規定されず、関係主義的に把握される日本では、社会的な権力者にとっての「私」的な領域が、下々のものにとってはそのまま「公」として認識される、という現象が起きる。その究極のものが、天皇こそが日本全体を包み込む「おおやけ」であり、天皇家の存在は「私」にして全国民の「公」になる、というフィクションである。

 そういった構図のもとで、明治神宮伊勢神宮などの神道施設は、天皇家が帰依する「私」的な宗教施設であると同時に、庶民にとっての「公」として、すなわち国民を道徳的・心情的に束ねる装置としても機能することになる。もちろん、最終的に他国との総力戦への道を進むことになった戦前期の日本では、そういう国家神道の「宗教ではない国民道徳」としての側面が最大限に強調され、一種の国民動員装置として機能したわけである。 
 日本の敗戦とGHQによる占領は、もちろんこのような国民動員装置としての靖国神社の存続を許さなかった。それではどうするか、といった時に、実は靖国神社の宗教性を排除し、戦没者の追悼という公的施設として存続させる、というもう一つのシナリオもありえたのだという。しかし占領軍側と旧支配層との駆け引きによって結局それは実現せず、靖国を民間の宗教施設として他のキリスト教・仏教などの施設と全く同列におき、その代わり公的施設としての活動に制限を加える―政教分離規定を厳密に適用する―、という道がとられたのだった。

 しかし三土氏によれば、このような「靖国問題」の本質を回避した妥協的な解決方法こそ、後に大きな禍根を残す元凶であった。なまじ靖国神社が民間の一宗教法人として規定されてしまったために、戦前の価値観をそのまま残した遊就館の設置やA級戦犯の合祀など、ポツダム宣言を受け入れることによって始まった戦後日本の歩みを真っ向から否定するような、すなわち公共性の点から問題の多い行為を神社側がとることを許してしまったからだ。
 一方、日本の右傾化を警戒する靖国反対派は、これまでGHQによる戦後改革の趣旨を活かす形で靖国の「公的施設」化を反対する、すなわち政教分離規定の厳格化の観点から首相の靖国公式参拝に反対してきた。しかし、このような現実的な戦略に終始したために、国家による戦没者追悼のあり方を改めて問うような本質的な議論がついぞ靖国反対派の側から提起されることはなかった、と三土さんは厳しい評価を下している。