梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

自転車泥棒の(あまりヤバくない)経済学

 僕は車に乗れないので、いつも自転車と地下鉄を利用して(ベイエリアの地下鉄は自転車を持ち込んでもかまわないので)大学に通っていたのだが、アメリカの都市で自転車泥棒が多いことは周知の事実である。で、今までは一時預かり所を利用するとか鍵を二本使用するとかそれなりに気をつけていたのだが、この間人目につきやすいところだし周囲に駐輪している自転車も多いので大丈夫だろう、と油断して地下鉄の構内の駐輪場にとめていたら、サドルをそれを自転車につなぎとめているポールごと抜き取られてしまった。

 金額的には大した被害ではないのだが、もともとスーパーで自転車を買ったため最初どこでサドルなどの部品を売っているかわからず、なかなか往生した。大学院時代にはサドルのない自転車に座布団をくくりつけて乗りまわしている猛者もいたが、さすがにここでそれをする勇気はない、というかそもそも座布団などその辺に売っていない、というわけで今日ようやく自転車の専門店を見つけてでサドルとそれを自転車に接続する器具のセットを購入した。占めて40ドルほどかかったのだが、盗品を中古市場でさばいたら一体どのくらいになるのだろうか。

 さて、これもご存知のように中国でも自転車泥棒は非常に多く、北京に1年半ほど滞在していた間に2千円くらいで買った中古のオンボロの自転車を二度ほど盗まれている。こうしてみると、こういった自転車、特にパーツの泥棒というのはかなり地域的特性が強い、言い換えればある一定の条件を満たす地域には多発するがそうではない地域にはあまり見られない犯罪ではないか、という気がする。ただし、この「条件」とは文化や道徳に関するものを意味しない。あくまでその犯罪が「割に合うか」というインセンティヴ構造に関する条件を指している。以下、自転車泥棒を多発させる社会のインセンティブ構造について考えてみよう。

 まず、自転車(のパーツ)を盗もうとする者は、そのことによる期待利得と期待損失をはかりにかけ、前者が後者を上回る場合だけ盗みを働くのだとしてみよう。すると盗むことの期待利得は自転車(パーツ)の期待市場価格であり、期待損失は失敗の確率に、盗みが失敗して見咎められたり捕まったりした場合の期待コストをかけたものであると定義できるだろう。
 このうち、自転車(パーツ)の期待市場価格はその地域に自転車(パーツ)の中古品のよく組織化された、取引が活発な市場が存在しているかどうかに大きく左右されるだろう。そういった市場が存在しなければ、自転車(パーツ)を売りさばくのに大きな取引コストがかかってしまうからである。

 盗みが失敗する確率はさまざまな要因に影響されるだろうが、ここでは過去に同様の犯罪がどれだけ頻繁に起きているかに左右されるとしてみよう。そういった犯罪がめったに起こらない地域では例えば自転車のサドルや前輪を外して持ち去ろうという行為が非常に目立ってしまうため、それを見咎められる確率が高い、少なくとも主観的にはそう感じられる、ということがいえるだろう。逆にそういった犯罪が多発している地域では、珍しくもない行為なので実際犯罪行為を目の当たりにしても係わり合いになるのを恐れてみんな見て見ぬふりをするかもしれない。

 最後に、盗みが見つかってしまった時のコストだが、これは現在の所得が高いほど高くなるだろう。たとえ警察沙汰にならなかったとしても、そういった犯罪に手を染めてしまった、ということが広く知れ渡ることによる社会的評価の低下が仕事の機会損失につながる可能性は、高所得者ほど高くなるだろうからだ。
 
 こうしてみると、ある地域の自転車(パーツ)泥棒の頻度は、a.その地域に組織化された中古自転車(パーツ)の市場が存在し、b.過去にも同様の犯罪が多発しており、c.貧困層の人口比率が多い、時に高くなると考えられる。したがって例えば全米で各都市ごとにこれらa.からc.までのデータを説明変数にし、自転車(パーツ)泥棒発生の頻度を被説明変数とした回帰分析を行えば、恐らく有意な相関が見出せるはずである。

 …ただし、以上述べてきたことはアメリカで生活している人々の実感からすればあまりに当たり前でなんの意外性もないことなので、実際に苦労してこれらのデータを集め、満足のいく結果が得られたとしても、恐らく『ヤバい経済学』ISBN:4492313656 のレヴィット氏のように名声を得ることは残念ながらできないだろう。

 というわけで、今までお付き合いいただいた方には恐縮なのだが、ある社会的に望ましくない行為の地域差を個人のインセンティブから説明したものとしてはbewaadさんの取り上げているプロ野球選手によるステロイド使用に関する日米比較の話の方がずっと面白いので、今までの話がつまらなくてがっかりした方はどうぞそちらをご覧になってください。