梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

中国経済の市場経済化と動学的非効率性(下)


 承前

以下の議論は専門家の間で共有されているものでもなんでもなく、あくまでも私の思いつきの域を出ませんのでその点ご留意ください。また論旨におかしな点があればご指摘をお待ちします。

 さて、地域間の資金移動が限定的なものである、すなわち「国内版ホームバイアス」の問題と「動学的非効率性」の問題がどのようにつながってくるのか。
 ここで一応おさらいしておくと、動学的非効率性とは、分権的な経済において投資が飽和状態にあるとき、異時点間の資源配分に関して市場取引を通じてはパレート最適な配分が実現されず、計画者などが強制的に主体間の配分を行うことにより厚生を向上させる余地がある状態のことをさす。竹森本では、実質成長率が実質投資収益率を上回っていることが動学的非効率性が成立する必要十分条件としてあげられているが、これは不確実性が存在したり、中国のように金利が規制されている場合には必ずしも当てはまらない。エイベル=マンキュー=サマーズ=ゼックハウザーの研究によれば、むしろ投資額が純資本所得を上回っていることが動学的非効率性の条件として適当であるとされる。*1
 中国は2003年ぐらいから投資(資本形成総額)のGDP比が40%を越しており、エイベル=マンキュー=サマーズ=ゼックハウザーの定義によっても動学的非効率性が成立している可能性は十分あると思われる(要検証)。

 この動学的非効率性の説明については、いわゆる世代重複モデルがしばしば用いられる。このモデルでは、人はみな第1期に働いて収入を得、その一部を消費し一部を貯金し、第2期には第1期の貯蓄を消費する、と仮定する。すると、上記のように投資が飽和状態にあり、貯蓄のリターンが著しく低い場合でも、第1期の人々は第2期に自分が行う消費のために貯蓄を行わざるを得ない。
 しかしこのとき、たとえば投資のリターンを上回る経済成長率が実現しているならば、計画者は第1期の人々の所得の一定割合を強制的に第2期の人々に移転する、という方法を通じて、経済全体の資源配分の効率性を改善し、すべての人の消費を増やすことが可能である。竹森氏は、このような計画者(政府)による強制的所得移転以外にも、経済成長に連動して価値が上昇するような資産、たとえば土地資産などへの投資行動を通じて、動学的非効率を解消し、経済主体全員の厚生水準を向上させることが可能であることを指摘している。

 さて、ここで地域Aと地域Bからなる経済を考えよう。地域Aは比較的工業が発達しており、実物投資を行ったときの収益が5%あるとする。それに対して地域Bはインフラの不足や住民の購買力の低さから、投資を行っても年2%の収益率しか実現できないものとする。このとき、常識的には、資金は銀行融資などを通じて収益率の低い地域Bから収益の高い地域Aに流れていくはずである。
 しかし、もし、この地域A,Bが両方とも年10%という、投資収益率よりも高い経済成長率を記録していた(動学的に非効率な状態にある)、とすればどうか。この場合、資金が地域Aの比較的収益性の高いプロジェクトに集中したとしても、それは高々5%の収益しかあげないので、異時点間の資源配分を考えたとき、それは必ずしも効率的とはいえない。

 ここでたとえば地域AおよびBの地方政府が主体となって都市開発を行い、建設した高級マンションを売り出し、それが資産として次々と転売されていくとしたらどうか。年間10%という高い成長率の元では、マンションの価格はおそらく年10%以上で上昇していくだろう。地域A・地域Bともに、資金を5%のリターンしかない地域Aのプロジェクトに投資するよりも、地元にある不動産への投資に投じたほうが、より収入を拡大することができることは明らかである。この場合、地域Aのほうが投資収益率が高いにもかかわらず、資金は地域Bから流出しては行かないであろう。
 
 以上のような状況が中国の省間でも生じているとしたら、それが「国内版ホームバイアス」現象の一つの説明になっているのではないか、というのがここでの僕の仮説である。このように考えると、前回のエントリで触れた、ホームバイアスが90年代中盤から生じてきたという「謎」についての説明がうまくつく。
 この時期はトウ小平の「南巡講和」以降外資の進出が本格化し、輸出主導で年10%を超える成長が持続的なものとなっただけでなく、固定資産投資に占める不動産投資比率が急増し、土地開発を通じた「バブル」が盛んに喧伝される時期でもある。このような90年代中盤以降の中国経済が動学的に非効率な状態にあったとしたら、単にホームバイアスの説明だけではなく、「地方政府の土地開発に関してはレントシーキングや非効率がひどかったにもかかわらず、なぜ高成長を持続できたのか」という問いにも一定の答えが与えられるのではないだろうか(繰り返すが要検証)。

 ただし、ここ注意しなければならないのは、このような動学的非効率性が中国全土で生じるのは、本来は資本が不足しており潜在的に収益率が高いはずの地域(内陸部および農村部)において、インフラや社会保障の整備の遅れから十分な需要が喚起できておらず、結果として実物投資の収益率が低いままにとどまっている、という点である。

 現在、アメリカ経済が大打撃を受ける中でインド・中国などの新興国内需拡大が問題にされている。特に、中国に関しては内需中心の経済成長への転換はすでに避けられない流れだといってよい。
 しかし、本エントリの考察を踏まえれば、一口に内需拡大といっても、大きく二つの方向性が存在することがわかる。一つは、これまで厳しく制限されていた、各地における地方政府主体のミニ・バブルの発生を再び解禁する、というものであり、もう一つはインフラや社会保障への整備を通じて、本格的に内陸部の投資収益性を高めるような政策を行うことである。前者は、現実に各地方政府がその方向に動き出していることをみてもわかるように、最も手っ取り早い処方箋だが、同時にこれまで生じてきた役人の腐敗・農民の不満・格差の拡大といった社会の矛盾を何一つ解決しないばかりか、それを一層拡大させ、その結果中国社会がより不安定な方向に進むことは間違いないだろう。後者はその意味で実に「正しい」処方箋ではあるが、即効性という点ではほとんど期待できないだろう。いずれにせよ、個人的には、「動学的非効率性」の問題およびそれへの対応が、これからの中国経済を見る上でひとつの鍵になっていくような気がしている。

*1:デヴィッド・ローマー『上級マクロ経済学』邦訳92ページ参照。以下の記述も基本的にローマーのテキストを参考にしている