梶ピエールのブログ

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補足と雑感

 D.ローマーの『上級マクロ経済学』や吉川洋『現代マクロ経済学』などのテキストを読めばすぐわかることだが、今やケインジアン的なモデルで経済を説明する、ということは賃金や財価格の硬直性にミクロ経済学的な根拠付けを与える、ということとほぼ同義になっている。本書の著者の一人であるスティグリッツも効率的賃金に関する理論モデルの構築などでその分野における重要な貢献を行っているはずなのだが、本書ではそういった価格硬直性の観点からケインジアン的金融政策の有効性を導き出す、という立場を完全に捨て去っている。その代わりにそれまでの主流派のマクロ経済モデルではほとんど重視されてこなかった(たぶん)、銀行に代表される金融機関の「リスク回避的性格」に徹底して注目することによって、「流動性のわな」に代表される金融政策の有効性などのケインジアン的含意をもたらそうとしている点が最大の特徴であり、「新しい」と主張されるゆえんなのだろう。


 所詮専門家ではないので感想めいたことしかいえないが、これほどまでに金融機関のリスク回避性の仮定に依存した分析というのはかなり従来の主流派マクロ経済学の常識に反したものだと思うし、また本書の分析手法があくまで静学的なものに限られているということもあって、本書はアメリカのマクロ経済学のメインストリームからはかなり戸惑いを持って受け止められているんじゃないだろうか。少なくともスティグリッツミクロ経済学における数々の業績ほどには本書の結論が「安心して」引用できるようなものでないのは確かだろう。

 まあそれはともかくとして、こうした現代のケインジアン的なマクロ分析の中でもかなりの「異端」と思われる本書の立場だが、僕自身は以前のエントリid:kaikaji:20050505でも触れたように、流動性選好の問題を金融機関のポートフォリオの問題としてみる点など、本書のモデルは実は(後期)ヒックスの考えていたマクロ経済のモデルに最も近いのではないかと思っている(ヒックスの流動性理解に関してはHicksianさんのブログにおける議論参照)。その意味では単に「新しい」というよりは「古くて新しい」金融論、といったほうがふさわしいかもしれない。

 また、同じようにケインズ的なマクロモデルの「異端」である小野善康氏のモデルは、本書と違って「信用」を扱わない徹底した「貨幣的」モデルであること、どちらかというと銀行の貸出や企業の投資行動よりも家計の「流動性選好」にもとづく貯蓄行動に不況の本源的な原因があるととらえていること、などから不況のモデルとしては本書とむしろ補完的な関係にあると見たほうがいいように思う。この点については機会があればまた詳しく考えてみたい。

・・まあそんなところです。ご意見・ご質問・間違いの指摘など積極的にどうぞ。