梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

学生への啓蒙とプチ・ナショナリズム

 予告した木村さんからいただいたメールの内容を要約すると、木村さんは出版の段階で「あの表題であの新書を買う人は、ある程度、朝鮮半島にディープに入れ込んでいる人に違いない」とマーケティングの対象を絞り込んでいて、むしろ、彼らの考えに積極的に働きかけて彼らの考えを動かしたい、それが朝鮮半島に関する言論状況を変える近道だ、ということを考えておられたようだ。

ただ、しつこいようだがこだわっておくと、木村さんは「どうして日本人は、朝鮮半島について語るときに、ほかの国のように「普通」に語ることができないのだろうか」というような書き方をされている。もし上のような問題意識に立つのであれば、「どうして日本人は・・・」と言うような書き方を安易に使ってしまうのはどうかな、という気がする。


 なぜこのようなことをしつこく書くかというと、僕は日常的に次のような場面に直面しているからだ。ゼミなどではいつも最初の時間に、中国や朝鮮半島に関する情報をインターネットなどで集めるときの注意点をに話すようにしている。例えばそのメディアが「右より」「左より」かによって同じニュースでもかなりニュアンスの違う書かれ方をことがあるからその違いに気づいて欲しい、というようなことだ。ただ、僕の相手にするような学生達はほとんど全員といっていいほど、朝日新聞が「左より」で産経新聞や読売新聞が「右より」だと言うことを知らない。というか、そもそも「左」とか「右」とかいう立場がどういうものかすらよくわかっていない。で、その「違い」をとりあえず感じてもらおうと、先日はインターネットで「尖閣諸島」に関する朝日新聞産経新聞の記事を検索させて、それをそれぞれ声に出して読ませる、と言うことをやってみた。例えば次のような記事だ。

http://www.asahi.com/special/senkaku/TKY200403310241.html
http://www.sankei.co.jp/news/040326/morning/column.htm


 で、その結果。「朝日の記事を読むと、どっちの立場にもそれぞれの言い分がある、という典型的な「中立」の立場で書かれているね、では産経の記事はどっちの立場で書かれているだろうか」と聞いてみると最初にあてた学生は「わかりません」次の子は「中国ですか」と答えた。。。
 同じゼミで、数年前の東芝日航、また最近の新聞広告をめぐるトヨタの件など有力な日系企業が中国で直面しているトラブルの話をすると「個人的にはなんでこんなことで怒るのかな、と思いますが、背景に歴史問題とかがあるならヤッパリ誤ったほうがいいと思います」という意見にほぼ全員が賛成してしまう、とか、「JSA」とか「二重スパイ」とかいった映画を見せると、「韓国と北朝鮮の対立がこんなに深刻だなんて初めて知りました」というようなことを書く奴が必ず何人かいる、とか、そんな例には事欠かない。


 要は、こういった「ナショナリズム以前」の状態にある若者に対して、教師としては少しでも彼らの問題意識を呼び起こすような努力を続けていくべきなんだろうか、ということだ。しかしそれは少なくとも一時的にはかれらの「眠っているナショナリズム」を呼び起こす方向に働くだろう。そのことは、(これは経験のある人も多いと思うが)、授業の後で質問に来たりする「問題意識の高い」子に限って「僕SAPIOが好きなんですけど・・」と告白したりする傾向が強いことからもある程度予想できる。それとも、「寝る子は起こすな」ということで当たり障りのないことを言い続けていたほうがいいんだろうか。僕としては少なくともしばらくは前者のほうの可能性を追求してみたいのだが・・

 それとも、僕としてはとりあえず彼らの「プチ・ナショナリズム」に火をつけておいて、そのあとは木村さんに彼らがとんでもない方向に向かっていかないよう面倒を見ていただくようにすればいいのかもしれない。木村さんにしてみれば迷惑なハナシだろうが・・