梶ピエールのブログ

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4月22日付のシンガポールの華字新聞『聯合早報』に、「中国経済:減速からの回復のカギは(中国经济减速反弹的钥匙)」と題する論評を寄稿しました。
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 ただ、これは中国語の会員限定の記事なので、以下に元の日本語の原稿を公開します。

 中国経済の減速に注目が集まる中、中国の国会にあたる全人代全国人民代表大会)が3月5日から15日まで北京で開催された。注目された李克強首相の政府活動報告では、特に財政を通じた景気刺激策へのコミットメントの姿勢が目立った。製造向けの増値税(付加価値税)の16%から13%への引き下げを中心に各種の減税措置が公表され、その規模は昨年を上回る1.3兆元から1.5兆元に達するものとみられている。
 財政赤字は対GDP比3%という枠は堅持するものの、2018年の対GDP比2.6%を上回る2.8%まで拡大を容認することが明記された。予想される財政赤字の増加分は、国債の発行によって埋めることが予想される。国債の発行額については具体的な数値は示されなかったものの、一時期発行が抑えられていた地方債については、1.35兆元から2.15兆元へと発行枠が大幅に積み増しされることになった。
 活動報告からは、リーマン・ショック後に取られたなりふり構わぬ需要拡大策への反省を踏まえた、景気刺激策の手段の変化が読み取れる。従来の政府が号令をかけて投資を増やし、後追い的に金融でサポートするやり方に替り、今回は減税によって消費需要も刺激しつつ、中央銀行国債の大量購入を通じて金利を引き下げ、景気を下支えする方向性が示された。
 ここで一つの焦点となるのが、財政政策と金融政策の連携である。すでに今年1月16日には財政部国庫司副主任の郭方明氏が、人民銀行が国債の大量購入を通じて市中のマネーを増やし、金融緩和を実施する可能性を示唆し、大きな議論を呼んだ。一貫して積極的な金融緩和策を唱えてきた中国社会科学院の余永定氏は、政府は財政赤字を3%の枠内に抑えてきた政府の均衡財政的な姿勢を批判し、政府は積極財政によって金融緩和をサポートすべきだ、という発言を盛んにおこなった。
 これらの一連の動きで、重要な点が2点ある。一つは、これまで中国では金融政策の手段として国債の売買は重要な地位を占めていなかった、ということだ。例えば米連邦準備銀行及び日本銀行保有する国債の総額は、資産総額のそれぞれ54%。84.7%にあたるが、中国人民銀行の場合はわずか4%にしか過ぎない。これは、先進国に比べ国債保有主体が限られており、流動性が十分ではないことに起因している。したがって、人民銀行が本格的に国債の大量売買に乗り出すことは、市場の流動性を高め、より機動的な金融政策を行えるようにするという意味も持つ。
 もう一つの重要な点はは、このような議論は、近年日本でもシムズ教授が提唱する「物価水準の財政理論」が注目されるなど、デフレや不況の克服に金融政策だけでは十分ではなく、財政連携との連携が不可欠であるという認識が広まってきたことと呼応するということだ。先述の国債の積極購入を主張するエコノミストたちは、アベノミクス以降の日本のマクロ経済政策をかなり参考にしているものと思われる。
 今回の政府活動報告では、このような財政と金融の連動への直接の言及はないものの、実質的にその方針を容認したのに等しい内容となっている。注目されるのは、19年中に対前年比3%前後の伸びという小売物価指数(CPI)の目標が示されたこと、そして、都市部の新規就業者数として1100万人以上を目指すことだ。この2つは昨年の政府活動報告でも目標として掲げられたが、成長率が落ちている現状でも同じ数字を踏襲したことに意味がある。まずCPIについては、19年2月の数値が対前年比1.5%の伸びであったことを考えれば、3%前後という目標は、かなり大胆な金融緩和も辞さない姿勢を明確にしたものと考えられる。
 国債や地方債の発行額増加は、副作用として中国経済が抱えている過剰債務問題の深刻化というリスクを増大させる。そして、市場に債務リスクへの懸念が広がれば国債や地方債の利回りが上昇しかねない。しかし、同時に金融緩和によって年間数%程度のインフレ率が実現されていれば、実質金利の上昇を抑えることができるだけでなく、政府・民間の実質債務残高の対GDP比はむしろ減少していくことが期待される。
 また、経済成長率などと共に新規就業機会の創出を通じた雇用の確保を目標として明示したことにも、重要な意味があると考えられる。この背景として、輸出入に多くを依存する産業を中心に、雇用機会の大幅な縮小、という現象が顕在化してきたことがあげられる。中国人民大学の就業研究所などが発行しているリポート『中国就業市場景気報告』によれば、2018年第3および第4四半期の貿易・輸出入産業の求人*1は全体でそれぞれ55%、40%と大きな落ち込みを見せており、特に西部地域での同産業の求人はそれぞれ80%、77%落ち込むという深刻な事態になっている。また、同じく中国人民大学就業研究所所長の曾湘泉氏の推計によれば、2018年の中国の総就業者数は7.75-7.76億人と、58年ぶりに前年と比べて減少しているという。
 このところの中国政府がマクロ的な景気対策へと大きく舵を切ったことについては、それが国有企業改革を含む「構造改革」を遅らせるものだとして批判の声も根強い。しかし、今回の一連の処置はリーマン・ショック後に行われたようななりふり構わぬ景気刺激策というより、むしろ米国をはじめとした先進国で用いられている洗練された財政・金融政策を中国でも行うための政策手段の改革、という側面も持っている。その意味では、政府の一連の景気対策は、決して構造改革の実施と矛盾するものではなく、むしろその実行可能性を高めるために必要な措置だと考えた方がよいだろう。

*1:当初の記事では「雇用」となっていましたが、これは「求人(新規雇用)」の誤りでした。関志雄氏よりこの点をご指摘いただきましたので、訂正しておきます。