梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

解説しよう。

 二回にわたって紹介した『財経』の記事について私なりに少し説明を加えてみよう。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20090625
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20090627

 この記事は地方政府が暴走気味の投資計画をかけ、そのための資金調達に奔走し始めていることに警鐘を鳴らした特集のまとめの文章である。なおこの『財経』という雑誌は2003年当時の上海周辺の土地バブルをめぐる地方政府と不動産会社の癒着を厳しく糾弾したほか、農村における土地収用と「失地農民」の問題や国有企業幹部のMBOを通じた利権の獲得などの問題についてもいち早く取り上げてきた実績があり、この手の批判的な報道については中国国内で最も信頼性の高い媒体といってよい。

危機後の中国の景気回復策とその効果については、中国の政治が非民主的で権威主義的であり、意思決定が集権的でスピーディーだから回復が早かった、という見解も見られたが、これはものごとの半分しか言い当てていない。

 確かに、中央政府が景気拡張政策をすばやく打ち出せたのは意思決定が集権的だったからだが、それがすみやか実行に移されるにあたっては、中央の指令ではなく、もはや地方の自主性、ありていに言えば勝手に暴走を始めるだけの潜在力があったことが大きい。そして、地方の現状はむしろ中央政府が制御不能な状況に移りつつある、というのがこの記事の基本的な問題意識である。

 記事では、地方政府が巨額の資金を集めるための主な手法が二つ紹介されている。政府がメインの出資者となったの「投資会社」を設立して債券を発行させ、その銀行引き受けを通じて都市開発の資金を捻出しようとする方法が一つ。もう一つは信託会社などに、上記の投資会社の株式を対象とした投資信託を発売させ、一般の投資家から資金を集めるという方法が紹介されている。いずれも、土地資産の値上がりが将来の投資価値の期待を支える、というどこかで聞いたような状況が背景にある。

  そもそも中国の企業債の発行は厳しく、資産額の40%を上回ってはならないという縛りがある。また、地方債も現状では中央政府が代わりに発行することになっており、地方政府が自由に市中消化することはできないなど、発行に厳しい制限が課せられている。しかし、上記のような政府が投資主体となった企業では、財政資金や地方政府が収用した土地を資産に組み入れることができるなど、政治的な手法により資産総額を膨らませることができる。『財経』誌は、このような粉飾により、結果として投資のレバレッジが大きく高められているのではないか、という警鐘を鳴らしているのである。
 『財経』の別の記事の中でも、年間の財政収入が30億元ほどであるのに、政府によって設立された「投資会社」に15億元の債券を発行させている内陸部の中都市のことが紹介されている。

 このような債券の利率は国債の2倍から3倍で、危機後、強気になり始めてきた個人投資家が積極的に購入する姿勢を見せているという。最終的には地方政府が債務を保証してくれるという信頼感があるからだろうか。しかし、1998年当時各種の地不政府が設立したノンバンクがあっさりは単に追い込まれていたことを考えれば、これは基本的に当てにならないといわざるを得ない。

 通常、資産価格がバブルといいうるほどに上昇しても、レバレッジに制限がかけられていればバブルがはじけてもそれほど大きな破綻にはつながらないはずだ。これまでも中国の不動産価格は上昇を続けていたが、その原因は主に土地(使用権)の供給が地方政府により制限されていた点にあり、特に近年には不動産融資はかなりの制限を受けていた。それがここで紹介されているようにレバレッジをかけた投資が大手を振って行われるようになると、単にバブルが再燃するだけではなく、その崩壊はより大きな信用不安につながりかねない。

 中国の財政・金融のすばやい緩和策が全体としてみれば正しい反応であったことは疑いがない。しかし、それは中央政府がブレーキをかけることができないほどの地方の暴走を促しかねない、という副作用を伴ったものであり、それが今回の記事のような形で現れてきている、といえよう。

 さらに問題なのは、これまでのように為替の安定を図るための介入が外貨準備の持続的な拡大を通じて国内の過剰流動性をもたらす、という為替制度から生じる問題が資産バブルの懸念にさらに燃料を投下しかねないことだ。最近中国政府がが国際通貨制度の改革に積極的であるのも、このような危機感が背景にあると考えられる。