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中国の愛国と民主―章乃器とその時代 (汲古選書)

中国の愛国と民主―章乃器とその時代 (汲古選書)

 
  民主建国会のリーダーであり、中華人民共和国成立前後のいわゆる「第三勢力」の中心的人物であった章乃器の思想についての本格的な研究書です。現代中国における「愛国と民主」、さらに「ビジネス」の相互の関係を考える上で、貴重な材料を提供してくれそうです。



 ご本人から直接頂きました。前著に引き続き、マルクス+ウィットフォーゲルの「アジア的生産様式」論に依拠しての中国近現代史の再構成を目指したものですが、この著作では汪暉の言説への批判などを通じて、現代中国の「近代性と前近代性」を直接問うものになっています。
 一方、「アジア的生産様式」に関しての学界の主流における見解はというと、以下のような記述が代表的なのではないでしょうか。

 封建制という概念に代わるものとして、アジア的生産様式やアジア的専制支配という言葉を用いて前近代の社会経済システムを説明しようとした論者もいた。そうした概念には、いわばさまざまな変異型があり、一言で特徴付けるのは難しい。しかし、アジアの多様性を想起するならば、そのシステムが前近代のアジアに普遍的に存在したと主張するのは容易なことではない。そもそも「非ヨーロッパ社会」の全てを「アジア社会」と概括するのは、ほとんど何の意味も持たない言い換えにすぎないわけであるから、アジア的生産様式という概念は空虚な抽象物に陥るであろう。一方、アジア的生産様式やアジア的専制支配に何らかの実質的な意味合いを与える議論の場合、首長が部族共同体的諸関係をまるごと支配するような古代オリエント専制支配を想定していることが多く、やはり中国に適用することはできないものであった。

(久保亨編『中国経済史入門』10頁より)

 こういう認識にたいして、以下のような本書の記述は、ほとんど一種の「挑戦状」といえるでしょう。

とはいえ、日本でアジア的生産様式といえば、その欠くべからざる構成要素の一つである「東洋的専制主義論」よりも、アジアへの侵略を正当化した「停滞論」が真っ先に想起されるほど、そこには払拭しがたい、否定的印象がこびりついている。たしかに、かつて竹内好が批判した日本の戦前・戦中のマルクス主義とは、まさにこうした「停滞論」に基づくものであった。だが、この竹内による批判は、「旧パラダイム」としての社会認識の一部にすぎなかった「停滞論」とともに、アジア的生産様式そのものをすべて排除してしまい、「現行パラダイム」の中で、「東洋的専制主義」をめぐる歴史的事実としての諸問題をまるごと押し流してしまった。いいかえれば、「現行パラダイム」は、アジア的生産様式を西洋中心主義的「偏見」であるとしつつ、結果的には、中国における事実としての専制独裁政治をまるごと容認してしまったのである。

(『中国革命論のパラダイム転換』371頁より)

 僕としては必ずしも石井氏の議論を全面的に支持するわけではないですが、重要な問題提起をされていることは間違いないと思っている(だからこそ自分が書いたものの中で繰り返し彼の著作に言及してきた)ので、本書の出版をきっかけに「アジア的生産様式」と現代中国像との関わりをめぐる、生産的かつ活発な議論がおこることを期待したいと思います。