梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

開発主義を超えて―外部経済と内部経済―(前)

以下は、12月5日のワークショップの事前勉強メモのような形で読んでもらえればと思います。

比較経済発展論―歴史的アプローチ (一橋大学経済研究叢書)

比較経済発展論―歴史的アプローチ (一橋大学経済研究叢書)

上記の本に関しましては、

 村上泰亮的な開発主義のパラダイムの限界があらわになり、かといって新古典派のように放っておけばどこでも市場経済は勝手にすくすくと育つと考えるほど楽観的にはなれず、さりとていまさら従属理論やその亜流などにしがみつく(ポメランツなどにはややその傾向ありだが)わけにもいかぬ、という状況の下で、「スミス的経済成長」およびマーシャルの収穫逓減の理論に実証的な歴史学の視点から新たな光をあてた上の書は、現在ならびに今後の中国の経済成長が持つ意味を、政治経済学的に考察する上でも大いに有益かと。

 という煽り文句を書いたわけですが、その後大学院のゼミでこの本を輪読したりして、自分なりに理解が深まったように思っていますので、その辺のところを整理したいと思います。
 さて、斎藤の言う「スミス的成長」とは、産業の分業と職業の分化の進展、特に中間財部門(綿紡績工業、鉄工業、機械工業)の成長が他部門に波及効果を及ぼし、成長を促していく収穫逓増的な過程のことだ、ととらえられるだろう。

 この意味で、本書の「経済成長」のイメージは、ルイスの二重経済モデルをはじめとしてほとんどの開発経済学の理論に(いや、ほとんどの経済理論に)影響を与えてきた、マルサスリカード的な収穫逓減と人口原理の前提、そこから導き出される「貧困の罠」仮説に真っ向から対立するものである。
 一方、スミス以降の経済理論で本書の議論と深い親和性を持つのが、マーシャルによる「外部経済」の議論である。これは、よく知られたように産業の規模拡大、関連産業の拡充、労働者の技能、熟練の工場などによって、個別企業ではなく産業全体で収穫逓減が実現する状況を指したものである。このような「外部経済」が働く世界では、企業内における組織化、技術革新を通じて収穫逓増が実現するとされる「内部経済」と異なり、企業の淘汰、独占化は生じない。理屈の上から言っても、産業の生産ならびにその需要が拡大を続ける限り、産業内における企業全てがどの利益を享受できるからである。
 したがって、外部経済の存在は、市場競争が安定的な均衡をもたらす、という新古典派的な結論をゆるがすものではあるが(たとえば、ある産業に関して収穫逓増が働く場合、価格と生産の規模は市場均衡ではなく、需要制約によって決定される)、競争の存在が成長をもたらすという点ではスミス以来の伝統にのっとっているといえよう。

 斎藤の議論のオリジナリティは、このようなマーシャル的な外部経済のイメージが、工業化以前の農村経済の発展においてもあてはまると主張している点にある。そして、その中でも従来より指摘されていたイギリス型の成長パターンのほかに、もう一つのスミス的成長のパターンが日本・東アジアに存在した、というのが斎藤の議論の一つの重要な核になっている。前者は、よく知られているように、いわゆるエンクロージャーの進展によって、農民が地主と土地なし農業労働者とに分化し、要素市場の流動化が生じることにより、資本主義型農業経営が可能になる、という経路をたどる。この過程が、後の工業化を準備するような所得の上昇とともに、国内における大きな所得格差をもたらすのである。

 それに対して、徳川日本においては、小農社会のもとで多様な手工業や農産物加工業などが農業の副業として発達し、その結果資本蓄積や技術進歩を伴わなくても農村は人口圧力から開放され、持続的な経済発展が可能になった、とされる。また、このような農村経済の発展は農民の階層分化を伴わなかったため、イングランドのような工業改善での所得格差の拡大は見られなかった。これが、近世の日本あるいは中国江南地方でみられたとされる「もう一つのスミス的成長」の特徴である。
 そしてこのような立場からは、産業革命(あるいはより広義の工業化)も、単なる機械化・資本蓄積・技術進歩というキーワードによってではなく、分業化の進展を通じた、中間財部門の発展による「収穫逓増」の過程という、工業化以前において生じてきた「スミス的成長」との連続性を持つ、より多様な過程としてとらえられることになる。すなわち、同じ工業化による生産性の上昇、という現象をとっても、資本集約的かつスキル集約的なヨーロッパ型、資本集約的だがスキル節約的なアメリカ型、資本節約的でスキル集約的な日本(東アジア)型、などの分岐が、その初期段階における農村経済の発展をめぐる状況から把握することが可能になるのである。

 以上のような斎藤の議論のパースペクティヴは、これまでの開発経済論の通説に再考を促す重要な指摘をいくつも含んでいる。たとえば、『東アジアの奇跡』においては、東アジア諸国が低い経済格差のもとで高成長を実現した、という点に関して、政府による再分配政策の効果が高く評価されることになる。しかし、斎藤の議論を踏まえれば、むしろ東アジアに顕著であった小農経済という工業化の初期条件の影響が大きかったのではないか、という解釈を可能にするからである。

 しかし、中国を含む東アジアの経済発展を考える上でより興味深いのは、費用逓減(収穫逓増)と経済発展との関係ををめぐる、村上泰亮による開発主議論と斎藤の議論(から導かれるもの)の立場の違いである、といってよいだろう(続く)。