- 作者: 富坂聰
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/04/27
- メディア: 単行本
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現在中国北部の農村は深刻な水不足に見舞われているというが、日本では中国をネタにした本は相変わらず洪水のように出ている。しかしきちんと現地に密着した独自の視点から中身のある取材記事を書ける人は数少ない。この本の著者の富坂氏は、そういった数少ない優れた「現場派」の中国ウォッチャーの代表選手といっていい書き手である。ただ、これは優れた取材力の裏返しでもあるのだろうが、実名を伏せられた「関係者」からのインタヴューに基づく、読者としてはなんとも「裏」のとりようがない記述がかなり多いのがちょっと気になるところではある。
さて、本書の内容はもともとは『文藝春秋』に連載されたものだが、「三峡ダムが中国を滅ぼす」「13億人市場という幻想」「人民解放軍という闇」といった「いかにも」なセンセーショナルなタイトルとは裏腹に、全体のトーンとしてはむしろ抑えた筆致が目立つ。特に情緒的な中国脅威論や、「江沢民派VS胡錦濤派」とといった判りやすい構図に現実を落とし込むやり方に対しては、著者は徹底して批判的であるといってよい。
例えば富坂氏によれば現在の人民解放軍が抱える最大の問題とは、実はリストラされた退役軍人の不満をどう解消するかということだ、という。現在の中国にとって軍の近代化が喫緊の課題であることは自他共に認めるところである。そして、そのことは「最大の国有セクター」である軍隊が抱える余剰人員の大幅なリストラを必要とする。しかし、国有企業の民営化と公務員の削減にも全力を挙げて取り組まなければならない政府にそのような大量の余剰人員を吸収する力はない。しかも一方ですでにリストラされた退役軍人たちの間で「国のために尽くしてきたのに全く報われない」という鬱屈は相当たまっており、中には犯罪に走るものも少なくないという。このように、アメリカや日本のタカ派からその「脅威」を指摘されてやまない人民解放軍は、実際には近代化を推し進めれば退役軍人の不満が爆発しかねない、という深刻なジレンマを抱えているのだ。
このような軍の抱える「ジレンマ」についての記述は、例えば圧倒的な軍事知識によって台湾に対する中国の軍事的劣勢を「実証」して見せた田岡俊次氏の『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか (朝日新書 36)』の記述とも響きあうものであるように思える。この両者の近著からは、現実を踏まえない情緒的な中国論の高まりに対する「情報通」「現実主義者」としての苛立ちと戸惑いが共通して感じられ、なかなか興味深い。
本書には中国の現実だけではなく日本やアメリカの外交政策にも踏み込んだ記述もあり(第5章)、それについては正直違和感を感じることも多いのだが、それでも以下のような記述には、著者の中国ウォッチャーとしての誠実さと足取りの確かさを見ることができるように思う。
例えば、中国を話題にした時に頻出する表現に「中国は一党独裁だからそんなことができるが日本ではできない」というものがある。この表現はどうだろう。
もちろん中国は「日本と違う一党独裁」である。そのことに間違いはない。だが、この言葉を使っている人の頭の中にある「一党独裁」のイメージと中国の現実は恐らく同一とはいえない。
事実、中国には野党が存在している。それも共産党のダミーとしてではない。それぞれに歴史もあり、党首ともなれば全人代の副委員長や政治協商会議の副主席クラスである。しかも野党として機能していないとも言い切れない。80年代の後半、それまで全会一致が基本だった全人代で、最初に反対票を投じて騒がれたのは中国の野党・台湾自主同盟の代表だった。そして今も野党は果敢に反対票を投じている。
しかし、彼らに日本の野党のような働きができるかといえば、決してそうではない。
(中略)
つまり、中国が一党独裁かどうかという二択であれば「YES」と答えるしかないのだが、そのままでは胸に痞えが残ることは避けられない。
実は、中国をテーマに何かを書くという作業には、一事が万事こうしたすっきりしない思いが付きまとう。中国を伝えることの難しさの一つである。