梶ピエールのブログ

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お仕事のお知らせ

 朝日出版社第二編集部のブログ「現代中国:現在と過去のあいだ」を更新しました。またまた前回からだいぶん間が空いてしまいました。すみません。

第4章 日本と中国のあいだ――「近代性」をめぐる考察(1)――

 六〇年代安保闘争当時の竹内好によるアジテーション民主か独裁か」を題材に、先日ECFAのサービス貿易協定をめぐって行われた台湾の「ひまわり学生運動」を通じて浮かび上がってきた「民主」と直接行動との関係、またそれを考える上での前提としての中国および日本の社会構造の違いについて考察しています。

「民主か独裁か」というテキストは、そういった1960年5月19日の安保条約の強硬採決後の、憲法ならびに議会主義を擁護するという問題意識の下に書かれたものである。そこに、以下のようなくだりがある。

三 民主か独裁か、これが唯一最大の争点である。民主でないものは独裁であり、独裁でないものは民主である。中間はありえない。この唯一の争点に向っての態度決定が必要である。そこに安保問題をからませてはならない。安保に賛成するものと反対するものとが論争することは無益である。論争は、独裁を倒してからやればよい。今は、独裁を倒すために全国民が力を結集すべきである。

ここに典型的に表れた、当時竹内が対峙していた現実と、ECFA締結をめぐって揺れる台湾の現実との共通点を、いくつかに分けてまとめておこう。

第一に、いずれのケースも重要な政策が、議会において民意が十分に反映されないまま決定され、それに対する広範な抗議行動が起きているという点。第二に、問題となる政策決定が、いずれも大国(米国および中国)との関係強化をめぐるものであるという点。第三に、当初は政策決定の是非をめぐって行われていた抗議活動が、次第に「民主的な意思決定がなされないこと」自体をめぐるものへとその性格を変えていった点。第四に、形式的な「民主制」を通じた意思決定を盾にして政策の正統性を訴える政権と、デモや座り込みなど直接的な行動によってその「非民主性」を訴える学生を中心とした市民勢力が対峙をしているという点。いうまでもなく、竹内は後者こそが真の「民主」を代表するものと考えていたわけだ。

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